限りなく自由で楽しく働ける「おふくろさん弁当」の社長係・岸浪龍さん   

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』175号(2018年6月25日発行)掲載の内容に、若干の修正を加えたものです。

遂に夢のような会社が現れた

三重県鈴鹿市の「おふくろさん弁当」がどんな働き方をしているのかを知れば、政府の働き方改革の議論など吹っ飛んでしまう。出勤も退社も自由、会社に来たくない時はいつ休んでもOK、普通の会社に必ずある「規則も命令も上司も責任もない!」会社なのである。

社員は勤務時間が終わっても帰りたがらない、帰っても仲間と語りたくてまた会社に出て来る人もいる。それでいて業績は好調で設立以来、増益増収。いまの時代にこんな会社が存在するのは奇跡としか言いようがない。

代表取締役の岸浪龍さん(41)の名刺には、社長係とあった。なぜ社長ではなく社長係なのかは、おいおい説明したい。

ピンクが「おふくろさん弁当」のシンボルカラー。看板や旗、配達の車もピンクです。

「おふくろさん弁当」を設立する前は、岸浪さんは不動産会社の営業マンだった。

「大学を卒業するころ、世の中はどんな仕組みで動いているのかまったく分からなくて、漠然と経済が中心だろうと思っていました。お金と契約を勉強すれば世の中の仕組みが分かるだろうと、四日市市に本社のある地元の中堅不動産会社に就職しました」

このころはごくごく普通の青年だった。

「不動産会社というのは原則的に歩合制です。基本給は20万円でしたが、決められている規定のノルマを達成できないと、最悪な月は10万円引かれるんです。真面目に営業していれば何とかノルマはクリアできるのですが、話下手だったり、要領が悪かったりする人はノルマは達成できないんです。そうなると、お前は誰のおかげで給料をもらっているんだと罵倒に近い言葉を浴びせられるのは日常茶飯事でした」

「同僚同士でも表面的には仲良くしていても決して気を抜くことはできません。私は不思議に入社時から結構成績が良く、30人いる営業マンで常にトップの成績でした。しかし、この業種は上手にうそをつけない人には向かない業種で、何しろ脅かされて働いているようなもので、精神的におかしくなって辞めていく人は後を絶ちません。私もお客さんの年収から考えてA物件が適当と思っていても、会社がもうかる高額なB物件を推奨したということもあって、今でもちょっと後ろめたい気持ちを感じています」

どんな会社、どんな仕事に就いても多かれ少なかれこのくびきからは逃れないものとしてみんな諦め、「どうせ世の中はこんなもの」と自分をだまし、励まし、諦めさせて働いている。

「私はうつ病にこそならなかったものの、会社に行きたくないなという日はしょっちゅうありました。それでも成績は良かったので40万とか50万円をもらう月もありました。𠮟責やノルマから来るストレスに耐えさえすれば、月末にはATMから現金を引き出すことができます。休日には心をすり減らした対価としてのお金を使って遊ぶことで、日ごろへのリベンジを果たし、ほんの少し癒やされ、ほんの少し自由を感じ、物欲を満たすことで、なえてしまいそうな自分を奮い立たせていました」

みんな一つになるアズワン

岸浪さんはこんな気持ちで働いていたころ、鈴鹿市の市民団体の会合に顔を出した。そこで気の合う仲間と知り合うことになった。サラリーマンだったり工務店を経営していたり、店をやっていたりいろいろだったが、語り合うほどに今の社会はおかしい、労働はもっと自由で楽しいもののはずだということで話が合った。

そのうち誰ともなく、自分たちの会社をつくろうかと言いだした。何をする会社というより、社員がストレスを感じない会社、今日の売上、今月の売上に汲々しない会社、朝、出社するのが楽しい会社、したくないことはしなくてもいい会社、仲間を信頼できる会社をつくりたいということで意見が一致した。

そんな話が出たころ、岸浪さんは支店長に昇格していた。支店長になると自分の売上だけではなく、支店単位での競争になる。月末には対前月、対前年度での売上が発表され、他支店と比較され、目標を達成しなければ叱責される。

自分だけが叱責されるならまだしも、スタッフの尻を叩いて売上を伸ばさなければならないのはつらかった。長くいるところではないなと思うようになっていた。

「管理もない、命令も指示もない会社をつくりたかった」という岸浪龍さん。

市民団体の仲間たちとの会話が具体性を帯び始めたころ、岸浪さんは退社を決意した。すでに岸浪さんは結婚していて、相手の女性には二人の子どもがいた。岸浪さんはいま41歳だが、上のお子さんは大学生、中は高校生、下のお子さんは中学生である。

2005年に会社設立の準備を進めていたころ、社名が必要になった。仲間の一人がビートルズの名曲「イマジン」の最後のフレーズ、I hope someday you’ll join us And the world will live as oneの最後のas oneを取って、アズワンはどうかなと言った。

「いつかみんな仲間になって世界は一つになるだろう」というメッセージは、自分たちの目指す世界とぴったりだった。

こうして資本金1000万円の会社は設立されたが、資本金は残高証明が取れた段階で出資者がたちまち引き出してしまい、1週間でなくなったのがいまでは笑い話である。アズワン株式会社の社長には岸浪さんではなく一番の年長者が就任したが、誰も社長とは思っていなかった。そもそもそんな序列のある会社をつくる気はなかったから、あくまで登記上の形式的なものだった。

どんな会社をつくりたいかのイメージはあったが、何をする会社か決めていなかったので、定款には考えられるあらゆる職種を書き込んだ。最初に手掛けたのは人材派遣の会社である。

鈴鹿市はホンダの企業城下町で、多くの関連企業、下請け企業が密集している。外国人労働者も多い。そのころは景気が良く、派遣バブルという様相を呈していた。新聞に求人広告チラシを入れて、人材を募集しホンダ関連の企業に売り込んだ。

「不動産屋にいたから飛び込み営業はお手のもので、すぐに人材を派遣してほしいという会社と契約ができました」

こうしてアズワン株式会社の最初の仕事は人材派遣でスタートし、間もなくラインを任されるようになった。ラインというのは相手の設備と機械を使って一つの工程をすべて任されることである。

工場の昼休み時間は45分、弁当を持ってこれない人は近くのコンビニに走り、弁当を買わなければならない。往復に時間を費やすと昼休みがなくなる。岸浪さんは11時ころになるとコンビニで弁当を買って、自社で派遣した人たちに弁当を届けるのが日課になった。

それを知った奥さんは、「それぐらいなら私が作ってあげる」と申し出てくれた。そのころはまだ5~6人分だったから自宅のキッチンで間に合った。工場では岸浪さんの奥さんの作った弁当を食べている人を見て、「その弁当、どこで買ったん?」と聞いて来る人が増えた。

コンビニやスーパーよりは高いけれど、毎日1000食以上も出る人気。

奥さんの手作り弁当だからコンビニの弁当よりもおかずも多く、心がこもっている。俺にも作ってくれと頼んでくる人が増えた。

10人も超えると自宅のキッチンでは狭くなる。岸浪さんの家庭用の鍋や電気釜では小さくなる。奥さん一人では間に合わなくなり、友人の奥さんにも応援を頼むことになった。

人材派遣か弁当配達の会社か分からなくなったころ、仲間の一人が、〝いっそ弁当屋をやったら成り立つんじゃないか〟と提案した。「おふくろさん弁当」誕生の瞬間である。そのころ森進一の『おふくろさん』が作詞家ともめていて、ワイドショーなどで話題になっていた。

おふくろさんは家庭的でやさしいイメージなので、商号は「おふくろさん弁当」に決めた。

家にいるよりも会社にいるほうが楽しいという人も多い、スタッフの昼食風景。

人間的な会社はお金のためだけに働かない

岸浪さんがつくった会社はどんな会社なのだろう。一般的に会社を設立すると部署や役職を決め、勤務時間、休日などの就業規則を決める。岸浪さんはこれらの一切を無視した。あくまでも自由に伸び伸びと、管理も監視もされず、楽しく働ける会社を目指したからである。

あまり使っていないというタブレットの出勤簿。出勤が「来たよ」、退社が「帰るよ」となっている。

「どれだけ働きたいか。いつ来ていつ帰りたいか。給与も話し合いで決める」と岸浪さんは言うが、果たしてこれで会社が成立するのだろうか。

おふくろさん弁当には20代から70代まで60人のスタッフがいるが、自ら時給を希望する数人を除いて、基本的には全員、固定給である。

「給与は社員と話し合いで決めています。会社として基本的な給与を説明し、社員からはいくらぐらい欲しいのか聞いて、お互いに納得したところで決定します。共稼ぎの人もいれば、一人で子どもを育てている人もいます。子育てや介護でフルタイムでは働けない人もいます」

「反対に長時間働いて少しでも多くの収入を得たいという人もいます。法外な金額を言われても出せませんが、なるべく希望に応じるようにしています。ちなみに現在いちばん低い人は週一日しか出勤しない人で3万円、多い人は月に30万円です。働き方は会社のルールに社員が合わせるのではなく、個人の希望に会社が合わせるようにしています」

一応の係は決めているけれど、手薄なところには各人が自発的に手伝いに入る。

休みたい時に休める

おふくろさん弁当には管理職がいない。上司と部下の関係がない。食材の仕入れ、調理、盛り付け、配達、経理事務と、係は一応決めているけれど固定化されたものではない。盛り付け係が不足していれば、調理担当の人が臨機応変に助っ人に入る。

上司の指示で動くのではなく、自然の流れで仕事をこなしている。1カ月の勤務体制は各人が出勤できる日時をカレンダーに書き込むようになっていて、そのシフト表は全員が見ることができる。

休みを取る社員が多くて手薄な日があると、その表を見た社員が「この日は出る人が少ないようだから、この日に変えるわ」と自発的に変更するので、いつの間にかバランスの取れたシフト表になるのだという。

休みもいちいち会社に断る必要がない。シフト表に休みと書き込めばそれでいい。1週間でも2週間でも構わない。休みたい人が会社に気兼ねしたり、同僚に後ろめたさを感じることもない。休みを取って旅行に行きたい人はお互いさまだから、みんな温かく送り出す。

前の職場で、「代わりはいないんだからとにかく出てきてください」などと言われていた社員も多いので、おふくろさん弁当に入社してその自由な働き方に感激するようだ。

シフト表を見て、スタッフがそれぞれ出勤日を調整してベストの体制をつくるのだという。

ミスをしても怒られない

「人間ですものミスはしますよ。それをいちいち怒ったり、始末書を書かせたりしてどうなるんですか。本人は委縮するし社内の空気も悪くなるでしょう。しかもそれでミスがなくなりますか」と岸浪さんは言う。

請求書を届けるのを忘れていたり、注文の個数や配達日を間違えたり、総菜の一品を入れ忘れたりとさまざまなミスがある。それでもいちいち叱責されたり、責任を取らされたりすることはない。

こんなミスがあった。四日市市のイベント会場に30個の夕食弁当の注文があった。夜の配達だったから、スタッフは出来上がった弁当を配達係に回した後はキッチンの火を落とし、掃除を済ませてほとんど帰宅した。

ところが配達に出た社員から電話が入った。車から弁当を下ろしてお客さんへ運ぶ途中、転倒して弁当をぐしゃぐしゃにしてしまったという報告だった。報告を受けた社員は、お客さんに事情を話してどこかのスーパーで弁当を調達するしかないかと考えたが、取りあえず社員のLINE(ライン)に事情を流した。

そうしたら続々と返信があった。「とにかく会社に戻る」という人から、「家にある野菜を持っていく」「卵の買い置きがあるから持参する」という人もいて、たちまち緊急特別弁当チームが結成された。

社員のほとんどは自転車で会社から5分から10分のところに住んでいるので、こんな時は便利だった。その時の雰囲気は運動会のリレー競走のような一体感、スポーツの試合のような連帯感で盛り上がったという。

事故の報告から45分で30人分を作り直して届けた。誰も転んだ人を責めたりしない。「今度から自分は転んでも弁当は壊さないでね」とジョークを言った人がいたぐらいで、職場の親密感は一層深まったという。

またこんなミスもあった。パーティー用の特製弁当の注文を電話で受けた人が12月を11月と勘違いして予定表に書き込んだのである。11月の当日に調理していたスタッフの一人が、「ひょっとしてこんな豪華な弁当は、忘年会やクリスマスのある12月じゃないかしら」と疑問を呈した。

電話を受けた人が不安になって確認すると案の定、注文は12月だった。さあ大変だ、仕出しの弁当は作ってしまっている。注文受付係の人は真っ青になった。しかしこの時、スタッフの一人が「今日、親戚の家で通夜があると言っていた」ことを思い出した。

早速、そこへ連絡して、「材料費だけでいいから、出来上がった弁当を使ってもらえないか」とお願いして快諾を得た。この時もミスをした人を誰も恨んだり怒ったりしなかった。次回から気を付けましょうねだけで終わりだったという。

業績は右肩上がり

おふくろさん弁当は550円と620円の2種類だけである(※消費税増税などに伴い、2020年5月現在は580円よりの販売:かがり火WEB編集部注)。この価格は200円台や300円台で販売されているコンビニやスーパーストアの弁当よりも高い。それでも注文は年々伸びている。特別、営業に回っているわけではないのに、口コミで評判が伝わってお客は増えている。

人気の秘密の一つはおふくろさん弁当のスタッフの気配りである。お客さんの中には、割り箸は割ったものを入れてくれというお年寄りもいる、漬物は嫌いだから入れないでくれ、ご飯にゴマをかけないでくれなど、いろいろな注文がある。

大抵の会社では、「弁当はラインで作っているので一つだけ違うようにはできません」とか、せいぜい「現場のほうに言っておきます」と対応するのではないか。おふくろさん弁当は、これら個々人の要望にすべて対応している。

ゴマを要らないと言った人は、翌日からゴマをふりかけていない弁当を手にしてうれしくなるに違いない。スタッフがいつも生き生き働いているからその元気がお客さんにも伝わるのか、同じ弁当を買うならおふくろさん弁当がいいという人が増える一方だ。

決まったマニュアルもレシピもないから味は毎日変わる。だから「日替わり弁当」なのだという。

こんな会社が増えれば世の中は楽しくなる

「おふくろさん弁当」も、初めから規則もマニュアルもなく、それぞれ個人の判断でスムーズに回っていたわけではない。事業のスタート当初は岸浪さんの目指す会社のイメージが社員に伝わらず、試行錯誤の繰り返しだった。

「社員が30人ぐらいになったころだと思いますが、自然にデキる人が現れるんです。仕事の段取りがよく、無駄を省き、テキパキと行動する。こういう人は何をやっても上手にこなすし、話し方にも説得力があります。そうなると周囲は自然にデキる人を頼りにするようになる。本人も自分の提案が業績に反映するから自信満々になります」

「私は、営業マンをやっていた時からそういう働き方に違和感を覚えていました。契約数トップの営業マンは神さま扱いをされ、売れない営業マンは人として扱われない。仕事ができることの偏重主義。そこから生まれる上下の関係、優越感や劣等感が職場を支配するようになります」

「仕事ができるできないを個人の能力、個人の責任のように扱っているけれど、たまたま生まれ育った環境とか、これまでの周囲との人間関係とかいろいろな要素がその人を形成しているわけだから『仕事かできる』という一部分を切り取って、人の優劣を評価するのはあまりにも乱暴で知性のない行為だと思います」

「ましてや自分の口から『自分はできる』なんて恥ずかしくて言えたもんじゃないと思うけれど、いまの社会は『できる』をかさに着て、人の上に立てるかのような錯覚を持つようになっている。子どものころから学校で勉強ができることが偉いとしている社会風潮のせいだと思うけれど、僕は人間らしくないと思っていました」

「おふくろさん弁当でも初期のころは『仕事のできる人』に依存する状況になってしまって、そういう人に大切なポジションを任せたり、各セクションのリーダー的な役割を与えたりしていた時期もあったんです。そうすると一時的には仕事が円滑に進むのですが、少し時間がたつと、仕事ができる人が他の人に命令したり、できない人に腹を立てたり不満を持つようになってしまったのです」

「仕事ができる人が偉くて上のような感じになる。周りが相手にしなければこういう関係にはならないのですが、人間は無意識のうちにそういう人に従おうという雰囲気になってくる。自発的服従というのでしょうか。そうなると『上』の人に対して何でも言える関係にはならないし、『上』の人は他の人に命令したり指図することが『良いこと』だと思い違いしてどんどん仕切るようになる」

「こうなると他の人がちょっと意見をすると荒れるような態度を取り、他の人は『上』の人を怒らせまいと小さく卑屈になっていく。これは仕事に限らず、スポーツでも政治の世界でも同じだろうと思います。学校ではできる子を持ち上げ、できない子をさげすみ、できる子は偉そうにしてもよいとしてきた結果だろうと思うのです」

「僕は本当に上下のない、命令も服従もない会社をつくりたかったので、何度も「デキる人」と話し合いの場を持ちました。しかし、デキる人は自分が頑張っているから弁当が売れるようになっているのだし、会社もスムーズに回っているのだと思っているから、なかなか理解してもらえなかった。僕はデキる人を重用したり、言いなりになることはしませんでした」

「僕は横のつながりだけで会社を運営したいと説明しました。普通の会社のようにやりたいわけではないんだ、人が幸せになるための会社をつくりたいんだと言いました。そのために弁当が売れなくなって、会社がつぶれても仕方がない。会社の利益や規模を大きくするのがおふくろさん弁当の成長ではないとはっきり言うようにしました」

「理解し、納得してくれる人もいましたが、〝そんなの会社ではない。おかしい〟と怒って辞めていく人もいました。しかし、このプロセスを経ることができたから、今のような上司も部下もないけれど、お互いにやりがいを感じ、和気あいあいと働ける環境をつくれたのだと思います」

究極は社長も要らないと思っているから、岸浪さんは「社長係」なのだ。社長がいないと何かトラブルが発生して「社長出てこい」と言われた時、出ていく人がいないと困るので社長係をやっているのだという。

驚いたのは、社員のみなさんは余ったごはんや総菜を自宅から持参したプラスチック製の食品保存容器や弁当箱に詰めていたことである。

「僕は、ちょっと多めに作って余ったものは自宅に持って帰ればいいじゃないかと言っているんです。夕食づくりに2千円や3千円はかかるから、会社から夕食を持って帰ることができるのは助かると思いますよ」と岸浪さんは言う。夕食代が不要となれば、給与の3万円、4万円アップと同じことである。

最近、おふくろさん弁当に視察が相次ぐようになった。どこもどんな働き方がいいのか苦労しているのだろう。上司の指示がなくても仕事ができるのが不思議だという人が多い。会議らしいものがなく、重要な案件についても、昼ごはんを食べながら話し合いが行われるのが信じられないという人もいる。

市場主義の効率最優先は日本に経済成長をもたらしたかもしれないが、働く人を幸せにしなかった。仕事で精神を病む人も少なくない。岸浪さんはそれらの矛盾と理不尽から、働く人を解放したかったのである。

従業員を何千人も抱える大企業では無理かもしれないが、従業員規模100人ぐらいまでなら「おふくろさん弁当」流の経営は可能ではないかというのが、岸浪龍さんの意見だった。

「おふくろさん弁当」の働き方をより詳しく知りたい方は『本当にあった!こんな会社 規則も命令も上司も責任もない!』(アズワンネットワーク刊。本体1500円+税)をご一読ください。書店にはありませんのでAmazon、またはホームページからお申し込みください。

(おわり)

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