大企業を早期退職して郷里・南伊豆町のために奮闘する土屋諭さん

故郷の風景が頭から離れなかった

伊豆半島の南端、石廊崎を抱える南伊豆町の中心に、会員の名前が書かれた看板が立っている田んぼがある。数年前まで耕作放棄地だった草ぼうぼうの田んぼを復田したものだ。

良質な田んぼが荒れ放題なのはもったいないだけでなく、見た目も美しくないと住民の一人が立ち上がった。その住民というのは27年間の東京生活を切り上げて帰郷した土屋諭さん(66)である。

「私は、1970年に下田南高等学校を卒業してKDD(現KDDI)に入社しました。KDDは日本電信電話公社(現NTT)から分離した国際通信を担う会社です。私の仕事は大手企業の国際通信費削減のコンサルタントや企業内ネットワーク構築などで、あのテロで破壊されたニューヨークの世界貿易センタービルにも勤務したことがあります」

ニューヨークの真ん中で働いていても、土屋さんの頭からは故郷の美しい風景が離れることはなかった。目を閉じれば少年時代に泳いだ弓ヶ浜や、青野川沿いの早咲きの桜並木が浮かんだ。

お盆と正月に帰省していたが、帰るたびに過疎化、高齢化が進み、主力産業の観光が衰退している様子を目にするのは寂しかった。

「南伊豆町は熱海、伊東、熱川、河津、修善寺、堂ヶ島といった有名観光地ほどのにぎわいはありませんが、目玉はやはり下賀茂温泉です。ところが、帰省するたびに旅館やホテルが廃業しているのです。他の温泉地との競争に後れを取ってしまったのだと思います」

生まれ故郷のために何かできないかという考えが、心のどこかに芽生えていた。

大手企業に勤務した人の多くは、大過なく定年を迎えて、高額の退職金と企業年金で悠々自適の老後を過ごす人が多いが、土屋さんはそれでは飽き足りないと思うタイプだった。

町を元気にしたいとまちづくりに取り組む右から吉田謹治さん、土屋諭さん、渡邊純平さん。

南伊豆町ににぎわいを取り戻すには、首都圏からの旅行客を増やすしかないと考えて、旅行会社の設立を思い付き、会社に籍を置いたまま46歳の時に総合旅行業務取扱管理者の資格を取得した。

「資格を取った翌年、KDDを退職してサーフシティ・クリエイションという有限会社を設立したんです。伊豆の海と都市を結ぶという意味を込めての命名です。分厚い社員名簿から、南伊豆町に来てほしいと願って、OBを中心に約5000名にダイレクトメールを発送したのですが、反応はすぐにありました」

毎年海外旅行を楽しんでいるOBから韓国へ80人の団体旅行の手配を頼むという依頼だった。

いきなり大きな仕事の依頼で慌てた。旅行業務の資格は得たものの、ホテルや飛行機の手配など、実務経験が全くなかったので、親しくしていたJTBの新宿支店の協力で何とか切り抜けた。

しかし、この旅行が成功して、KDDのOBを中心に次から次へと仕事が入ってくるようになった。南伊豆へのツアーも企画して、新会社は瞬く間に軌道に乗った。

「あれよあれよという間に業績が上がって、3年たったころは1億円の売上で、3000万円の利益が出てしまったんです。ここでおとなしく南伊豆町に帰っていれば、その後の人生は順風満帆だったと思うのですが、つい調子に乗って音楽イベントに手を出してしまったんです」

土屋さんは加山雄三ショーをプロデュースしたのである。

高校生のころから加山さんのファンだった土屋さんは、光進丸(先日の火災で沈没)に乗って加山雄三さんがたびたび下田に寄港するので、親しくなっていた。

イベントは最初の数回は客を集めたものの、次第に集客が厳しくなり、ついに会社は赤字に転落してしまった。これでは郷里に貢献するどころではなく、帰省も困難になりかかった。

そんな折、仕事を通じて関係のあった大手旅行会社の提案があって会社を売却、借金を返済してなおお釣りがきた。回り道をしたものの、2010年に南伊豆町へ帰った。

田んぼのオーナー会員の名前が書かれた看板が立っている「MY田んぼ」。

慣れない手つきで耕作放棄地の草刈りをした

故郷への帰還に当たって、あらためて伊豆半島の隅から隅まで歩き回ってみた。

狭い山道を入っていくと多くの集落があり、豊かな自然の中で伝統的な営みがあった。訪れる観光客もめったにいない美しい海岸もあった。

南伊豆町には有名観光地のような混雑はない代わりに、落ち着いた暮らしと素朴な景観があり、観光を柱に町は再生できると確信した。

どうしても気になったのは、草ぼうぼうの耕作放棄地だった。

幹線道路からも見える荒れ地は訪れる客にもいい印象を与えない。そんな気持ちを相談した相手は、幼稚園から中学まで一緒だった吉田謹治さん(本誌支局長。『かがり火』168号の連載エッセーに登場)だった。

「中学を卒業以来、吉田謹治君との接触はありませんでしたが、直売所を創設して運営責任者になっているという情報は入っていました。山に囲まれた狭い農地で、農業だけで生活を築いてきたことは尊敬に値することです。また、衰退する南伊豆を何とかしようという思いは、私と一緒でした」

と土屋さんはいう。

吉田さんは、トマトとキュウリを中心に栽培する農家だが、13年前に地元住民に出資を募って、直売所をオープン、現在は「NPO法人南伊豆湯の花」の理事長を務めている。

吉田さんは、土屋さんの帰郷を歓迎したが、郷里のために何かやりたいという土屋さんに、行動を起こす前に町の状況と住民の気持ちを理解するために直売所でアルバイトをすることを勧めた。

生産農家や買い物に来る人たちを観察し交流することで、町に何が足りないのか、どんなサポートが必要なのかおのずから分かるだろうという提案だった。

「湯の花」は、農産物の販売だけではなく、生産者たち同士の交流の場所であり、情報の集積地となっていた。

農林水産物直売所「湯の花」は、いまや南伊豆町いちばんの刊行スポットである。

アルバイトをしながら土屋さんが立てた計画は、耕作放棄地を復田し、会員を募集して、田んぼのオーナーになってもらうことだった。そのためにはまず草刈りをして田植えができるようにしなければならない。

「草刈り機を扱うのは初めてで、草刈り中に小石が飛んできたりで何度も危ない目に遭いました。ある時、腐食した猪よけのメッシュ(五寸釘くらいの太さの鉄筋で升目に作られたもの)に回転する刈刃が当たり、5㎝くらいの釘状の破片が右膝の皿の上に刺さって5日ほど歩けなくなったことがあります。

昨年は、田んぼの代掻き中にトラクターがはまり込み、下田市のクレーン業者に大型クレーンで引き上げてもらいました。田植えの時には乗用式4条植え田植え機が横転し、またまたクレーン車で引き上げてもらいました。クレーン会社から、〝これから土屋さん専用の回数券を出しましょうか〟と言われたほどです」

このような奮闘があって、「MY田んぼ」が発足した。

会員の募集は、「湯の花」が発行しているチラシやDMを活用して「湯の花」の渡邊純平店長が力を発揮してくれた。

「MY田んぼ」の年会費は2万8000円。これで、大人一人が年間消費するとされる60㎏の減農薬無化学肥料のお米を届けるというものである。昨年は39契約の会員が集まった。

「会員には田植えや稲刈りに参加してもらいますが、その後の草取りや水の管理など農作業のほとんどは私たちがやります。この企画は耕作放棄地の整備にもなり、都市住民に南伊豆町の魅力を知ってもらうこともでき、地元との交流にもなりますのでメリットは大きいと思っています」

と土屋さんは語る。

会員の家族も参加して行う田植えは、壮観。

農業は初めての女性たちが重要な労働力

「MY田んぼ」を維持、管理するには人手が要る。土屋さんは再び、南伊豆プロモーションという有限会社を設立した。

土屋さんがユニークだったのは、同時にウーマンパワー・アグリ倶楽部(W・P・A・C)を設立したことである。

農業者は高齢化で担い手が減少している。若者たちは都市部に出て行って帰ってこない。しかし、MY田んぼの田植え─稲刈り─乾燥─精米─保管などは自分一人ではできない。

その時、ひらめいたのは若いお母さんたちの労働力だった。農業には素人だが、子育て中の若いお母さんたちは、子どもが幼稚園や小学校に行っている時間に働いて、少しでも収入を得たいと考えているに違いないと思ったのである。

予想は見事に的中し、当初4人の応募があり、現在は5人になった。

●倶楽部リーダー/笠井直子(かさい なおこ)43歳:子育てが終わり、現在、直売所の加工部に勤務。トラクターのオペレーター。

●藤原藍子(ふじわら あいこ)37歳:小学1年生の子育て中。耕運機とコンバインのオペレーター。

●鈴木理香(すずき りか)32歳:保育園児2人の子育て中。直売所店員。コンバインのオペレーター。

●櫻田ゆみ(さくらだ ゆみ)30歳:小学1年生と幼稚園児の子育て中。冬季以外は海女さん。トラクターと耕運機のオペレーター。

●監事/山本弘子(やまもと ひろこ)65歳:草取り名人。

全員が農業はほとんどしたことがなかった。しかし、農機具の操作を教えると難なくマスターしてしまった。

何より農業の醍醐味にはまってしまったようだ。

農作業はすべてこなす、頼りになる笠井直子さん。

藤原さんと櫻田さんは土屋さんのハウスで立派なホウレンソウを栽培し、直売所の「湯の花」で「あい子とゆみのほうれん草」として並べたら、たちまち売り切れる人気商品となった。また、町内のレストランや食堂からの注文も多い。

彼女たちは、子どもが学校から帰って来る時間には家に戻れるので、この仕事を気に入っている。

ホウレンソウの栽培も上手な藤原藍子さん。

大瀬の集落に住む櫻田ゆみさんは、農業のほかに海女さんもやっている。東京の練馬出身だが、海が好きで遊びに来ているうちに、介護福祉士をやっているご主人と知り合って結婚した。

大瀬は伊豆の中でも飛びきり海がきれいなところで、ここで義母が海女さんをやっていたので、それを学んでシーズンには海に潜っている。採れたアワビやサザエは直売所に出すとすぐに売り切れる。

海と山のある豊かな自然の中で、子どもを育て、田を耕し、海に潜れて、つくづく南伊豆町に嫁いだ幸せを感じているという。

海女さんをしながらトラクターも運転する櫻田ゆみさん。

さて、「MY田んぼ」の収支はどうなっているのだろう。

昨年は39件の契約があり、

・契約料(年間)=2万8000円×29契約=81万2000円

・契約料=2万5000円(3契約以上のお客様1契約につき)×7契約=17万5000円

・契約料=5万円(ふるさと納税のお客様1契約につき)×3契約=15万円

・田植体験料=500円×71名=3万5500円

・稲刈り体験料=500円×59名=2万9500円で、

収入合計は120万2000円

支出は、賄いを手伝ってくれた老人会への日当、湯の花直売所の職員への日当、イベントの際の経費などで、支出合計は124万1790円。3万9790円の赤字だった。この赤字はNPO法人南伊豆湯の花が負担した。

有限会社南伊豆プロモーションの収支はどうなのだろう。

「これはもう最初から利益を出すことは考えていませんので、収支は問題外です。私は暮らしていける程度のお金さえあればいいので、旅行会社を売却したお金や貯金は、南伊豆町のために働いてくれる女性スタッフに還元できればいいと思っています」

利益を生み出すことを目的にしない、志の高い会社もあるのである。

(おわり)

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』180号(2018年4月25日発行)掲載の内容に、若干の修正を加えたものです。

>「農林水産物直売所 湯の花」ホームページ