日本中空き家だらけだから、民泊で収入を得て生活の足しにしようという、にわか宿泊業者が続出するのも無理はない。
2018年6月15日から住宅宿泊事業法(民泊新法)が施行になったが、新法に基づく届け出はほんの一部で、どうやら今後も数万軒のヤミ民泊が横行しそうな気配である。
しかし、宿泊料金を稼ぐだけのヤミ民泊ばかりでは寂しい。新法による民泊を活用して、まちづくりに生かそうとしている事例はないものかと探していたら、新潟県上越市の高田地区(旧高田市)に一般社団法人「雁木(がんぎ)のまち再生」(関由有子代表理事)という格好のまちづくり団体が見つかった。
城下町だった高田には、古い町家がたくさん残っており、「雁木のまち再生」はその保全のために民泊を活用するという。日本一長い雁木の通りを守れるし、高田への移住を誘う呼び水にもなりそうだ。
【ジャーナリスト 松本克夫】
雪国ならではの風景が危機に
雁木というのは、民家の道路側に設けた雪よけのひさしのことである。ひさしの下は私有地だが、公の歩道のように使われる。
関由有子さん(61)は、「雁木はアーケードとは違い、それぞれの家が自分のお金で造るのが特徴です。大雪でも困らないようにした雪国なりの工夫です。慣習としてあるもので、法律にはどこにも規定がありません。明治時代には雁木取り壊しの県令が出されたこともありますが、高田は今でも全国1位の12.8キロメートルの雁木通りが続いています」と解説する。
雪国ならではの独特の風景をつくり出しているのだが、古い町家が取り壊されると、通常は、雁木も一緒に壊される。雪が降っても、濡れないで歩けるのが雁木のありがたみだが、方々が途切れていたら用をなさなくなるし、景観も台無しになりかねない。
町家は、息子や娘が東京などに出て行って、残った親が亡くなると空き家になる例が多い。といっても、冬には雪下ろしという作業があるから、放ってはおけない。
「一斉除雪があるよと声をかけると、離れたところに住んでいる人たちも除雪に駆けつけます。ここは助け合いの気持ちが強いまちですし、雪国では助け合わないと生きていけません。ですから、完全な空き家ではありません」(関さん)ということになる。
それでも、遠くから通いながらの家の維持保全はやがて限界が来る。探しても、買い手がなければ取り壊しとなる。それを食い止めようと、関さんたちが2年前に設立したのが「雁木のまち再生」である。資金を募り、取り壊されそうな町家を購入し、まちづくりに役立てようというわけである。
建築家の関さんを代表者に、司法書士の岩野秀人さん(61)とニュージランド出身で首都圏から高田の町家に移り住んだクリス・フィリップスさん(56)が理事に就任した。
高田の町家の中でも昔の商家の面影を最も残しているのは、現在は市の保有となっている旧今井染物屋だが、「雁木のまち再生」はこの建物の週末の公開やイベントなどの業務も市から受託している。
雪国衣装を復権させた「あわゆき組」
関さんは、高田の育ちだが、京大の建築学科を卒業し、初めは京都の建築設計事務所に勤めていた。
ある時期、フィンランドの木工家具に夢中になり、家具のデザインを学ぶためにフィンランドに3年間留学した。帰国後は、ふるさとの高田に活動拠点を移し、設計事務所を営むかたわら、雁木と町家を生かしたまちづくりに関わってきた。
話題を呼んだのは、関さんが代表を務めた「あわゆき組」の取り組みである。
関さんの話では、「平成16年ころ町家に興味を持っている人が20人以上集まって、自由な意見交換会をしました。まちを何とかしたいという女性もいました。着物を着て、和の世界を味わってみたいということになり、市のイベントに合わせて、春と秋に期間限定のあわゆき亭という甘味処を開くことにしました。町家を借り、着物を着て、手作りの甘味でもてなすものです。当時は、雁木は話題になっていましたが、町家はそれほどでもありませんでした。しかし、町家でやってみると、なかなかすてきじゃないということになりました。応援してくれる人もいて、15年間続けてきました」という経過である。
初めに会場に使った昔の麻糸問屋の町家は、今は「瞽女(ごぜ)ミュージアム高田」になっている。瞽女は、かつて高田に多かった三味線を弾いて唄をうたう盲目の女性旅芸人のことである。
「あわゆき組」は、雪国独特の防寒具である角巻を着てまちを歩く「あわゆき道中」も主催している。
関さんによると、「角巻はショールの長い物と考えればいいでしょう。手工芸品で、本物のウールです。昭和30年くらいまでは売っていましたが、今は売っていません。着物を着なくなったせいで、角巻も着なくなり、たんすや柳行李に仕舞ったままになっている家がたくさんあります」というものである。
関さんたちは、公募して、そうした角巻を50~60枚集めた。男物にはとんびという防寒着があるから、それも集めた。
「角巻は今買うとすれば、1着20万円以上はするでしょう。とんびも、オーダーすると十数万円はかかるでしょう。角巻はミニスカートやロングブーツにも似合います」というから、たんすに眠らせておくのはもったいない。角巻を着て町家の前を歩けば絵になるし、参加者は「ファッションでも雪国丸ごと体験ができます」。
このイベントに合わせて、NPO法人の「高田瞽女の文化を保存・発信する会」が瞽女の門付け風景の再現もしている。
関さんは、イベントだけではなく、ハード面からのまちづくりにも関わってきた。その一つが「高田世界館」の復活である。
「高田世界館」は明治44年に芝居小屋「高田座」として建てられ、後には映画館として使われた。しかし、近年は時折自主上映会などに使われる以外は成人映画専門になっていた。7年ほど前、それを関さんも加わるNPO法人「街なか映画館再生委員会」が常設の映画館として復活させたのである。
関さんは、「町はずれに面白い映画館があるから、それを高田の目玉にしていこうという話になりました。市もそれに乗ってきました。私は設計を手伝いました。瓦が外れていて、屋根の修理に何百万円もかかりましたが、ハウジングアンドコミュニティ財団からの助成金で補いました。NPOの経営ですから、収益はすべて改修に回しています」と語る。
国登録有形文化財の「世界館」は、現役の映画館としては日本最古クラスになった。「あわゆき組」は、物語を読み聞かせる「読みかたり」を世界館や旧今井染物屋でも行っている。
一目惚れした町家に住む
高田で町家暮らしを一番楽しんでいるのは、フィリップスさんかもしれない。
サイクリストのフィリップスさんは2年前に自転車で初めて高田を訪れたが、昨年4月からは高田に住んでいる。関さんとの出会いがきっかけである。
古い日本映画ファンで、「1930年代の日本のたたずまいが好き」なフィリップスさんは、映画の中で見た角巻姿に魅かれ、名称も知らないままにネットで調べているうちに、高田で「あわゆき道中」のイベントがあることを知った。
これに参加し、「ここに住みたいなあ」と思ったフィリップスさんは、関さんが催した空き家を回るツアーにも参加した。今住んでいる昭和16年築の町家は、その際に「一目惚れ」してしまったものである。町家特有の間口が狭く奥が深い造りだが、250万円ほどで買えたという。
「ほこりが雪のように積もっていましたから、8本ある高い梁に上って、命がけで掃除しました」という町家は、リフォームした形跡がなく、ほぼ原形を保っている。洋間は1室だけで、後は全部畳の部屋である。壁は漆喰壁か土壁である。
「ぼくは畳が大好きです。畳がないとくつろげないし、いやされません。漆喰壁は呼吸しますし、決して結露しません。汚れ方もちょうどいいし、落ち着きます」というわけで、好みにぴったりである。
フィリップスさんは、家具調度品も建設当時の物をそろえている。
「店で家具や服を買ったことはほとんどありません。全部もらい物か人が捨てた物です。人が捨てた物はぼくにとっては宝物です」という方法で集めたものだ。
「この部屋は舞台のようでしょう。日本の古い映画を観て、こういう家に憧れました。吹き抜けが教会のようなスペースで、光の入り方が神秘的です。小さなシアターのような空間です。壁を使って、映画の上映会をしたこともあります」とフィリップスさんの案内がてらの町家自慢は尽きない。
保有する数少ない電気製品の一つはテレビだが、さすがに戦前の物はないので、昭和38年ころ製造の真空管のテレビにしている。
「真空管を1本取り換えました。ネットで探して、大阪の店から取り寄せました」という面倒もいとわない。
フィリップスさんは、この家のほかに、もう1軒町家を借りている。その日の気分次第で、どちらかに寝るのだという。それに加えて、最近、新たにガレージ用に1軒の町家を購入した。
「60年前製造の木製の工芸品のようなキャンピングカーを15年前に手に入れたのですが、車庫がないのが悩みでした。購入した町家は元たんす屋で、入り口も天井も高くて車庫にぴったりです。これで工房やアトリエにもなる空間、つまり趣味専用の空間がほしいという長年の夢が叶います」と満足そうだ。
この町家は土地が30坪で、建坪は40坪だが、30万円で買えたという。以前からこの空き家に目を付けていたフィリップスさんは、町内会長の紹介を得て、持ち主と直接売買の交渉をした。
「取り壊すには150万円かかるし、ぼくが買わなければ誰も買いません」と予想されたので、格安で話がついた。
かつては、日立製作所に勤め、東京の本社で翻訳の仕事をしていたフィリップスさんだが、大組織での仕事や狭苦しい東京近辺での暮らしに飽き飽きしていた。
町家に住んでみると、「ウサギ小屋とやゆされた日本の家は東京の家のことです。本当の日本の家は広々としていて、開放感を与えてくれます。東京では、家にいたくないと思いますが、ここは家がお城です」と実感できるという。
日立を退社後も、東京で翻訳、通訳、ライターなどの仕事をしていたが、高田ではまだ定職はない。英会話教室や民泊を思案している最中だ。
しかし、地元のテレビ局などに出演を求められることが多く、「東京では無名人間でしたが、ここに来て、有名な失業者になりました」と笑う。
「このまちの行方にも関心があり」、「雁木のまち再生」に加わったが、「テレビ出演は、町家のいい宣伝になっています。少しでも町家の減少に歯止めをかけられればと思います。ぼくがいれば、外国人も来やすくなるでしょう。芸術家、彫刻家、家具職人などに向いているまちですから、そういう人たちが来てくれればいいと思います」と望んでいる。
作品を持たない芸術家を自称するフィリップスさんだが、町家に住んで愛用の和服を着ているだけで、高田や町家の広告塔になる。
民泊を移住者に任せて
町家の持ち主の中には、「もう自分たちでは片付けられないので、もらってください」という人もいるほどで、古い町家を確保するのはそう難しくはない。「雁木のまち再生」は、すでに3軒の町家を購入済みである。その活用の実務を担うのは、司法書士の岩野さんである。
岩野さんは、「町家は、見た目はきれいですが、寒いし、暗いし、若い人たちは住みたがりません。レストランやカフェをやってくれる人がいればいいのですが」というが、実際、そうした例はある。昨年1月に町家を改装してカフェをオープンした打田亮介さん(32)である。
北海道出身で、東京で内装の仕事をしていたが、地方で暮らしたくてネットで見つけたのが高田の町家である。打田さん手づくりのカフェが内装の仕事のショールームを兼ねている。
こんな例が相次いでくれればいいが、そうもいかないので、岩野さんは、「まずは民泊に使ってみて、客でにぎわうようになれば次の段階に入っていくと思います」と活用法を練る。
民泊に目を付けたのは、「高田には適当なゲストハウスがありません。宿泊はビジネスホテルか近くの温泉宿ということになります。しかし、仮に1カ月も滞在するとなると、いいところがありません」という宿泊事情があるためだ。
民泊新法では、営業日数を年間180日に制限している。自治体が条例でそれに上乗せして規制することもできるが、新潟県の場合には規制は少ない。家主が不在の非居住型の場合には、学校から100メートル以内の民泊は許さないとしているくらいである。
岩野さんは、「180日間という営業日数は、民泊だけで生活しようとするとハードルが高いのですが、ほかに仕事を持っていればやれます」という。
「雁木のまち再生」はとりあえず2軒の町家を民泊に使う予定だが、幸いそれぞれの町家に住んで民泊の管理もしてくれる移住者が見つかった。奈良県出身の原理佐さんと大阪府出身の町凌介さん(28)である。
原さんは、8年前に神戸から上越市の直江津に来て、整体の仕事をしていたが、関さんに誘われて昨年11月から高田に移った。整体の仕事のかたわら、旧今井染物屋の公開日には店番もしている。
町さんは、早大の大学院生のころ、北陸新幹線開通後の並行在来線がどうなるかを研究テーマにしていた。いったん就職した会社をやめて大阪のゲストハウスで宿泊業の勉強を兼ねてアルバイトをしていたが、その経営者が上越市出身だった。
何かと高田とは縁があり、関さんや岩野さんとも2年前からの知り合いである。まだ高田に移り住んで2カ月だが、高速道路関係のアルバイトをしながら、司法書士や旅行業務取扱管理者などの資格試験の勉強をしている。2人ともほかに収入があるから、「雁木のまち再生」としても安心して民泊を任せられる。
口コミを基本に
2軒とも、多少無理すれば1度に10人くらい泊まれるスペースがあるが、2人とも、初めからそうあわてて客集めをする気はない。
原さんは、「まずは口コミでやるつもりです。知り合いの知り合いなら、変な人はいないでしょう。部屋を使いたい人がいたら、提供しますよくらいの気持ちです。遠い親戚みたいな感じで来てもらえばいいと思っています」という。
町さんも、「客としては、外国人は放っておいても来るでしょうし、一番狙いたいのは同世代で、地方で暮らすことに興味を持っている人です。口コミで来る人の方が、安心感があります。5月の連休に東京から友人が来ましたが、高田は十分に楽しむには1日では足りないといっていました。目立った観光地がない分、自分で発掘しやすいのでしょう」とやはり口コミ重視である。
町さんは、鉄道が趣味で、「インスタグラムに鉄道の写真を掲載しているのですが、フォローしている人が500人くらいいます。太平洋側からは、冬に雪景色と鉄道を合わせた写真を撮りに来る人がいます。高田は旅が好きな人が集まったらいいと思います」と鉄道ファンにも期待する。
客を集めるなら、米エアビーアンドビーのような大手の民泊仲介サイトに載せるのが早道だが、2人ともその気はない。
2人とも、高田での暮らしを堪能している。
原さんは、「こちらの人はおいしい物をいっぱい届けてくれるし、本当に優しい。そっと寄り添う感じで、気にかけてくれ、それでいて、さらっとしています。外から来た人を『旅の人』と呼びますが、温かい意味合いが含まれています」と人の優しさに感謝する日々だ。
町さんは、「ここはとても過ごしやすいところです。冬は寒いし、快適とはいえないでしょうが、なぜか懐かしい気分になります」という。
雁木や町家が残るまちが醸し出す落ち着いた雰囲気のせいかもしれない。民泊する人にも、そうした人の優しさや居心地のよさを味わってもらいたいというのが2人の願いだ。
各地でさまざまなトラブルも引き起こしている民泊だが、昔の町家の風情に浸りながら人との触れ合いを楽しめるような民泊なら泊まってみたいものだ。
(おわり)
※この記事は、雑誌『かがり火』181号(2018年6月25日発行)の内容に、若干の修正を加えたものです。
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