【第1回】そんな生き方あったんや!「手段ではなく目的を生きる」写真家・井口康弘さん

何をするにも息抜きは重要。長い時間をかけて取り組む「地域づくり」においてはなおさらです。『かがり火』にも、ちょっとゆるめな「息抜きページ」があってもいいなあ……。

そんな編集部の意向を受けて、「ゆるめ担当」を仰せ付かった杉原がホスト役となり、連続対談がスタートすることになりました。

タイトルは「ちょっとゆるめな連続対談『そんな生き方あったんや!』」。

杉原が思わず「そんな生き方あったんや!」と影響を受けた方々に登場いただき、ざっくばらんにお話を伺います。

最初のゲストは、立教大学大学院で出会った学友、井口康弘さん。「ゆるい」という言葉を聞いて、一番最初に思い浮かんだ自由人です。

記念すべきお一人目ということで、前編、後編にわたってお届けします。この連載が続くかどうかは、まさに彼の双肩にかかっているのであります(笑)。

対談場所は、西東京市にあるクラフトビールの店「ヤギサワバル」の個室。オーナーの大谷剛志さん(『かがり火』172号に登場)も、少しだけ対談に加わってくれました。

ゲストの井口康弘さん(左)とホストの杉原学。

【プロフィール】

井口 康弘(いぐち やすひろ)1983年信州生まれ。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科博士課程前期課程修了。哲学専攻。現在はYASUHIRO IGUCHI STUDIOという屋号名で個人事業を展開。写真展、レザークラフトのワークショップ、台湾先住民族の栽培する珈琲の紹介イベント、アイヌ民族の記録映像作成などを行う。2017年6月から仲間と共に「YAGISAWA LAB」(陶芸、縫い物、レザークラフトなどの手作り工房)をオープン。

杉原 学(すぎはら まなぶ)1977年大阪生まれ。四天王寺国際仏教大学(現四天王寺大学)文学部社会学科中退。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科博士課程前期課程修了。哲学専攻。30以上の職種を経験し、現在はエッセイの執筆、時間論の研究などを行う。単著に『考えない論』(杉原白秋著、アルマット)、共著に『半市場経済』(内山節編著、角川新書。第三章執筆)がある。世界で最も非生産的な会議「高等遊民会議」世話人。

<前編>

「ニートの日」に生まれて

杉原 ……そんなわけで、井口君に来ていただきました。よろしくお願いします。

井口 よろしくお願いします。

杉原 じゃあ井口君の生い立ちを簡単に教えてもらっていいですか。

井口 はい。生まれは長野県の 飯田市。1983年2月10日、「ニートの日」に(笑)。

杉原 運命づけられてるやん(笑)。

井口 ニートの星のもとに生まれ、はい。もうあらがいようのない定めですね(笑)。

杉原 しょうがないですね。労働なんかやってるわけがない(笑)。

井口 ……(笑)。

杉原 「ニートの日」生まれか。お母さん泣いたやろなあ。

大谷 そのころニートって言葉ないよ。

杉原 そっか(笑)。

「無題」というテーマ

杉原 いつも自己紹介では何て言ってんの?

井口 それはもう相手によりますね。最近台湾で写真展とかやらせてもらっているので、そういう関係者だったらもちろん「フォトグラファーをやらせていただいております」ってなりますけど。でもやっぱり自分の中では、肩書とかそういうものって「記号でしかない」みたいな……。

杉原 肩書は記号でしかない。

井口 ……そう、19歳の時に入れた、この「UNTITLED」というタトゥーがあるんですけど。

杉原 ああ、右手の人さし指に入ってる。

「無題」を意味するタトゥー。

井口 そうですね。19歳のころからたぶん、同じようなことが頭にあったのかもしれないですね。

杉原 「UNTITLED(アンタイトルド)」。つまり……。

井口 「無題」という。

杉原 その時からそういうの意識してたの? 肩書に縛られない、みたいな。

井口 たぶんあったんだと思いますね。何か意味づけしたり、縛るようなものから解放されたい、みたいな。その時は単純に、生きていく上でいろんな「常識」があり過ぎて、そこにのみ込まれていきそうな感じがあったので、ちょっとあらがいたかったんだと思います(笑)。ま、「無題という題」と言われてしまえば、そうなんですけど。

杉原 「無印良品」というブランド、みたいな。

井口 まさに(笑)。「無印」ってもうブランドじゃん、っていう。

杉原 でも何かそういう潜在的な思い、欲求みたいなものが、どこかで自分を動かしてるみたいなところがあるんやろな、きっと。

井口 うん。

無駄なことをしながら生きたい

杉原 その19歳のころに大学を休学して、ワーキングホリデーでカナダに行ったんや。

井口 そうですね。「ワーキングホリデー」といいながら、僕は何も仕事をしなかったんですが(笑)。

杉原 ただのホリデーやん(笑)。それもアリなんや。

井口 アリですアリです。8カ月行って、大学に復学して。それから「もう1年休もう」と思って(笑)。

杉原 「もう1年休もう」(笑)。

井口 はい(笑)。もう1年休んで、今度はバックパッカーでオーストラリアとアジアを回って。大学最後の年は、交換留学でマカオ大学に。

杉原 けっこういろいろやってるなあ。で、就活はせーへんかったんや。

井口 しないですね。まあコネで1回就職したんですけど。

杉原 何で立教の大学院に入ったんやっけ?

井口 やっぱり仕事をしてて、要はお金を稼ぐためにしてたんですけど、「生活するためにお金を稼ぐ」みたいなことが全然しっくりこなくて。何かもっと無駄なことをしたかったですね。無駄なことをしながら生きて……。

杉原 無駄なことっていうのは?

井口 何の生産性もないようなことですね。やっぱり何かをしてる時って、それが手段になりがちじゃないですか。例えば、本当はお金が欲しいけど、お金を稼ぐために会社に行くとか。会社に行くことが目的じゃなくて、手段じゃないですか、お金を稼ぐための。だからそういう手段じゃなくて、目的自体を日々しながら生きていたかったというか。

だから大学院に通ってた時とか、卒業した後もそうなんですけど、「何で大学院に行ったの?」とか、「それで何かに役立つの?」「その後どうすんの?」みたいなことを聞かれて。でも、全然そんなこと考えてませんっていう。大学院で勉強するっていう、それ自体が目的というか。それ自体が喜びであって、別にそれを何かに生かそうとかって考えてない、みたいな。

杉原 大学院に行ったのは大きかった?

井口 大きかったですね。最初の研究計画書から、けっこう変わったというか。もともとバックパッカーをテーマに、とは考えてたんですけど。それをどういう視点で見るかっていうところが変わって。

もともとは、すごく自由を謳歌して、わが道を行く、自立した、可能性に満ちあふれた存在としてバックパッカーを論じようと思ってたんですよ。でも「どこか無理があるなー」と、何かひっかかりを感じていて。その漠然とした感覚に、担当教授の内山節先生が言葉を与えてくれたというか。

杉原 端的に言うと、その「バックパッカー観」はどう変化したの?

井口 「バックパッカー観」が変わったというより、「バックパッカーを生み出す日本社会」のほうに焦点が移っていったんですよね。

杉原 なるほど。「バックパッカー」そのものではなくて、「それを生み出している社会」に視点が移った。

井口 うん。バックパッカーになる理由も人それぞれで、「自由を求めて」とかもあると思うんですけど、他にそういう経験をすることで「その後の就活に役立つ」とか、「経験値が上がる」みたいなのとか。

そういう「就活に生かせるから」とかっていうのも、ちょっとこう、納得のいかない社会の力学というか。何かこう、「常に進歩してないといけない」とか、「社会的に有能な人間でなければいけない」とか……。

杉原 修士論文のタイトルは何やったっけ?

井口 「近現代における自己存在に関する一考察〜〝バックパッカー〟〝外こもり〟の自分探しの超克にみる関係的自己という地平〜」

杉原 ……長いな!

井口 ははは。時代によってバックパッカーも変わってきてるとは思うんですけど。僕が行ってたころはどうしても「自分探し」みたいな感じで。そういう「ひととは違う自分」とか、「確固とした自分」を探させるようなものが、社会にあるんじゃないかなと思って。それが論文の問題意識だったんですけど。

各地の先住民族と親交のある井口氏(前列左から2人目)。マオリの権利回復に人生を捧げたT.W.ラタナの生誕祭「ラタナ祭」で、マオリ、アイヌの人々と(2013年、ニュージーランドで)。

「扶養に入っている安心感」

杉原 で、大学院を修了して。

井口 ……まあ特に何もしてないというか(笑)。

杉原 井口君はいつもそう言うけど(笑)、アートイベントに写真家として招待されたり、革製品を作ったり、台湾で個展を開いたり、先住民族の方々との交流を深めて、一緒にイベントに参加したり……。

井口 そうですね。相変わらず目的となることしかやってないというか。手段になることはやってないですね。

杉原 「手段になることはやらない」か。

井口 やらなくて済んでるっていうのは、いろんな人のおかげでもあるんですけど。

杉原 今って何するにも金がいるみたいなことで、全てが「金のため」になってることが多いやんか。そこから解放されてるところはあるよな。

井口 うん、うん。

杉原 自分でも小銭ちょくちょく稼いでるけど、やっぱり奥さんがけっこう支えてくれてるっていう感じはあるの?

井口 そうですね。家賃は全部払ってもらってるし。まあ「扶養に入ってる」っていうだけでも、安心感はありますね(笑)。

杉原 ははは。「扶養に入っている安心感」。それ見出しに使っていいかな。

杉原・井口 「扶養に入っている安心感」(笑)。

杉原 いいよな。『かがり火』発行人の菅原さんがメールで、「奥さんは『働いて』とか言わないの?」って。

井口 ははは。

杉原 奥さんは「生きててくれてたらそれでいい」みたいなこと言ってたんやろ?

井口 そうですね、言ってましたね(笑)。仏のような人ですね。

杉原 仏のような人(笑)。そっか、そういう文句は一切言えへんのや。

井口 「働いて」とか?言わないですねー。

杉原 今をときめく「ギンザシックス」に入ってる着物屋さんで店長をやっている……。

井口 そうみたいですね。まだ行ったことないですけど(笑)。

杉原 その井口君は、3カ月ぶりくらいに台湾から帰ってきて、その日にヤマダ電機でダイソンの掃除機を買ってくるという。「何で帰国初日にダイソン買ってきてんの!」とか言われたりせーへん?

井口 いや、全く言われないですね(笑)。

杉原 帰ってきて家にダイソンあって何か言ってなかった?

井口 ああ、「唯一吸引力の落ちない掃除機でしょ?」って(笑)。

杉原 ははは。「そうだよ」って?

井口 うん、ドヤ顔して。「おお、そうだよ」って。

杉原 (笑)。前に奥さんと一緒に飲んだ時に、「彼はお金がなくたって生きていける人だから」って。なかったらなかったで、それなりにやっていく力があるっていうか。だから奥さんも別に「あーせいこーせい」とか「金もってこい」的なことも言えへんし。ほんまにあれやな、「自由に生きて」っていう。

井口 そうですね(笑)。

2017年4〜6月、台湾で開催された井口さんの写真展。

「自由でありたい」という不自由

杉原 まさに仏教学者の佐々木閑さんが言ってた、「出家的な生き方」というか。出家っていうのは必ずしもお坊さんになることじゃなくて、ある種、俗世を離れて、自分の世界を追求しようとすることだと。

でもそうすると生産能力が低下するから、それを周りの人たちが支援する。そこには「自分の代わりにやってもらってる」みたいな気持ちがあって。そして出家した方は、応援してくれてる人に何らかの形で返していく。「こういう世界を見てきたよ」とか。

井口 そっかそっか。その返す作業がうまくできれば……。

杉原 でもけっこう井口君なんか、海外に行って、いろんな経験して。俺なんかも話を聞くの楽しみやし。だからそれだけでも一つあるよな、「還元されていく」っていう感じが。

周りの人たちは、「あ、そんなとこ行ってきたんだ」とか、「そんなことあったんだ」みたいな経験を、そこで共有できて。自分も行ってきたみたいな気分になって。旅芸人じゃないけど、まさに「旅を運んでくる」みたいな。そういう役割みたいなものがあるのかもしれんよな。

井口 周りの人がそう思ってくれれば、うれしいですけどね。いま杉原さんが言ったような、周りの人に還元できるかどうかっていうことは、最初はあまり考えてないんですよね、おそらく。ほんとに自分の、個人としてのやりたいことというか、自由を追求する「近代的な自由」みたいな。それもちょっと、常に葛藤がありますね。自由、自由と言いつつ、全然自由じゃない。一番やっかいな「自分」というものにとらわれてる不自由さ(笑)。

杉原 その「自分というものにとらわれる」っていうのは、「自由でなければならない」的な、逆にそれで縛られるみたいなこと? それはどういう時に感じるの?

井口 「自由でありたい」って思う時……。

杉原 あ、「自由でありたい」。

井口 うん。そこでいう「自由」っていうのは、やっぱり「自分の自由」なんですよ。「個人の自由」というか。だから「個人の自由」を追求していっても、どこかで常にむなしさがつきまといますよね。「自由になりたい」と思っている時点で自由ではないし、自由にはなれない、というか。

杉原 なるほど。井口君をそばで見てると、いかにも自由人なんやけれども、でも関わりのある人たちに求められた時っていうのは、むしろ積極的に応えようとするやんか。その時には、そういう「個人的な自由」とは違う働きというか、動きがあるわけやんか。

井口 確実にそっちのほうが居心地いいですよね。やっぱり「自分の自由」だと、枠がない感じなんですよね。

杉原 枠がない。

井口 だからこの世界が広いのか狭いのかも分かんないし……。

杉原 キリがない、みたいな。

井口 キリがない。そうですね。例えば、枠がなかったら、世界の広さが分かんないと思うんですけど。自分が例えば、物理的にすごい動き回ってるとしますね、自由に。で、このヤギサワバル周辺の柳沢(やぎさわ)の町が枠だと仮定してみたら、自分はすごい動き回ってるんですけど、でもその枠が実際は分かんないから、もしかしたら、太陽系という枠かもしれない。

そしたら、自分が物理的に動き回ってるのって、ほんと点でしかないから、どういう世界に自分がいるのか見当がつかないっていうか、捉えられないっていうか。だから「何してんだろ」みたいな。こんな動き回っても、「全然意味ないことしてんじゃない?」みたいな。何ていうか……。

杉原 むなしさみたいな。

井口 そうですね。ただその、誰かに何かを「やって」って言われた時って、枠が与えられるんですね。それが自分に合っていれば、そこを自在に動けるわけですよね。自由はその相手とか関係性に与えられるもので。それに対して自分がどうできるか、みたいな。

杉原 そっか。求められた時に、「相手が求めていること」っていう、一つの「枠」みたいなのができる。ほんでそれを、いかに満たすかっていう形になる。

井口 それは喜びですね、うん。うまくできれば。

写真展の準備をする井口氏。写真の背景には、複雑な「台湾と日本との歴史」への思いがある。

<後編>

ちょっとゆるめな連続対談「そんな生き方あったんや!」。記念すべき一人目のゲストは、肩書に縛られない生き方を実践する自由人、井口康弘さん。

<前編>では、彼が2月10日「ニートの日」に生まれたこと、意味づけから解放された「UNTITLED(無題)」な生き方への思い、バックパッカーを経て発見した「『自由でありたい』という不自由さ」、そして彼を支える奥さんの存在などについて伺いました。

<後編>では、彼の幸福観、先住民族の人々との関わり、自由観の変化、そしてこれからのことなどについて話していただきました。<前編>に引き続き対談場所を提供してくれた、西東京市にあるクラフトビールの店「ヤギサワバル」オーナーの大谷剛志さん(『かがり火』172号に登場)も、少しだけ対談に参加してくれています。

幸福感と有限性

井口 内山節先生の話で、どこかの村のおばあさんの話があって。「この村が世界で一番いい村だよ」って。でも結局そのおばあさん、村から出たことはほとんどない。いやーそのおばあさん、すごい幸せだなあと思うんですよね。でも、そこでは収まりきらない世界に、僕らはもう、何というか、追い出されてしまっているので(笑)。

杉原 幸福感みたいなのって、やっぱり有限性っていうものが前提にないと、ちょっと考えにくいよな。昔『海の上のピアニスト』っていう映画があって。ずっと海の上、その船の中でしか生きてない天才ピアニストの話で。やがて船を下りる機会が訪れて、地上ではもう成功が約束されてる。でも結局ギリギリで思いとどまって、船にまた戻っていくっていう話。

結局それは、船を下りた先の「無限の世界」に自分の幸せはなくて、「有限の世界」の中での人生を選んだ、っていうか。「ピアノの鍵盤は有限だからこそ、無限のメロディを奏でることができる」みたいなセリフがあった気がする。まあ、実際映画のメッセージがどうなのかは知らんけど、ことあるごとにそれを思い出すなあ。

井口 僕は生まれが長野の田舎ですけど、例えばウチの、じいちゃん、ばあちゃん世代だとやっぱり、ほぼ地元で生まれ、そんなに外に出ることもなく、地元で死んでいく。彼らの話を聞いたり、日々の生活を見てたら、今の僕からは信じられないような世界で。

やっぱり僕なんかは外に出て、いろんなことを見て、いろんなことを経験して、その中で自分が何ができるか、ということを大事だと思うし、楽しいとも思うし。もしくはそういう外のこととか、いろんな価値観とかを知らない人たちの優位に立つような、そういう嫌らしさも、どこかにあるのかもしれないですけど。

僕のおじいちゃんの妹に当たる人は、たぶん生まれた時から耳がほとんど聞こえなくて、脳の発達も遅かったみたいで。僕は生まれた時から一緒に住んでるんで、全然特別な感じはしてなかったんですけど。自分がいろいろ物事を考えるようになって、その人を見たり、思い返してみたりすると、日々の生活を淡々とこなしてるだけなんですよね。ほんっとに。でもすっごく幸せそうなんですよ。たぶん僕が行き着くことのできない世界に生きてるなあと思いました。

杉原 やっぱりそういう人を見てきた影響っていうのがあるのかな、ずっと。そういう人たちの生きてる世界に対する憧れみたいなのがどこかにあって。

井口 うん。何かきれいだなと単純に思ってしまいますね。そのまま亡くなっていくというか。もう亡くなったんですけど、その人は。

先住民族との関わり

杉原 井口君はいろんな先住民族と関わってるけど、例えばどういう民族の人たち? けっこう幅広い気がするけど。

井口 僕が実際に接点があるのは、日本のアイヌ民族と、ニュージーランドのマオリ、あとは台湾のいくつかの民族、アミ族、ブヌン族、パイワン族、ツォウ族……。顔を合わせただけだったら、タイヤル族とかも。あとオーストラリアのアボリジニーとか。

杉原 そういうのも、いわゆる「先住民族との関わり」っていうよりは、けっこう個人的なところから入ってるのよな。友達とか。そのへんが向こうにすると、安心感につながるんかな。

井口 ああ、確かに。特に写真をやってる人間とかっていうのは、先住民族を被写体として捉えて、飯のタネにするような……。普通はやっぱり警戒されるところはあると思います。

杉原 利用しに来てるんじゃないかと。

井口 うん。

杉原 そういう人たちとの関わりの中で、印象深いエピソードとかあれば。

井口 そうですね。アイヌと接点を持ったきっかけが、島田あけみっていう人なんですけど。首都圏に暮らすアイヌ民族として、いろんな活動をしている人で。10年くらい前に会ったのかな。ほんとに最初は、大学の先生の友達で、一緒に飲んでたりとか。カラオケめっちゃうまいんですよね、その人(笑)。

で、横浜のスペース・オルタっていうところで、毎年アイヌ感謝祭っていうのがあって。その打ち上げの時に、「ウチの母親もあけみっていうんですよ」っていう話をして(笑)。「ああ、あけみつながりだね」とか言ってて。その数日後に、僕の名前がやすひろっていうことを向こうが知ったらしくて。「いや、私の息子もやすひろなんだよ」って。

杉原 ほんまに?

井口 はい(笑)。別にどうでもいい偶然だけど、大きかったですね。年も自分の母親と同い年ぐらいだし、向こうのやすひろは、僕の2つくらい下なのかな。同じぐらいで。だからそれからは……。

杉原 ちょっと他人じゃないような感じあるよな。

井口 そうですよね。そんなきっかけで先住民族と接点ができたんですが、それから世界中の先住民族に興味を持ち始めてしまって。最近は台湾の先住民族の所によく行くんですが、そのつながりで、あけみさんと「ヤイレンカ」(アイヌのパフォーマンスグループ)を台湾の音楽祭に招待することになったり。ちょっと自分にもそういうつなぐような役割ができてうれしかったですね。

2016年に横浜のスペース・オルタで行われたアイヌ感謝祭にて。右はク・リムセ(弓の舞)、左はサロルン・リムセ(鶴の舞)。

つながりとしての「地域」

杉原 海外にはこれまで何カ国ぐらい行ったの?

井口 40カ国ぐらい……。

杉原 40カ国!すごいな。

井口 たぶん。数えてないですけど。

大谷 この地域づくり雑誌の『かがり火』と、世界をまたにかける井口氏と。メッセージとしては、どこが落としどころなんすか、杉原さん。

杉原 なんやその、「ちょっとうまいこと言った感」は(笑)。

大谷 うん、拾ってほしい(笑)。

杉原 (笑)。ヒッチハイクで全国の農山漁村を巡って、そこでの出会いから自分の仕事を生み出していった「つむぎや」代表の友廣裕一さん(『かがり火』135号に登場)いてるやん。彼が言ってたけど、「お世話になってきた人たちの集合体が、僕にとっての『地域』」(内山節編著『半市場経済』より)なんだって。たぶん、そういうことでいいんやろうなっていう気がする。

だから井口君は、世界各地の先住民族の人たちとつながりがあるけど、それも井口君にとってひとつの「地域」やと思うし。ほんでいろんな「地域」と関わりを持ってて、それぞれに大事な関係性があって。それを「国」とか、おっきなカテゴリーでやると、なんか抽象的になってしまって、まさに「無関心の世界」に巻き込まれていくんやと思うけど。

大谷 そういう「地域」をみんなが捉えられたら、生きやすいのかな。それをそれぞれの人が感じたら楽になるのかな、とちょっと思ったんだけど。まあ、もうちょっと捉え方の転換も必要なのかな。

杉原 そういう「地域」っていうものの概念がもっと柔軟になってもいいんかもしれんな。今ってどうしても土地的な、物理的な、地理的な「地域」っていうイメージがあるけど。実際そういう「地域」のほうがつながりをつくりやすかったり、共有できるものがたくさんあったりっていうのは当然あるんやけど。でもそれだけじゃなくて、もっと、地理的には離れてるけれども、お互いに共有できるものを持ってるっていう。先住民族同士のネットワークってまさにそれやんな。

井口 うん、そうだと思いますね。

写真左から、テ・ウルロア・フラベルさん(2013年7月からマオリ党共同代表。元マオリ開発担当大臣。2018年8月から最大のマオリ大学、テ・ワーナンガ・オ・アオテアロア大学学長)、島田あけみさん(チャシアンカラの会代表、アオテアロア・アイヌモシリ交流プログラム実行委員長)、タリアナ・チューリアさん(初代マオリ党代表)。2013年、ニュージーランドにて。

杉原 たぶんお互いに「守るべきもの」を持ってたりとかさ、伝統的な。そのへんはどうなん? 彼らが共有してるものっていうのは……。

井口 えーっと、だいたい世界中、先住民族と言われる人たちは、似たような歴史をたどってきていて。要するに後から入ってきた人たちに植民地化されて、権利だとかを奪われてという。同化政策があったりとか。そういう歴史をたどってるから、やっぱり仲間意識も強いですよね。共感できる関係があって。

なので、国を超えて先住民族の集まるサミットとかもあって。そこで、権利回復とかで先進的な先住民族が、遅れてる先住民族に知恵を貸したりとか。あとは、例えばニュージーランドに2013年に行った時は、向こうのマオリの人たちが、アイヌの人たちを家族として受け入れてくれて。何か知恵を貸したりとかそういう以前に、その存在を無条件に認めてくれるっていう。アイヌの人たちのために土地まで用意してくれて、「いつでもここ住んでいいから」とか。

杉原 へー、すごいな。

ホンギは、互いの鼻を触れさせることで呼吸(同じ空気)を共有・交換するマオリのあいさつ。相手を仲間として受け入れることを意味する。

井口 そういうつながりはありますね。ニュージーランドに、マオリ民族のウルロアさんっていう大臣がいて。2013年に僕らが行った時にお世話してくれた人で、当時はいち国会議員だったんですけど。その人は去年、経済界のつながりで日本に来てたんですよ。ニュージーランドのマオリビジネスと、日本のビジネス、経済界の人たちとのつながりを作ろうっていう名目だったんですけど。

僕も大使館でのパーティーとかに参加したんですけど、あんまりビジネスの話は出ず(笑)、8割がた先住民族の話、アイヌの話で。何か、そういう国の仕事よりも大事に思ってくれてるというか。

ご縁をないがしろにしないように

杉原 これからどんな活動をしていこうとか、ある?

井口 うーん、そうですね……。

杉原 ……ないんやろ。

井口 あははは。ないこともないんですけど。何をやっていきたいかっていうことを具体的にイメージしてみると、自分のやりたいことって、誰かと一緒にやることなんですよね。自分ひとりでやることってなくて。おそらくそれが19、20歳のころとは違うのかなっていう気もしますね。自分のやりたいことでもあるんだけど、誰かと一緒にやったり、誰かのためにやるっていうことが、いくつかポンポンポンって思い浮かぶので。

そういうものを一緒にできる人との関係性を大事にしていくっていうことが、僕はちょっとやりたいというか、やらなくちゃいけないことだなと。今まではほんとに、ご縁とかをないがしろにしてきたようなところがあるので。

杉原 あ、そう。

井口 ありますね。それによって人を裏切るような形にもなったりとか、失望させたりとかもあると思うので。ほんとに身勝手な、そういう意味ではほんとに「個人の自由」の中で生きてきて……。

杉原 そっか。それで今は、例えばヤギサワバルのことに関しても、いろいろボランティア的に手伝ったりして。

井口 そうですね、うん。まあそれも「やらせてもらってる感」はありますからね。

杉原 今日もメニューの写真撮るんやろ?

井口 そうそう(笑)。そういうことの積み重ねというか。そういうものが、ポポポポポーンとあるような感じですね。あとは、「キャロットワークス」の活動も(笑)。

杉原 ああ(笑)。仲間4人で最近結成したユニットね。「にんじんホーム」っていう特別養護老人ホームで、4人とも宿直のアルバイトをしてたご縁から、じゃあこのメンバーで「キャロットワークス」やろっか、と(笑)。

井口 うん。「同じベッドを共にした」仲間ですもんね。

杉原 時間差でな(笑)。勤務は一人ずつやったから、施設で会うことはなかったけど。ところで「キャロットワークス」って何するの?

井口 それはこれから考えるということで(笑)。まあユニットだからって、一緒に同じことする必要もないですしね。

杉原 うん、あえて言うならそこが面白いところかもな。それぞれ文章書いたり、写真撮ったり、バルの経営やったり、北京大学で医者を目指してたりと、全然違うことやってるねんけど、何か助け合ってて、「俺たちキャロットワークス」と思ってるというか。

井口 ……なんか気持ち悪いですね(笑)。

杉原 やっぱり解散しよう(笑)。

首都圏在住のアイヌ民族で結成されたパフォーマンスグループ「ヤイレンカ」(中央が島田あけみさん)。2017年9月に台湾で行われた桃園国際原住民音楽節に出演。その後惜しまれながら解散。

有限性の中の自由

杉原 では最後に。井口君にとって「自由」とは?

井口 「自由」。難しいですね……。「自(みずか)らに由(よ)る」ところの自由というものを、たぶん今まで追い求めてきたというか。それも一面では大事だと思うんですけど。それまで見えてなかった「自(おの)ずからに由(よ)る」ところの自由、さっき話に出てた、相手の働き掛けによって枠ができて、それをいかに満たせるかみたいな。そういうもの……。

杉原 有限性の中の自由。枠のある自由。

井口 うん、そうですね。

杉原 面白いな。自由ってなんか無制限っていうイメージがあるけど、でもその自由は、実はあんまり幸せじゃなかったり。

井口 そうですね、ほんとに。それが達成されるというか、自由にいられたところで、結局むなしいだけというか。ただ誤解を避けるために言っておくと、それはエーリッヒ・フロムが『自由からの逃走』で言ってるような、「自由の重荷から逃れて、新しい依存先を求める」っていうのとは違うんですよね。それだと結局、国家への依存から全体主義に結びついていく、みたいなことになるので。

杉原 なるほど。ありがとうございました。じゃあそんなところで。

井口 大丈夫ですか?

杉原 はい、大丈夫です。でもこれ最初の一人目やからさ、これが面白くないって言われたら、この対談の連載企画は打ち切りやから。ほぼ完全に井口君の双肩にかかってる、っていうことやな。

井口 マジすか?

(おわり)

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』175号・176号(2017年6月25日、8月28日発行)の内容に、若干の修正を加えたものです。

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