無農薬・無肥料で “奇跡のイチゴ”に 挑戦する 野中慎吾さん 

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』175号(2018年6月25日発行)掲載の内容に、若干の修正を加えたものです。

安全で安心なイチゴを子どもに食べさせたい

困難に挑戦する青年の顔は美しい。愛知県豊田市の農業生産法人みどりの里の野中慎吾さんは、無農薬栽培のイチゴに挑戦している。

イチゴ好きな人にはあまり聞かせたくない話だが、イチゴはかれんな容姿をしているけれど多量の農薬を必要とする農作物なのである。

うどんこ病や炭疽病、青枯病などの病気が発生しやすく、ハダニやアブラムシ、ヨトウムシなどの害虫もわきやすい。暑さに弱く、排水が悪ければ根腐れを起こしてしまう。

ようやく病気の発生を抑えたと思ったら、今度は甘さがまったくない果実ができてしまう。見た目は美しいが繊細で傷つきやすく、甚だ扱いにくい。だからこそイチゴは収益性が高く人気がある。

イチゴの出荷額は栃木県、福岡県、熊本県、長崎県、静岡県の順だが、どの県も頻繁に農薬を使って防除するように指導している。万が一、無農薬のために病虫害が蔓延して、イチゴが全滅してしまえば大打撃を受けるからである。

いま店頭に並べられているイチゴには、何らかの農薬が使われていると思っても間違いない。イチゴは苗作りから最後の収穫が終わるまで約1年5カ月の長丁場だが、この間、野中さんのように一度も農薬を使わないというのは珍しい。

もっとも家庭のプランターで栽培している人は例外だが、出荷されているイチゴにはまず無農薬はないと言っていい。イチゴの無農薬栽培は無酸素でエベレストに挑むような無謀なものなのだ。

大変な苦労をしているが、野中慎吾さんも浩美さんも明るくたくましい。

そんな困難になぜ野中さんは挑戦する気になったのだろう。

「専門学校で農業の基礎を学んでいたころ、実習でイチゴの無農薬栽培にトライしたことがありましたが、さんざんな目に遭いましたので無農薬は不可能だと思っていたんです」

「しかし、3人の子の親となり、子どもたちがよちよち歩くのを見ていれば、農薬を使わないイチゴを食べさせたいと思うのは親として自然なことだと思います」

「イチゴは皮をむかないで食べる果物ですからなおさらです。それにもう一つの理由は、農業生産法人みどりの里の山中勲理事長に勧められて、やる気になったのです」

山中さんとはどんな人物かは後ほど説明するとして、野中さんが無農薬イチゴに挑戦するまでの半生を駆け足で紹介したい。

スーパーストア社長と人生で最大の出会い

1980年、野中さんは岐阜県七宗町に生まれた。高校時代から将来は植林など環境関係の仕事をしたいと思っていた。できれば海外で働きたいという夢があって、名古屋学院大学外国語学部に進んだ。

大学在学中に農業技術を身に付けて発展途上国の支援をしたいという目標がはっきりしたので、大学卒業後は浜松市にあるオイスカ開発教育専門学校に進んだ。

この学校はある宗教団体が母体となって設立されたもので、一時は外務省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省が共管する特例財団法人だったが、2010年に公益財団法人に移行し、国際的な農業開発協力、環境保全、人材育成などを行っている。

農業の基礎を学べると同時に英語の授業もあって、野中さんの志望にぴったりの学校だった。「しかも学費と寮費を合わせて2年間で200万円という安さだったのも魅力でした」と野中さんは言う。しかし野中さんにはその学費がなかった。

「ナゴヤドームの近くにある三菱電機名古屋製作所で、1年間アルバイトをしてお金をためた後で、入学しました」

この学校で、後年伴侶となる茨城県笠間市出身の浩美さんと出会うことになる。

専門学校は充実したものだった。野中さんは自分は農業に向いていることを実感し、日々農業の実習に明け暮れた。学校の農地だけでは飽き足らず個人的に畑を借りて、いろいろな野菜を植えてさまざまな農法を試した。

2年生になると海外研修があって、野中さんはフィリピンのミンダナオ島に派遣された。

「私は北サンボアンガ州ディボログ市ピニオンというところで研修を受けた後、山岳地帯の電気、ガス、水道のない少数民族の住む村に派遣されました」

「有機農業で村民に生きる手立てを教えてあげたいと張り切って行ったのですが、あまりの環境の違いにがくぜんとしました。貧困で困っているだろうと思って行ったのですが、確かに貧困ではあったけれど別に困ってはいないのです」

「何でわざわざそんな面倒な農業をしなければならないのかと言われてしまいました。のんびり暮らせばいいじゃないかと考える人が多く、こちらの意気込みが空回りするだけでした」

「それに有機農業を指導をするにも日本では簡単に手に入る農業資材がありません。栽培法は教えることはできても流通市場は完全に華僑におさえられていて、農業よりも政治的社会的な問題が大きいことに気付かされました」

その村には蓄えるという文化はなかったという。蓄えることは損をすることだという考えだった。果樹栽培を指導しても収穫する前に盗まれてしまうことが多く、青年のヒューマニズムは頓挫した。

しかし、この経験は野中さんを大きく成長させた。農業には机に座って学ぶことより、背景には広大な世界が広がっていることを知った。農業で暮らしを立てていくにはまだまだ勉強しなければいけないことを痛感した。

専門学校を卒業した野中さんは、豊田市勘八町にあるオイスカ中部日本研修センターに就職した。ここはオイスカが所有する農地で、海外からの留学生もたくさん迎えて有機農業を行っている。栽培する野菜は地元で売られている。

研修センターで1年間働いたが、野中さんは農業に自信を持つことができなかった。本当の農業人になるためには、やはり自立しなければいけないと考えるようになっていた。

組織の中にいては甘えがあるので、独立を決意した。お世話になった方々に退職のあいさつに回ったが、その一つが地元のスーパーストア「やまのぶ」の山中勲社長(75)だった。

地元の消費者の絶大なる信頼を得ているスーパーストア「やまのぶ」。

「やまのぶ」は豊田市の周辺に7軒の店舗を持つ地域のスーパーストアだが、大手のイオンなどの参入を許さないほど、地元の消費者の熱い支持を受けている店である。

山中社長はスーパーストアは仕入れた商品を店頭に並べるだけではいけない、店に並べる商品のすべてに熟知し、責任を持たなければいけないという考えの人だった。

「やまのぶ」の野菜売場には自然栽培や有機栽培のお米や野菜を販売する特設販売コーナー「ごんべいの里」が早くからあって、地元客から高い信頼を得ていた。

スーパーストア「やまのぶ」の特設販売コーナー「ごんべいの里」。

しかし、有機農産物の仕入れは高く、売値も高くなる。健康にいいものが結局はお金持ちしか買えないのは理不尽だと常々山中社長は考えていた。

野中さんが退職のあいさつに「やまのぶ」を訪ねた時、山中さんは社長を長男に譲り、自分は農業生産法人を立ち上げ、自然栽培米を作りたいという計画を練っているころだった。

山中さんは野中さんの誠実さ実直さに注目していたので、彼がどんな農業を目指しているのか聞いた。

「とにかくやってみるしかないと思います」という野中さんの進路があまりにも漠然としていたので、自分の構想を話し、一緒に農業生産法人を立ち上げないかと誘ったのだった。

「それからは驚くほど早かった」と野中さんはいう。山中さんが野中さんに出した条件は、1年間秋田県大潟村の石山範夫さんという自然栽培米の農家に研修に行くことだった。

研修に際しては山中さんも受け入れ先の石山さんも将来のことを考えて、単身よりも夫婦のほうがいいということで、急きょ2007年の1月に浩美さんを入籍し、二人で大潟村に入った。

二人はアパートを借りて、毎日石山さんの圃場に通って自然栽培を学んだ。この段階ではまだ農業生産法人は設立されていなかったが、山中氏は二人の生活費として毎月15万円を仕送りしてくれたという。

野中夫妻が1年間の研修を終えて戻った時、山中さんは8町歩という広大な耕作地を用意して待っていた。

「自然栽培米や無農薬のイチゴに挑戦し、多くの種類の野菜を栽培できるのは、山中さんのおかげです。山中さんは社長を退任して会長になったのですが、巨額の退職金を農業生産法人みどりの里につぎ込んだのです」

「農地を借り、トラクターなどの農機具を購入し、事務所や倉庫を建て、米の乾燥機まで設置してくれました。ついでに私たちや研修生が住める家もつくってくれたんです」

農業を志す青年の夢と、地域の農業を守るために個人の資金を惜しげもなく投ずる人はいるのである。

自然栽培米のほうは大潟村での研修の成果もあって順調にスタートした。田植えも終わって一段落した時、無農薬でイチゴを栽培してみないかと山中さんは野中さんに語り掛けたのだった。2008年の6月のことだった。

「奇跡のリンゴ」の木村秋則さん(中)と親交のある、野中慎吾さんと山中勲理事長(右)。

悪戦苦闘の無農薬・無肥料のイチゴ栽培

イチゴについては知識が皆無に近かった野中さんだが、山中理事長がイチゴに詳しい肥料屋さんを紹介してくれたので、その人のアドバイスに従うことになった。有機肥料もたっぷりまいた。

その効果か、クリスマス前の12月の初収穫では市販されているものと遜色のないイチゴを1500パック収穫できた。「無農薬栽培なんで意外に楽勝じゃん」と有頂天になった。

しかしそれから1カ月後、最悪の状況が訪れた。

「あらゆる病気と害虫の猛攻が始まったんです。初めはアブラムシの大発生でした。肥料屋さんに言うと肥料が足りないからだというので、追加でまた入れます。一向に良くならない」

「イチゴの色も薄いと訴えると、肥料が足りないからだという返答です。そのうち、葉の表面に黒い斑点が広がるすす病も発生したんです」

「肥料屋さんを頼らないことにしました。無農薬栽培を決心した以上、安直に農薬に手を出すことはできない。ニーム液、EM菌、木酢など化学合成農薬以外の農薬を散布しましたが効果はありませんでした」

初年度のイチゴは惨憺たる結果になった。多くのイチゴ農家が無農薬は恐ろしくてできないと言っていた意味がようやく分かった。山中さんの後ろ盾がなければ撤退せざるを得なかっただろう。

2年目は初年度のような壊滅状態にできないので、病害虫が発生する時期に最小限の化学合成農薬をまいた。

「僕は山中さんに申し訳ない気持ちで、このままではイチゴの収穫が見込めないので減農薬でやりたい、一定の売り上げを確保した後で完全無農薬に切り替えたいと申し出たんです」

「そうしたら〝そんなことは考えなくてもいい〟という答えでした。山中さんの無農薬への決意が伝わってきて、それからはどんな病害虫が出てきても決心が鈍ることはありませんでした」

山中さんは青年の意欲が、目先の売り上げのためにつまずくことのほうを恐れたのだろう。

日本の農業に希望を持たせてくれる青年の顔は輝いていた。

2年目にはハダニが発生した。ハダニはルーペで見ないと気が付かないような1㎜に満たない小さなダニで、葉裏に寄生する。25度くらいの気温だと10日間で世代交代を繰り返す極めて増殖率が高い害虫である。

ハダニには天敵のチリカブリダニをハウスの中に放って対応したが、すべて駆除するまでにいかなかった。

イチゴの葉を1枚1枚めくって害虫を点検する日々が続いたが、どうも肥料分が多そうな畝に病害虫の発生が多いということに気が付いた。これまでの肥料が裏目に出ているのではないかと考えるようになった。

収穫したイチゴに苦みがあるので土壌検査をしたところ、硝酸態チッソが異常に高かった。肥料のやり過ぎだったのである。そのため土壌も硬くなっていた。

3シーズン目の2010年、無農薬に加えて無肥料栽培に切り替えた。不思議に病害虫の発生が少なくなった。

山中氏に届けた初収穫のイチゴは糖度も高く、イチゴの色も鮮やかだった。「いいじゃないか」と山中さんは言って仏壇に供えたという。

野中さんから無農薬栽培の話を聞いていれば気が遠くなる思いである。イチゴの病害虫と戦いながらも田植えがあり草取りがあり、秋には稲刈りもある。イネを乾燥させて脱穀しなければいけない。

春野菜、夏野菜の植え付けと収穫、出荷、その間を縫ってイチゴ畑を点検する。野中さんも浩美さんもへとへとになった。

「頭が下がるのは浩美の頑張りです。子どもを背負って、農作業でいちばんきつい田の草取りに入ってくれました。そんな光景は豊田市ではまず見ることがありませんから、一躍、地域で有名なお母さんになったんです」

「二人目、三人目の妊娠中も休むことなく農作業をしていて、母の強さを思い知りました。長男の光が生まれる前の日まで、雨の日にカッパを着て野菜の定植をしていました。私よりも強い意思を持っていると思います」

無農薬でイチゴをやっていると、一日休めばすべてが台無しになる危険がつきまとっているから、どんなことがあっても畑に出た。夕食後、布団までたどり着けず、畳の上でそのまま寝入ってしまうことがしょっちゅうあったという。

4年目以降は完全とは言えないながら、無農薬無肥料の自然栽培が軌道に乗ってきた。アブラムシやハダニはデンプンを使った「粘着くん」という毒物ではない農薬を使って退治している。

野中さんはイチゴが本来持っている生命力を引き出すことに全力を挙げるようになった。1株当たりの収量を多くしたいと思えば肥料をやるしかないが、多収はある意味人工的なもので不自然なのである。

イチゴはもともと春が旬であったものを、クリスマスのケーキ作りに合わせるために収穫を早めようとハウス栽培が取り入れられたのだった。

「農業は昔の人が大切にしてきた冬至、大寒、立春、雨水、啓蟄などの二十四節気の自然界のリズムに合わせるものだったはずです。人間の都合で栽培時期をずらしたことで病害虫が発生するようになったんだと思うようになりました」

ここまで苦労しているのだから、野中さんの作るイチゴは高価でもいいはずだ。現に東京・新宿の伊勢丹デパートでは1粒1000円というイチゴが売られていた。

しかしみどりの里のイチゴは「やまのぶ」で1パック600円から700円で売られている。みどりの里は庶民がリーズナブルな価格で無農薬イチゴを買えることを目指しているのである。

みどりの里の朝は6時半の朝礼から始まる。日が落ちるまで軽く10時間を超える労働である。ここまで辛苦をなめると陽気ではいられないはずだが、野中さんは至極明るい、よく笑う人だ。

これはフィリピンでの研修の時、現地の農業指導員から「人間、笑えなくなったおしまいだよ」と言われてから、どんなピンチでも笑いを忘れないようにしているのだという。

強力な助っ人となった 障がいのある人たち

野中さんのところには現在二人の社員がいるが、8町歩の農地はとても手が回らない。強力な助っ人として応援してもらっているのは、近所の福祉施設「無門福祉会」の利用者さんたちだ。

「無門福祉会では、以前から利用者の方たちに農業を実践してもらっていたようです。2015年に施設の方から電話があって、自然栽培をやってみたいので指導してほしいということでした」

「ここの施設は重度の心身障がいの人が多くて、最初は不安でした。しかし、人手不足で四苦八苦していた僕たちの農業も手伝ってくれるというので引き受けることにしたのです」

「結果は予想以上というか、驚くほどの戦力になってくれました。障がいがある人でも農業には素晴らしい能力を発揮してくれるんだなと、認識が一変しました」

雨の日でも一向に気にせず畑に出て来てくれる、頼もしき助っ人たち。

最初は失敗もあった。イチゴの親株から子株を作る時、切ってはいけないツルを切ってしまったり、収穫時に熟していない実をもいでしまったり、苗を駄目にしてしまったり。

行動がスローでコミュニケーションがとりずらかったので、野中さんは長くは続かないかもしれないと思ったが、彼らは圃場に出てくるごとに生き生きしてくるのだった。

「最初は失敗の連続でしたが、慣れてくると農業への意欲が高いことが分かりました。彼らの集中力がすごいんです。アブラムシを一匹でも発見すると〝イチゴが虫さんに食べられてしまう〟と言って毎日出てくる子もいます」

「奇声を発する人がいてもまったく気になりません。畑の中ではどんな大声を上げても誰の迷惑にもなりませんから。障がいのある人たちにとって農業はいちばん適している仕事かもしれません」

もともと野中さんは偏見のない、大らかで優しい人なのだろう。今では彼らに全幅の信頼を置いて頼りにしているし、障がいのある人たちも野中さんを農業の先生として慕っている。

みどりの里と無門福祉会はお互いに金銭での契約はしていない。もし農作業にお金を支払うようにすれば、相応の仕事量を要求するようになるだろう。約束の作業をこなしていなければ、気持ちよく支払いができるかどうか分からない。

農作業を時間単位のお金に換算するのは野中さんは嫌だった。無門福祉会のほうでも工賃を決められてしまうと、それに見合う労働を提供できるかどうか負担になる。

両者が話し合いで決めたのは、野中さんは無料で耕作地と農機具、農業資材を提供し、栽培指導も行う。

しかし、一切金銭は請求しない。その代わり無門福祉会のほうではみどりの里の農作業を無報酬で手伝うということにした。

「現在、イチゴハウス1棟を福祉会に預けています。栽培指導はしていますが、収穫したものはすべて自分たちで食べてもいいし、出荷しても自由です。僕にとっては予想以上の頼もしい農福連携になりました」

ある朝、野中さんが出社すると倉庫の前に手伝ってもらっている障がいのある娘さんの母親が立っていた。野中さんは、手伝ってもらって大変助かっていますとあいさつした。工賃を払えなくて申し訳ないとも言った。

母親はみるみる泣き顔になって涙を流した。自分の娘が誰かの役に立っていると言われたのは初めてだという。ありがとうとお礼を言われたこともなかったという。

野中さんはその時、この連携はみどりの里の中核に据えなければならないと思ったという。

障がいのある人たちの農業に対する集中力に驚いたという。

みどりの里は設立して10年、やっと黒字になった。野中さんの月給は15万円、浩美さんは8万円、二人合わせて23万円である。

経理もすべて二人に任せている山中理事長は、そろそろ上げたらどうだというのだが、野中さんはしばらくこのままでいくつもりだという。

野中夫妻の労働時間は、長さから言えば、ブラック企業どころではない。しかし二人は労働を苦痛と思ったことはないという。管理されているわけでもなく、ノルマを与えられているわけでもない。

自分の意思、自分で立てた目標に向かって働き、野菜やイチゴや米を買ってくれる人たちの顔が見えているからだろう。そして何よりも、山中さんや無門福祉会の人たちとつながっていることに安心感がある。

(おわり)

>みどりの里ブログ

野中さんの挑戦は本にもなっています。
田中裕司『希望のイチゴ』扶桑社、2016年。

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