伝統木構造で地域の文化を守りたい。佐賀県鹿島市「夢木香」の松尾進さん

集落の古民家の解体が最高の先生だった

哲学者の梅原猛氏は伝統構法について、「それは木や土の性質を見抜き、適材適所に生かす職人たちの知恵と手仕事による技の集積です。自然と共生する価値観に基づいたその技は、和の暮らしや日本文化の基盤でもあります」(「伝統を未来につなげる会」の会報誌『伝統を未来に』)と書いている。

世界に誇れるこの伝統技術が経済最優先の価値観によって今、危機に瀕していることは本誌でもたびたびお伝えしてきた。しかし全国には、日本の伝統技術を消滅させてなるものかと地道に活動している人たちがいる。その一人が、佐賀県鹿島市の山間部に事務所を構える「夢木香(ゆめきこう)」の松尾進さん(65)である。

木の特性を熟知している松尾進さん。

「私の家は鹿島市三河内の浅浦地区というところで、150戸くらいの集落です。鹿島市には古い建築物が多いのですが、特にここは半数ぐらいの家が築100年前後です。子どものころから自然に木造の和風建築に親しんできたわけです。

私は昭和46年に塩田工業高校の建築学科を卒業して、24歳の時に二級建築士の資格を取得しました。建築の仕事をしたいと思っていましたが、父親が小さな製材所を経営していたので、高校を出たあと製材所の跡取りとして働くようになりました。

佐賀県は農業県ですが三河内は耕作できる土地が少なく、いわゆる三反百姓で、主として林業の恩恵を受けてきた土地です。20代30代は私は製材所で造材の仕事をする傍ら、山に入って間伐や伐採、搬出に従事していました」

この経験が後年、建築士となった時に大変役に立つことになった。木は乾燥すればどんな曲がり方をするかなどを熟知することになったからである。

一般的に建築事務所を設立するには資格を取得してからベテランの設計士の事務所に弟子入りし、何年か修業した後に独立するのが普通だが、松尾さんにはこのような経験がない。

「浅浦地区は、昔から家の解体、屋根替や新築時の上棟は村の共同作業でした。集落の家が解体される時は、プロの大工さんに交じって大勢の住民が50人も100人も出て、手伝う習慣だったのです。私は子どものころからこの作業を見るのが好きで、学校を出てからは積極的に参加するようになりました。

何しろ古民家の解体は、柱や梁の木組みや構造を現場で学べる最高の先生だったのです。土壁や漆喰はどうなっているかも実際に見ることができますし、熟練の大工さんや左官さんもいろいろ教えてくれますので、私は伝統木構造の仕組みと技術を体で覚えたことになります」

会社設立後、初めての仕事だった言えの前に立つ松尾さん。

「夢木香」という会社を設立したのは2000年、47歳の時である。会社設立に当たって、松尾さんは、〝建築した家を100年後もメンテナンスできる会社にする〟と宣言した。つまり100年は持つ家を造るという覚悟であった。

「日本の住宅の平均寿命は30年です。これでは木の成長のサイクルと合いません。昔の家は100年持った。だから循環型の社会を形成できたのだと思います。浅浦地区の人々は山の木を切る時も、家を建てる時も、いつも子や孫の代を想定していたと思います」

幸運なことに、会社を設立して最初に受注したのが隣人の家の新築だった。

「親しい隣同士だったこともあって、丁寧に最高の家を造りました。完成見学会でも好評で、これが私のモデルハウスにもなりましたので、その後、順調に仕事が増えるきっかけになりました」

「夢木香」は今年で18年目になる。今では新築、古民家の再生、移築などを含めて年間5~6棟を受注している。会社設立後、これまでに約60棟を手掛けてきた。

「夢木香」の社員は現在9人。大工4人、左官が2人、残りが設計と事務。社員たちは伝統木構造に引かれて、松尾さんの元で修業したいと福岡や長崎から応募してきた人たちばかりである。

この小さな製材所が、松尾進さんの原点。写真は後継者である長男の松尾壮一郎さん。

志の高い施主によって伝統木構造は守られている

松尾さんは自分で手掛けた家を見てほしいと、3軒の家を案内してくれた。最初に訪ねたのは長崎街道に面した、かつて呉服店を営んでいた井手良治さん宅。

古民家に住む人の心構えを語る井出良治さん。

正確な建築月日は分からないが明治初期のころに建てられた家で、福岡で働いていた井手さんは、長らく空き家になっていた実家に50年ぶりに戻ってきた。

両親が亡くなって、空き家になった田舎の家を処分するという人も多いが、井手さんは違った。

「古民家を改装せず、処分したり新建材を使って在来工法でいま風の家にしていたら、私は後悔したと思います。日本の伝統的な古民家に住む人間は、たとえ文化財ではなくても、それなりに大切に守っていく責任があるような気がします。

先祖は呉服屋を商売にしていましたから、商家の造りになっていて、そのままでは決して便利ではない。古民家は暗い、寒い、使い勝手が悪いの三拍子がそろっていますから、松尾さんに相談しました。

玄関の三和土はコンクリートにはない柔らかな味がありますからそのまま残し、道路に面した前の蔵の部分は吹き抜けにして、2階にはちょっした回廊を造ってもらって、先祖が使った調度品を並べてまちかど博物館のようにしています。

暗かったキッチンには天窓を付けて明るくし、家の奥にあったトイレを居間の近くに持ってきました。家の中庭は昔の町家の趣をそのまま残しています。古民家であっても、台所や風呂はオール電化でエコキュートです。

松尾さんは、古いものを大切に守りながら、現代の利便性と上手に融合させて再生してくれました。この家を保存することで、小学校の生徒たちが、昔の人たちはこんな家に住んでいたんだという課外授業で訪ねてくれます」

井出さん宅は元呉服店。三和土には柔らかみがある。

太い梁は毎日見ても飽きがこないという。

伝統木構造の技術は、建築士や大工、左官や瓦の職人たちだけでなく、このような施主がいてこそ守られるのだろう。

次に訪ねたのが佐賀市郊外の工業団地にあるサガ電子工業株式会社。外観から見れば蔵元か民芸風のカフェといった趣だが、ここはアンテナを製造している会社だった。

小栁謙治社長は、住宅街にあった工場を新たに造成された工業団地に移転するに際して、従業員たちが穏やかな気持ちで働ける自然な環境を模索していた。古民家を移築したカフェに偶然入った時、「これだ!」と直感したという。

「日本の木造の家屋は人のこころを癒やしてくれる効果があると思っています。古民家風の工場を造りたいと思った私はネットで検索して、松尾さんが優れた技術を持っていることを知り、事務所を訪ねたのです」

と、小栁さんは松尾さんとの出会いを語る。

古いものには味があるという小栁謙治社長。

松尾さんは、来訪者が古民家に深い愛着を抱いていることがうれしかった。

「幸運なことに私の元に、使われなくなった武雄市の築1‌0‌0年の酒蔵と、西有田町の築80年の米蔵と納屋の活用をオーナーから相談されていたのです。小栁さんの希望にぴったりと思って現地に案内しました」

と松尾さんは言う。

話はとんとん拍子に進んで、3つの蔵と納屋は解体されて移築され、佐賀市郊外で新社屋として生まれ変わった。外見からだとここが工場とは誰も思わない。訪ねて来る客が、所番地は合っているのに会社が見つからないと、電話をかけてくることもあるという。

「以前、酒蔵を見学した時、ひんやりとした空気や重厚感のある床板や土壁に魅せられて、こんなところで仕事をしたらストレスも感じないだろうと思っていたので、理想的な工場ができて満足しています。

以前の工場では大容量のエアコンを使っていましたが、今は厚さが18㎝もある土壁の調湿効果で、夏場の蒸し暑さを快適に抑え、水クーラーと天井扇で間に合っています」

と小栁社長。

蔵元と見間違うサガ電子工業株式会社の外観。

古い蔵は解体しても、ほとんど捨てるところはなかったという。壁の土も運んできて、新しい土を混ぜて使った。蔵の束石や1万枚の瓦も、中庭や外構でおしゃれなエクステリアやガーデニングの敷石として再利用されている。

小栁社長は、もともと古いものに価値を見いだし、伝承されてきたものを大切にするタイプだった。古い日本の建築物に関心のある二人が遭遇して、新鮮な空間をつくり上げたのだった。

4つの蔵が配された工場で、最新鋭のアンテナが製造されている。

最後に訪ねたのは石井樋(いしいび)公園の近くの住宅街に新築された江島忠麿さん宅だった。

施主の江島さんは、家を建てようと決心してからはあらゆる住宅展示場に足を運んだという。住宅雑誌や専門書も買い込んだ。ハウスメーカーの営業マンとも会った。しかし、最終的に、合板を使用している在来工法の家は拒否した。

「ハウスメーカーの人は、伝統的な木造の家は工期が長い、建設費が高い、設計が古くさいなど欠点を指摘するのですが、展示場に並んでいるモデルハウスは見かけはおしゃれでも、よくよく点検すれば外側だけきれいに装っているのが分かります。どんな家が安全で快適で長持ちするのかを勉強すれば、伝統木構造の家にたどり着くのは必然なんです」

シンプル・イズ・ベストの江島さん宅の外観。

江島さん宅は外見はシンプルだが安定感がある。中に入ると、木の香りが家中に漂っている。見上げれば天井板で隠していない太い梁が見える。

「伝統的な建築は何よりも精神の安定をもたらしてくれるような気がするのです」

と江島さんは語るのだった。

3軒の家を回って感じたことは、何よりも施主が建築士を信頼していることであった。万一不都合が生じてもすぐに駆け付けてくれるだろう松尾さんに、全幅の信頼を置いていた。

松尾さんは100年後にも責任を持ってメンテナンスを行うと宣言しているのだから当然かもしれないが、施主と施工者の信頼が伝統的建築の何よりの基盤になっていると感じた。

梁は天井板で隠さないのが伝統木構造の特長の一つ。

松尾さんの取材を終えて、危機的状況といわれている伝統木構造だが、未来は必ずしも暗くないと感じた。着工件数ではプレカット工法に及ばないが、国産材を使って伝統木構造で建てた家に住みたいという人は少数派ながら確実にいるのである。

日本はITやロボットなど先端産業ばかりに目が行くようだが、本当に世界に誇れるのは千数百年も堅牢さを保つ木造の建築技術なのであると、あらためて思ったことである。

江島さん夫妻は松尾さんとの出会いに感謝していた。

(おわり)

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』181号(2018年6月25日発行)の内容に、若干の修正を加えたものです。

>「夢木香」ホームページ

>「サガ電子工業株式会社」ホームページ

>地域づくり情報誌『かがり火』ホームページ(定期購読のお申し込みもコチラから)