横浜市伊勢佐木町の「横浜シネマリン」でドキュメンタリー映画『武蔵野』を見た。サブタイトルに“江戸の循環農業が息づく”とあるように、この武蔵野地域では雑木林の落ち葉を掻き集めて良質な堆肥をつくり、肥沃な土づくりを江戸時代から続けてきた。
私はスクリーンに映し出されるコナラやクヌギ、アカシデ、シラカシ、アカマツの林の中で一家総出で落ち葉を集めている農家を見ながら、昨年亡くなった本誌読者の尾﨑千恵子さんのことをしきりに想っていた。
【『かがり火』発行人 菅原歓一】
松平信綱が開拓した武蔵野の農業
尾﨑千恵子さんのお住まいは新座市だったから、映画の舞台となった川越市とは少し離れているけれど、落ち葉堆肥農法の生みの親でもある川越藩主・松平信綱が眠る平林寺の落ち葉を堆肥とした農業をしてきた。
彼女の遺言ともいうべきエッセーの一節を再び引用させていただきたい(『かがり火』176号で紹介)。
「東京都の北西部から埼玉県南西部にまたがる武蔵野と呼ばれる大地─私たちの住んでいるこの場所には平らなヤマが広がっている。結婚したての頃、地元の人々が愛着をこめて『ヤマ』と呼ぶのが雑木林のことであり、平地林を指すのだと理解するのに少しばかりの時間が必要だった。
毎年一月中旬、大寒の頃になると平林寺の境内林に入りヤマ掃きをする。空気がピーンと張りつめ、霜柱が降りた地べたは歩くとサクサクと心地良い音がする。寒さで体と気持ちは引き締まっているが、雑木林の中に入ると心は解放され、体はポカポカと暖かくなってくる」
映画では幼児までが手伝うヤマ掃きのシーンが映し出されていたが、私は尾﨑さんと再会したような懐かしい気持ちに浸っていた。
1週間後、この映画を撮影・監督した原村政樹さん(61)の案内で、映画のロケ地の一つである川越市砂新田の(仮称)川越市森林公園計画地「森のさんぽ道」を歩くことができた。
川越市南文化会館の裏から入る40haの雑木林は国木田独歩の『武蔵野』の面影を色濃く残している一角で、樹木の中にヤマユリ、スイカズラ、コアジサイなどの可憐な花も咲いていた。
見ることはできなかったが絶滅危惧種のキンランも咲くらしい。気温は30度を超えているはずだが、林の中は涼しかった。
原村監督によると、野鳥も豊富でツグミ、コゲラ、ヒヨドリ、モズ、シジュウカラ、メジロ、ホオジロたちが生息しているという。雑木林はヤマ掃きされてきれいになっている林と、後継者がいないのか手入れされず草木が生い茂っている林もあった。
15分も歩くと、林を抜けて炎天下の畑に出た。丹念に耕作された畑ではサトイモやネギが育っていて、地下水を汲み上げたスプリンクラーが回っていた。
この地域の開墾は島原の乱を平定した松平伊豆守信綱が、その勲功が認められ川越藩に移封された後、1654年ころから始まった。
信綱は三代家光、四代家綱の信任が厚く、〝知恵伊豆〟と称された幕府随一の切れ者だった。信綱は農業の振興を図るために、未開墾だった原野に領内の農民を入植させ、区割りした土地を与えて開墾させた。
「もともとこの地域は火山灰が堆積した関東ローム層で、土地は痩せ、水は乏しく、農業に適した場所ではなかったのです。信綱は農業の振興を図るために、新河岸川を開削し、玉川上水から野火止用水を引き、平地に樹木を植えて雑木林をつくり、その落ち葉を堆肥にすることを奨励したのです」
以来、この地域の農家は冬になると、草払い機で下草を刈り取った後、熊手で隅々まできれいに掃いて落ち葉を一カ所に集め、自宅前の堆肥場に運んだ。
「堆肥場に積まれた落ち葉に水分を加えて発酵させ、何回か切り返して、じっくりと一年かけて落葉を堆肥にするんです。堆肥は主にサツマイモの苗床として使われるほか、畑に元肥えとしてもすき込まれます。堆肥を土の中に混入することで空気が入りやすくなり、土が軟らかくなって、関東ローム層のサラサラした土をふかふかした最高の土に変えるのです」
住まいが川越市だという原村監督は長年身近で観察してきたせいか、落ち葉の堆肥農法に詳しい。信綱の農業政策のおかげで、武蔵野は肥沃な大地となり、平成の現代でも川越の農産物は他産地よりも高い値段で取引されているという。
信綱の後、1694年に柳沢吉保が入封すると、現在の三芳町と所沢市に位置する原野にまで周辺の村々から農民を入植させ、5町歩(約5ha)の土地を均等に分け与えて一千町歩(1000ha)の開墾を始めた。
5町歩の地形は間口40間(約72m)、奥行き375間(約675m)の短冊状の地割で、道路に面したところを屋敷地、その奥を耕地(畑)、最奥を雑木林(平地林)とした。
映画ではドローンで空撮したシーンもあって、屋敷と畑と雑木林が美しい短冊状に並んでいるのがよく分かった。
農業がライフワークという原村監督
「武蔵野は開発によって雑木林は激減しましたが、この地域は屋敷、耕地、雑木林が一体となった農業が盛んで、若い後継者も育っています。私は、どんなに時代が変わろうとも守るべきものはきちんと守っている武蔵野の農業は後世に遺さなければならない宝物だと思っています」と、原村監督はいう。
原村さんは、川越市の映画の舞台近くに引っ越して来てから42年になる。
「川越の前は朝霞にいましたが、子どものころから雑木林でカブトムシを捕り、ターザンごっこをして遊びました。東京・板橋区の小学校の時は雑木林の中が通学路でした。武蔵野の風は私の体に染み込んでいるのかもしれません」
原村さんが映像の世界を志したのは、高校生のころテレビで見た『素晴らしき世界旅行』(1966年から1990年まで毎週日曜日、日本テレビ系列で放送された長寿番組)の影響が大きかった。
「久米明さんがナレーターを務めていて、世界の国々の民族の文化、宗教、儀式、風習などを紹介するドキュメンタリーで、文化人類学的視点から制作されたレベルの高い番組でした。
私は上智大学に進むと探検部に入り、フィリピンのミンダナオ島の山岳少数民族の部落に滞在したり、大学時代から将来はドキュメンタリーの仕事に就こうと決心したんです」
大学を卒業しても、採用人員の少ない映画会社に就職することはできなかったが、初志を曲げることはなかった。20代はフリーの助監督としていろいろな監督の下で修業した。
31歳の時に桜映画社に入社し、企業のPR映像も含めて膨大な作品を作ったが、原村さんが監督するドキュメンタリーは常に注目されることになった。
2004年の長編ドキュメンタリー『海女のリャンさん』で文化庁文化記録映画大賞・キネマ旬報ベストテン1位、2008年『いのち耕す人々』で文化庁記録映画最優秀賞、2009年『小さな挑戦者たち』『里山っ子たち』、2011年『里山の学校』を製作、2012年のETV特集『原発事故に立ち向かうコメ農家』では農業ジャーナリスト賞を受賞、2013年に『天に栄える村』、2016年には『無音の叫び声』(農業ジャーナリスト賞)などの話題作を撮っている。
原発事故の風評被害で売れなくなったブランド米を抱えて苦労する福島県天栄村の農家をテーマにした『天に栄える村』は、本誌の元支局長の吉成邦市さんたち「天栄米栽培研究会」の農家の人たちを4年間追った映画である。
本誌は埼玉と東京で二度も見ているのに、吉成さんにばかり注意がいって、この映画が原村監督作品だったことに迂闊にも気が付かなかった。本誌144号では天栄米のブランドを守る吉成さんの覚悟を紹介している。
「過去の作品から明らかなように、農業が私のライフワークになっています。いくら経済が発展しても自然環境との共生を無視した生き方に未来はありません。国木田独歩が散策したころの武蔵野は府中から小金井、所沢から川越にかけての広大な地域、板橋から雑司ヶ谷までも含まれています。
この広大な地域が東京の発展とともに農地は宅地化されて風景は一変してしまいました。しかし、所沢から川越にかけての三富地域と呼ばれる地域では今も昔ながらの風景が残され、農家は化学肥料だけに頼らず、江戸時代からの循環型農業を守っているのです」
原村さんは、農業と一体となった武蔵野の雑木林を日本の大切な文化資源として未来に残すために、この映画を作った。
市民プロデューサーが立ち上げた製作委員会
本誌がこの映画を見るきっかけとなったのは、親交のある農文協プロダクション代表の鈴木敏夫さん(67)から渡された一枚のチラシだった。チラシにプロデューサーとして鈴木さんご本人の名前があったからである。
「実は、私も川越市に住んでいて、監督とはご近所の仲なのです。原村さんの前作『無音の叫び声』の書籍版の編集を担当したことが縁で親しくなりました。
原村さんが監督した新日本風土記『川越』がNHK・BSプレミアムで放送(2013年)された後も、NHKでは伝えきれなかったことがあると一人でこつこつと撮影を続けていることを知り、これは応援しなければと思って、映画『武蔵野』製作委員会を立ち上げました。
ドキュメンタリーは製作費で苦労し、出来上がった後も上映で苦労することも知っていましたので、ぜひとも映画を完成させて多くの人に見てもらいたいと考えました。
協賛や後援団体を募り、クラウドファンディングなどで最終的に約700万円の支援金が集まりましたので、ナレーションには女優の小林綾子さんを起用し、音楽もオリジナル曲とし、きれいな映像に仕上げることができました。原村さんにも監督料を少しは差し上げることができるのではないかと考えています」と鈴木さん。
映画の中で、ロケ地の一つでもある三芳町のサツマイモ農家の伊東蔵衛さんが、「俺は〝農業は百年一日のごとし〟というおやじの言葉を守って実践しているだけだ」と語る場面があった。
今、この言葉には何の違和感もない。農業に対しての敬意が伝わってくるが、1960年代や70年代は違った。〝百年一日のごとし〟の仕事は発展性のないものとして軽視されていた。
高度経済成長のころは何事も昨日より今日、今日より明日は発展し成長しなければならないという強迫観念に包まれていて、同じ作業を繰り返すことは遅れた産業のように思われていた。
そのような雑音に惑わされずに営々と循環型農業を守ってきた武蔵野の農家には頭を垂れるしかない。
掃き清められた平地林、きれいな畝が続く畑を見ていると、こちらの気持ちまでもすがすがしくなった。
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<皆様の地域で上映していただけませんか>
地元唯一の映画館「川越スカラ座」で4月に一般公開され、12日間で1500名もの方々にご来館いただきました。多くの方々に観ていただけたことに、原村監督も含めて私たち製作委員会のメンバーも驚き感謝いたしました。
スカラ座では2018年11月に再上映(11月24日~12月7日)をいたします。ちょうど、武蔵野の森の紅葉の季節と重なります。さらに多くの方々に観ていただくとともに、農家と一緒に行う落ち葉掃き体験等の地域活動への参加にもつなげていきたいと考えています。
また、2018年10月には大阪市の第七藝術劇場(10月13日から2週間)、来春には東京のポレポレ東中野でも上映が決定しています。
映画館だけでなく、読者の皆様の地域でぜひ自主上映をしていただけないでしょうか。
条件は、1回上映30人まで3万円、プラス1人ごとに600円をいただきます。これは原則であり、皆様の予算に沿ってご相談に応じます。
原村監督はフリーランスであり、すでに次回作に取り組んでおり、製作資金を必要としています。何とぞご理解ください。
■映画『武蔵野』製作委員会・鈴木敏夫
TEL&FAX:049-242-4811
E-mail:suzutoshi0620@nifty.com
(おわり)
※この記事は、雑誌『かがり火』182号(2018年8月25日発行)掲載の内容に、若干の修正を加えたものです。