【かがり火紀行】震災の爪痕が色濃く残る能登半島

震災から1年9ヶ月が経った石川県の能登半島を訪問してきましたので、道中で写した写真とともに紹介します。今回は穴水町在住の会員、新田信明さんのナビゲートで海沿いを車で一周しましたが、車窓からは崩れかけている解体前の家が多く見られ、至るところで重機が稼働していました。土砂崩れや路面崩壊の影響で片側通行もあちこちで見られ、復旧への道のりは遠いと感じました。(取材:松林 建)

新田さんが経営する民宿「孫重郎(まごじろう)」

能登に到着した10月14日夜は、穴水町在住の会員、新田信明さんが経営する農家民宿「孫重郎」に宿泊しました。新田さんが住む岩車集落は、穴水の中心街から離れた海沿いにある静かな漁村。木造住宅が密集した風情ある集落。民宿前方には静かな穴水湾が広がる絶好の立地でした。

民宿の室内

「孫重郎」は、新田さんのご自宅の隣の古民家です。持ち主から引き取ってほしいと頼まれたので譲り受け、コロナ直前の2020年2月に農家民宿として開業。客室は二間ですが室内は広くて立派でした。

剥落したままの壁面

但し、室内の一部の壁面は剥落した後が見られました。聞けば左官屋さんが多忙すぎて、なかなか来てくれないとか。人手不足で修繕を待っている住民も多いようです。

コンクリートが割れたままの港湾

新田さんが暮らす岩車集落の港では、あちこちでコンクリートがひび割れていました。穴水は比較的被害が少なかったようですが、巨大地震の爪痕を目の当たりにしました。

新田さんを取材

新田さんの取材記事は会報誌の次号に掲載予定ですが、これまで経験したことない、もの凄い揺れだったと話してくれました。区長だった新田さんは地震当日は高台へ住民を避難させ、翌日からは地域の集会所を避難所として開設し、約3週間を過ごしました。ボランティアの方々や自衛隊の支援を受けたほか、住民の中に調理師がいたので、毎日あたたかい食事を三度用意できたそうです。

新田さんら住民が避難した集会所

海沿いに建つ集会所。穴水は交通の便が比較的良かったため、必要な物資は翌日には届いたという。

被害を受けたままの家屋

翌日は新田さんのナビゲートで、能登半島を反時計回りに車で一周しました。被害が大きかった珠洲市では、あちこちで重機による解体作業が行われていましたが、崩れたまま解体を待つ家屋も多数見られました。

傾いた電柱

傾いたままの電柱も多く見られ、復旧の遅れを感じました。

見附島

珠洲市の景勝地である見附島も、斜面が崩壊し、震災前の端正な姿が一変していました。縁結びの鐘も瓦礫と化していました。

須須神社

由緒ある珠洲神社も鳥居が折れ、石造物が被害を受けていました。

仮設住宅

能登半島北端の禄剛崎に立ち並んでいました。

珠洲から輪島に至る道路

珠洲から輪島に向かう道路は、特に大きなダメージを受けていました。至るところで土砂崩れが発生して片側通行だらけ。海沿いに作られた仮設道路も、いつ崩壊してもおかしくない状況でした。

隆起した海岸線

海岸線は大きく隆起し、海中から露出した岩が白く見えていました。

海苔の養殖地

海苔を養殖していた平面も、隆起して海から突き出てしまい、養殖ができなくなったそうです。

片側通行

幾つかのトンネルは片側通行なので、かなり待たされました。

時国家(下)

菅原さんが現状を確認したいと言っていた時国家。もちろん見学はできず、外観を遠くから見るにとどめました。

時国家(上)

時国家は上と下の2つがありますが、上は完全に建屋が崩壊して、ぺしゃんこになっていました。室内に残されていた貴重な古文書類の安否が心配です。

白米千枚田

輪島の観光地として知られる「白米千枚田」。昨年の地震と豪雨災害で2度の被害を受けたが、一部復旧して今年は稲作が終わったようでした。

輪島市内

「輪島市は景観が一変した」と新田さんは語っていました。火災で燃えた跡地には草が生え、崩れたままの家屋も多く見られました。

輪島の朝市通り

通りの両側には家屋が密集して建っていましたが、今は一変してしまいました。

黒島地区

この日は、重伝建に指定されている輪島市黒島地区のゲストハウスに泊まりました。

崩壊した住宅

黒島地区は伝統的な木造住宅が立ち並ぶ風情ある集落ですが、あちこちで建物が崩壊し、解体工事が進んでいました。

解体工事の現場

以上、新田さんの案内で能登を巡ってきましたが、予想以上に復旧が遅れていることを目の当たりにしました。今後、能登で大きな災害が発生しないことを祈ります。

(訪問日:2025年10月14日、15日)