静岡市清水森林公園“やすらぎの森”復活写真日記 〜「NPO法人複合力」事務局担当理事・松永茂春さんの地域おこし〜

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』176号(2017年8月25日発行)掲載の内容に、若干の修正を加えたものです。

夢の新事業を共に立ち上げた友人

静岡県は世界遺産の富士山をはじめ、修善寺などの有名温泉地、景勝地の三保の松原、レトロな風情が人気の大井川鉄道など有名な観光地が多いから、この旧清水市両河内・西里地区にある清水森林公園〝やすらぎの森〟の復活作戦が、全国的な話題になることはあまりない。

しかし、ここで奮闘努力しているのは、本誌と旧知の間柄で、一時は斬新なアイデアで新事業を共に立ち上げようとした友人の松永茂春さん(67)なので、ちょっとひいき目にご報告させていただきたい。

余談ながら新事業というのは、『かがり火』の取材で蓄積された人物情報をベースにした旅情報の提供だった。

本誌が取り上げた面白人物や特技を持つキーパーソン、その土地ならではの食や特産物の情報を編集部が独占しているのはもったいない、もっと公的に公開したいと考えて、JTBや近ツリとはひと味違う旅行を提案したいと考えた。

題して「ふるさとの名人ガイド」。

例えば、一般の観光旅行とは違う旅をしたい人が、行きたい土地をクリックすると、その土地の名人たちがたちどころに現れるというものである。いうなれば〝ぐるなび〟の人物版である。

お仕着せの観光旅行に飽き足らない人たちには受けると考えて、山形県飯豊地区をモデル地区としてデモ用のCDを作成したが、なかなかの評判だった。

事業のネックとなったのが、肝心の名人たちにパソコンを操作しない人が多く、旅行者と受け入れ先の中継機能に解決策が見いだせなかった。

何しろ20年も前のことなので、あのころは通信速度も遅く、容量も小さく、音声や映像情報は限られていた。今なら十分通用すると思うけれど、まだスマートフォンもなかった時代なので断念せざるを得なかった。

広告制作会社に勤務していた松永さんは、このプロジェクトの中心人物の一人だった。今となっては昔物語だが、成功していれば本誌はかなりリッチになっていただろう(ということにしておく)。

東京にいた時よりも生き生きしている松永茂春さん。

このプロジェクトが挫折した後、松永さんは毎日パソコンの画面とにらめっこしたことがたたって体調を崩し、定年を前に長期療養に入り退職した。

そして、第二の人生を旧清水市の実家に近い〝水源の里・両河内〟西里地区に居を構えたのである。

集落デビューは1本の手拭いから

「勤務先は千代田区の番町で自宅は千葉県船橋市でしたが、東京の生活はかなりなストレスでした。体への刺激の強すぎる東京を離れて生まれ故郷の清水に戻ろうと、家探しをしていたら、市街地からかなり山側に入った両河内・西里に古民家が見つかったというわけです。

地域づくりに取り組む気などはまったくなく、好きな書や水墨画などを描いて暮らしたいと思って移住しました。たまたま見つかった家が、森林公園のエリア内にあったのが問題でした」

200人の親子連れが参加した今年の田植え。

静岡市清水森林公園〝やすらぎの森〟は、興津川の上流にあり、点在する村里や広大な森林や清流を含むオープンランドスケープ型の公園である。

グリーンツーリズムの拠点として旧清水市唯一の森林公園で、平成2年の開園当初は年間30万人以上も訪れていたが、静岡市と吸収されるように合併して政令都市の一部となった後は、市の管理も行き届かなくなったせいか、今では施設も老朽化し訪れる客は半減した。

復旧には大きな予算がかかる木製のつり橋などは、通行禁止の立て札が立てられ放置されてから2年になる。

「小さな会社の退職金などは知れたものですから本当は賃貸を希望したのですが貸家は皆無で、家は買うしかなかったのです。そうなると地域にも愛着が湧いてきます。自分の住む地域が衰退の一途となると、つまらない損得勘定も湧いてきて黙って見ていられない気持ちになってしまったのでしょうね……」

松永さんの住む西里の上黒川集落は11戸の戸数である。

「たまたま向かいに住んでいた方も東京からの移住者でした。彼のアドバイスで手拭いを持って全戸を回り、2カ月に1回開かれる〝庚申さん〟の寄り合いに顔を出したのが集落デビューです」

松永さんに幸運だったのは、寄り合いに出席する人に酒好きな人が多かったことである。松永さんはかなり飲ん兵衛なので集落の人たちと打ち解けるのも早かった。

「こういう時は酒飲みにも利点があるもんだなと思いましたよ」

移住した1年目は住まいの改造に追われ、活動を始めたのは翌年の平成24年からだった。

難儀な草取り作業もイベントにしてしまう会いで会いで一気に解決。

勤めていた時より忙しい田舎暮らし

「NPOを立ち上げて、皆で〝公園みがき〟を始めてみるか?という話は自然に生まれました。このままでは、都市部に出て行った子どもたちが戻ってきても、がっかりするだろうという気持ちは住民の共通認識だったので、何かやろうということになりました。何かきっかけがあれば行動を起こしたいと集落の人たちは考えていたようです」

順調に生育している酒米「亀の尾」を見回る松永さん。

松永さんは年齢の割にはパソコンに詳しいし、デザインもできる。現役のころは大手広告代理店と数々のプロジェクトを立ち上げてきたから、事務局担当にはぴったりだった。

「この6年間、いろいろやってきましたが新しいアイデアなどは一つもありません。全部、『かがり火』に出ていたこと、他の地域で成功していることばかりです。ただ地域づくりは地域の人、街場に住む人、企業の力、行政の力などあらゆる力を合わせないと実現できないと考え、名称を『複合力』にしたのです」。

平成24年12月に「NPO法人複合力」を設立し、5年が過ぎた。よくもここまで手掛けたものだと感嘆するほど多くの事業を実施してきた。

手始めは3000㎡の休耕田を再生させ、無農薬無化学肥料でお米を栽培した。

静岡県立大学の協力を得て薬草・ハーブなどの開発プロジェクトをスタートさせ、静岡市の中山間地振興のための助成事業「両河内これ一番事業」を受託した。

空き農家を借りて「貸し切り古民家〝安来里〟(あぐり)」と名付けてたまり場とし、街場の人には1泊1000円で貸し出した。ただし宿泊業の許可は得ていないから、布団や食事の提供はない。

貸し切り古民家「安来里」はNPOの拠点であると同時に、一般にも貸し出している。

平成26年は活動拠点に成長させるべく多機能型実験ショップ「como(コモ)」をオープン、地元の青島みかんや静岡茶などをフレーバーにした常時6種のジェラートを販売、放置されていた竹杉林を間伐して循環型の地域資源化する試みにも取り組んだ。

平成27年には、やすらぎの森「面白ふしぎマップ」を制作、松永さんは地元の歴史を調べて、自ら歴ジイを名乗るまで詳しくなった。

このころになるとNPOの実績を静岡市も評価、市の「協働パイロット事業」移住コンシェルジェとして認定した。

平成28年は市街地団体や地元企業と協力し、〝やすらぎの森〟に約1500名を集めた里山フェスタを共同開催、3校合併が取りざたされ始めた地域の小学生80人を〝夢〟気球で空に上げた。

染め物体験ができる工房の新設、再開墾した田畑も10000㎡に広がり、市民のボランティアの力で生産した大麦や酒米を使って地ビールやお酒トラストも始めた。短期間でよくここまで多くの事業を実施したものだ。

田んぼに水が流れているかどうか、水路の点検も松永さんの仕事。

本物のふるさとの名人になった

松永さんは飼っているやぎのさっちゃんを連れて集落を案内してくれた。

さっちゃんは、正露丸の大きいようなふんをするので、そのたびに松永さんは持参したほうきで掃いて始末する。集落の誰からも苦情が出ないように配慮している。さっちゃんの乳でジェラートの新メニューを開発中だという。

ジェラート用の乳を提供してくれる〝さっちゃん〟の散歩に、ほうきは必需品。

田んぼでは作付けした酒米「亀の尾」が青々と伸びていた。収穫したお米は地元の「臥龍梅」で有名な三和酒造に委託して純米大吟醸を造る予定だという。

夏休みに入ったせいか、あちこちで家族連れが川遊びをしている。その子どもたちが面白がってダムをつくったので田んぼの水路に水が流れなくなっていた。そういう個所を発見して、取り除くのも松永さんの毎日の仕事である。

「乳搾りも仲間が毎日やってくれています。仲間やボランティアの方々がいるおかげでやれています。それでも毎日やることがいっぱいで、正月以来、自宅の片付けにも手が回らない状態です」

かつて「ふるさとの名人ガイド」を一緒に立ち上げた松永さんは、いつの間にかご本人がふるさとの名人になっていた。

地元外からの応援団が多いため体験工房の棟上げも簡単にできてしまった。
「複合力」は地元の小・中学校と提携してイベントを仕掛けるのも得意である。
お酒取らすとでは1万円の会費で100人募集した。
地元の小学生80人を空に上げた“夢”気球。

(おわり)

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