手作りの「さくら祭り」で、人口400人の大川村に2000人を集めた川上さん夫妻(離島を除いて日本で人口が最も少ない大川村を訪問)

日本で人口が最も少ない自治体は、東京都の離島・青ヶ島村で163人。では、離島以外で人口が最も少ない自治体はどこか?

その村は四国のほぼ中央の山間部にあった。高知県土佐郡大川村。人口は396人(2015年度国勢調査)。昨年、村議会議員のなり手が不足し、議会に代わり住民が議案を審議する「村総会」の設置を検討したことで話題を集めた村である。

この大川村で、自宅の裏山に桜などの花々を大量に植えて、「さくら祭り」と称するイベントを個人で開催しているのが川上千代子・文人さん夫妻である。

5回目となる今年は、何と約2000人が大川村の川上さん宅を訪れた。個人が祭りを開催すること自体も珍しいが、山深い過疎の村に大勢の人が集まることにも驚いた。

何が人を呼ぶのか、その秘密を探るために大川村を訪ねた。

【フリーライター 松林建(群馬南牧支局長)】

川上千代子さん・文人さん夫妻。今年新設した休憩舎「さくら家」の前で。

早明浦ダムの岸沿いに集落が点在する大川村

大型連休明けの新緑がまぶしい5月中旬、高知市内から大川村へ向けて車を走らせた。大川村は、高知県北部の「嶺北」と呼ばれる山間地域にあり、西日本随一の大河である吉野川の上流に位置する。

隣の土佐町から大川村へ通じる県道17号線に入ると、吉野川をせき止めた早明浦(さめうら)ダムの青々とした湖面が左手に広がった。ダム湖には水が満々とたたえられ、空は快晴、緑と青のコントラストが美しい。県道は広大なダム湖に沿って、緑の森の中をくねくねと続く。

高知市内から約1時間半、道路の脇に「大川村」の標識が現れた。程なくして、大川村の観光拠点である「村のえき 結いの里」に到着。ここには食堂や土産物売り場があり、ちょっとした休憩場所になっている。

そこからトンネルを一つ抜けると、大川村中心部の小松集落。山の斜面を切り開いた狭い平地に、役場をはじめ農協や郵便局、売店などが集まっている。

しかしながら、村の中心とはいえ、ここは何と山深い場所なのか。ダム湖の両岸にそびえる山々は急峻で、緑の深い森に覆われている。道の脇の駐車場には車が何台か止められているが、人の姿はない。

さらに車を走らせると、道路の左手に寄り添っていたダム湖が尽きて急流となり、谷が狭くなった。山深さが一段と増す。脇道に入って少し上ると、杉林を切り開いた傾斜地に建つ川上夫妻のご自宅が見えた。村の中心部から約10キロ離れた山中の一軒家。道路脇には、「さくら祭り会場」の看板が今も立てられていた。

川上さんのご自宅は山中の一軒家。この場所で毎年、さくら祭りが開かれる。

ダム完成で村が水没し、人口が激減

吉野川の上流に開けた大川村は明治22年に誕生した歴史ある村。銅を産出した白滝鉱山の隆盛で全国から人が集まり、一時は人口4000人を数えるなどにぎわいを見せた。

しかし、1972年に鉱山は閉山。1‌97‌7年には、四国の水がめと呼ばれる巨大な早明浦ダムが土佐町に完成して吉野川の水かさが広範囲で上昇。その流域の大川村では、役場があった中心部の集落が水没。役場は高台に移転したが、これを機に多くの村民が村を離れ、人口が激減した。

隣接する町村との合併も話がまとまらず、いつしか離島を除くと人口が最も少ない村となった。村で建物や民家がまとまっているのは中心部のみ。他の民家は、川沿いや山々の斜面に点在する。自然は豊かだが、傾斜地だらけのため、農産物の大量生産は難しい。

こうした八方ふさがりと言えなくもない大川村に、14年前、神戸から移住してきたのが川上さん夫妻である。妻の千代子さんは大川村出身。中学卒業後に大阪へ集団就職し、神戸で看護師として働いていたが、父親の病気をきっかけに2004年にUターン。故郷の村には愛着もあり、ためらいはなかった。

夫の文人さんは鹿児島県出水郡長島町の出身。関西の電気設備会社で長年働いていたが、千代子さんから嘆願され、50歳すぎで早期退職して大川村に移住した。海の町で育った文人さんは大川村のあまりの山深さに驚くも、山暮らしに抵抗はなかった。

千代子さんは隣接する土佐町で看護師の仕事を続けるが、文人さんは烏骨鶏の飼育を開始。ホームページ「烏骨鶏の山小屋」を開設し、ネットで卵の販売を始めた。

こうした大川村での暮らしの傍らで、川上さん夫妻は自宅の裏山の杉林を伐採して桜を植え始めた。

裏山に大量の桜を植えて祭りを発案

なぜ桜を植えようと思ったのか?そして、祭りを開催した理由は何か?祭りを主催する千代子さんに聞いた。

「自宅で所有している裏山が雨で崩れるのを防ぐため、手入れがされていなかった山の大量の木を間伐したんです。当時、私は村内に咲く四季折々の花を撮影してブログに投稿していたので、伐採した跡には花を植えたいと思いました。その時、大川村には桜があまりないことに気付いたんです。桜を村に咲かせたい、その桜を村人に見てほしいという一心で、100本くらい植えましたね」

それから約10年、植えた桜は大きく育ち、花見ができるまでに成長した。また、桜以外にも、6万株の芝桜や2万本の菜の花・チューリップ・スイセン等を裏山に植えて育てた。そして、杉林だった裏山は、春になると一面が花で埋め尽くされる花園に生まれ変わった。ここで千代子さんは、「祭り」を開くことを思い付く。

自宅裏山に上田さくらなどの花々。毎年4月になると一斉に開花する。

「実は、あまり深く考えて始めたわけではないんです(笑)。そもそも、祭りとは何かも知りませんでしたからね。この花を多くの方々に見てほしいと思いながら、ふと、祭りを開いたらどうかとひらめいたんですよ。そのアイデアを、たまたま地域支援企画員として土佐町に来ていた高知県庁の方に話したところ、『ぜひやりましょう』と即答されたんです。そして、祭りを開く段取りや運営方法などを教えてくれたり、開催に向けて関係各所に働き掛けたりと、実現に向け動いてくれました」

個人のアイデアを行政が支援する事例はめったにないが、千代子さんの人柄と熱意、県庁職員の行動力がうまくかみ合い、祭りの準備が進み始めた。

大勢の来場者を集める「さくら祭り」の様子(2017年)。

増え続ける来場者

記念すべき第1回さくら祭りの開催日は、2014年4月6日に決まった。当初、祭りの立ち上げを支援した県庁職員は人がどれだけ集まるか不安そうだったが、千代子さんには開催前から手応えがあった。

嶺北は移住者同士の絆が強く、イベントには互いに参加し合う風土がある。また、友人が飲食店を出店することも決まった。ギターの生演奏をしてくれる人も現れた。運営をサポートする仲間やボランティアも集まった。そして当日、雪が降ったり雷が鳴る悪天候にもかかわらず約300人もの人が来場し、祭りを楽しんだ。

「とにかく、来てくれた人に楽しんでほしいという一心でした。餅つきや抽選会なども全て手作りでしたが、来てくれた人が笑顔になってくれてうれしかったです」

翌年以降も、川上さん夫妻は仲間とさくら祭りを継続する。第2回は、村の人口とほぼ同じ400人が来場。第3回からは、祭りの初日をオープニングイベントとし、そこから1週間は花を自由に見てもらう開放期間とした。4回目の昨年は、嶺北に住む著名ブロガーがさくら祭りを取り上げてくれたりして、来場者が600人を超えた。

「さくら祭り実行委員会」の会議の様子。川上千代子さんが会長となり、大川村とその近隣地区の若者十数人が祭りを運営している。

課題は解決するもの

そして第5回の今年は、大川村とその近隣地区から若者が十数人集まり「さくら祭り実行委員会」が立ち上がった。千代子さんを会長に役割分担を定め、祭りを組織的に運営する体制を整えた。隣町の温泉施設にポスターを掲示したり、山を一つ越えた愛媛県西条市のスーパーでチラシを配ったりと、宣伝にも力を注いだ。

また、多くの来場者にくつろいでもらうため、物置だった空き家を改修して休憩舎「さくら家」を新設した。これまで祭りの経費は全て川上さん夫妻が負担してきたが、さすがに改修費用は出せなかったのでクラウドファンディングで募集したら、何と259人から353万円の支援金が集まった。

こうした取り組みが実を結び、今年は、祭りが開催された4月8日から15日までの1週間で約2000人が来場した。祭りの様子は、地元のNHK高知のニュースのみならず全国放送の「あさイチ」でも取り上げられて知名度も向上、地域一帯を巻き込む一大イベントに成長した。こうした現状を、千代子さんはどう感じているのか?

「今年は特に、クラウドファンディングで集めた資金で休憩舎をつくったことが大きかったです。やればできるというサクセスストーリーが生まれて私たちが祭りにかける思いもアピールでき、大きな自信につながりました。もちろん課題も多くあります。でも、看護師をしていた私にとっては、課題は解決するもの。病気は何としても治そうと思うでしょう。課題に立ち向かって一つひとつ克服し解決してきたからこそ、ここまで祭りが大きくなったのではないでしょうか」

自分が楽しんでいれば人が集まる

ところで、個人主催の祭りとはいえ、これほど多くの人が集まる「さくら祭り」は、村や村民からどう見られているのか? 千代子さんに聞いた。

「もともとは村を元気にしたくて始めた祭りですので、村民に来てもらうだけでなく、村の農家にも祭りに出店して利益を出してほしいと考えていました。それで、大川村に幾つかある農業団体に声を掛けて出店をお願いしましたが、昨年まではどの団体も遠慮して、参加してくれなかったんです。こんな小さな村でも、共に村を盛り上げようと一致団結することは難しいと感じましたね。

でも今年は、『村のえき』が祭りに参加して、物品販売をしてくれました。村民の意識も少しずつ変わってきていると感じますので、もっと大勢の人が祭りに集まれば、村も自然に巻き込めると思っています。祭りの実行委員会には、村や嶺北だけでなく、高知市内や県外からの参加者もいます。祭りを通じて人の輪がどんどん広がっていくと、村も無視できなくなると思うんです」

では、さくら祭りに人が集まる理由を千代子さんはどう分析しているのか?

「特段の工夫をしているわけではないんですよ。考えるより先に体が動いてしまう性格なので、いろいろ行動するうちに、気が付いたら来場者が増えていたという印象です。私たち夫婦は、大勢の人が祭りに来て楽しんでいる姿を見るのがとてもうれしいんです。それと、大川村の方々に幸せになってほしいと心底思っています。こうした思いが伝わり、来てくれる人がいたらうれしいですね。

今では、さくら祭りをきっかけに、人が人を呼ぶ良い連鎖ができつつあります。例えば、群馬から大川村に移住して、村の地域おこし協力隊や集落支援員として活動している和田さんという若者がいます。彼は、さくら祭り実行委員会の事務局長として祭りをリードしてくれていますが、和田さんの人柄に引かれて祭りに関わる若者もいます。人が人を呼ぶ連鎖は、今後はもっと強く、太くなると思います。来年はもっと多くの人が集まりますよ」

人が人を呼ぶ連鎖は、移住者に人気がある地域に共通して見られる。魅力的な人がいる地域には人が集まり、交流が生まれ、その輪が広がって、人と物が活発に動くようになる。その流れを大川村に見た気がした。

村の中心部の小松集落に建つ村役場。周辺には公共機関や売店などが集まっている。

人とモノを大事にする

千代子さんの取材を終えた日の夜、さくらまつり実行委員会の定例会に同席した。集まったメンバー十数名はいずれも若者で、近隣の町村から駆け付けた人もいた。定例会では和田さんの進行のもと、会場部門、宣伝部門、進行部門の各リーダーから、祭りの反省や気付きなどが報告されたが、各自が率先して祭りを動かしている意識が感じられ、個人の祭りから地域の祭りへと育っていることが感じられた。

翌日の日曜には、これも川上さんが主催する「お茶摘みワークショップ」が開催され、若者を中心に30人ほどが川上さん宅を訪れた。川上夫妻は、祭り以外にも、お茶摘みや梅酒づくりなどの加工品の手作りワークショップを定期的に開催し、村外から多くの人を集めている。

「お茶摘みワークショップ」で、お茶の製造工程を説明する川上文人さん。ワークショップにも、村内外から多くの人が集まってくる。

ワークショップの合間を縫って、千代子さんと一緒にさくら祭りを支えている夫の文人さんにも、人集めにこだわる理由を聞いてみた。

「地域を元気にするには段階があると、常々思っているんですよ。最初から成果を出そうとしては駄目。まずは、住民が誇りを持てる村にしないと人も集まらないし、住民も戻らない。そのためには、人と物を大事にすることです。ワークショップを開いているのも、ここを人が集う場所にしたい、昔から栽培されてきた村の農産物にもっと目を向けてほしいという二つの思いがあるからです。さくら祭りのキャッチコピーは『出会いはTAKARA』。私たちは人を集めて出会いを生み出すことが本当に楽しいんです。自分自身が全力で楽しんでいれば、自然と人が集まりますよ」

文人さんの「全力で楽しんでいれば人は集まる」という言葉は、人を集める秘訣を聞いて自分が住む村の参考にしたいなどと考えていた私の心に響いた。

現在、全国の各地域では移住者の争奪合戦が活発に繰り広げられている。移住者獲得のため、補助金を出したり視察ツアーを開催するのも必要かもしれない。けれど、文人さんの言うとおり、住民が暮らしを楽しみ、人と物を大事に思い、住んでいることに誇りが持てる地域をつくることが先決ではないか?

それがなければ地域の魅力も伝わらず、人が人を呼ぶ連鎖も生まれない。今回の取材を通じて、そうした地域づくりの原点が確認できた。と同時に、大川村の将来がとても楽しみになった。

(おわり)

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』181号(2018年6月25日発行)の内容に、若干の修正を加えたものです。

>川上千代子さんと「さくら祭り」のツイッター

>「烏骨鶏の山小屋」ホームページ

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