鹿児島県鹿屋市訪問 まちに勇気と安心を与える人たち

「どうしても取り上げてもらいたい人がいる」と鹿児島県鹿屋市の伊野幸二支局長(60)から、6月の初めに電話があった。

伊野さんとは平成8年に、与論島で開催された鹿児島県主催の「村づくりプランナー研修会」で知り合った。それ以来のお付き合いだが、彼は身近で頑張っている仲間を世の中に送り出そうとする人物だった。

まちづくりは選挙と同じで、「出たい人よりも出したい人」が多くいるまちのほうがうまくいく。

鹿屋市に勇気と安心を与えている人を取材した。

【『かがり火』発行人 菅原歓一】

第11回全国和牛能力共進会で日本一になった畜産農家の薬師成人さん

1頭2500万円の日本一の和牛を育てた薬師成人さん。

伊野さんが会ってほしいという一人は、昨年9月に仙台市で開催された第11回全国和牛能力共進会の「去勢肥育牛」部門で優等賞1席を獲得した薬師成人さん(42)だった。

共進会は畜産農家にとっては、出場するだけで名誉な高校野球の甲子園のようなもので、昨年は39道府県から513頭が出品された。

薬師さんは肉用牛部門183頭の中で農林水産大臣賞と最優秀枝肉賞を獲得し頂点に立った。

審査は出品する牛を宮城県まで搬送し、現地で加工され、枝肉となって日本食肉格付協会の審査員によって厳正にチェックされる。

1頭当たりの肉の重量、サーロインステーキになる芯といわれる部分の面積、皮下脂肪の厚さ、肉色、サシの入り具合などいろいろな角度から調べられる。

1位になった肉はセリにかけられるが、薬師さんの牛は鹿児島県経済連によって2500万円で競り落とされた。

1席になったということは、鹿児島牛のブランド力にも寄与し、その功績は多大なものなのだ。ちなみに1㎏当たり5万円だった。

薬師成人さんは畜産農家の3代目、よちよち歩きのころから牛舎に出入りしていた。

「学校の勉強より家の手伝いをするのが好きで、中学生の夏休みには、子牛を買い入れする肝属中央市場に父親について行っていました」

いい牛を育てるには何がいちばん肝心なのか。

「畜産農家は大きく分ければ、何十年もかけて優秀な血統の種牛を育てて、精液を販売する種牛農家、雌牛を妊娠させて子牛を取り出す生産農家、僕のように生後9カ月の子牛を買ってきて20カ月育てて市場に出す肥育農家の3つがあります。

僕にとっては優秀な子牛を見極める目がいちばん重要になります。高いお金で競り落とした子牛でも優秀な肉牛に育たなければ赤字になってしまいます。牛にはできるだけストレスを与えないようにし、月齢に合った餌を与えて、食欲が落ちないように世話をします。

成長の度合いに合わせて、飼料のタンパク質を加減したり、カロリーを増減させたり調整します。常に牛舎を清潔に保ち、牛の安眠を妨げるハエが飛び回らないようにするのは当然のことです」

薬師さんは高校を卒業後、鹿児島県立農業大学校の畜産学部に進学、ここで授精師、家畜商の資格を取得した。

「25歳の時、後継者資金2000万円を借り入れて45頭の子牛を買い入れました。父親は、自分の責任で子牛を育てるのが畜産農家として一人前になる早道と考えたのかもしれません。当時は子牛の平均価格は1頭40万円ぐらいでした。

子牛を競り落とす時は緊張したことを覚えています。今は子牛の価格は高く、平均すれば80万円くらいで、いい子牛は90万円から100万円もします。僕は子牛の血統を調べ、20カ月後にどんな体形の牛になっているかを想像して購入しています」

1頭2500万円というのは共進会で優勝した牛へのご祝儀もあっての価格で、異例中の異例なのである。

薬師ファームの牛は、平均すれば約150万円から200万円ぐらいで取引されているという。ずいぶん大きな収益がありそうだが、子牛の仕入れ価格に20カ月分の飼料代、それに管理費、人件費、雑費を入れればそんなに大きな利益が出るわけではない。

「仕入れが大きいですから常にリスクも伴います。朝、餌をやりに行くと、心臓まひで死んでいたということもあります。子牛を注意深く観察し、体調に万全の配慮をしなければなりません。それより何より、畜産は1日たりとも休める日がありません。私は父親を手伝っていた子どものころから、後を継いだ後も土曜や日曜を休んだ記憶はほとんどありません」

薬師さんの強みは畜産だけでなく畑作を10ha耕作していることだ。

「わが家はもともとは畑作中心の農家でした。牛は父親が副業的に10頭ぐらいから始めたのです。私も子どものころは畑を手伝うことのほうが多かったのです。現在も焼酎用とでんぷん用のサツマイモを中心に、ゴボウ、ダイコンを栽培しています。その年によってはニンジンやサトイモも栽培します。畑作と畜産の二本立ては資金の回転からいっても大切だと思っています」

畜産の取引は相場に左右されるから、子牛が高くて成牛が安い時は利益が出ないが、コンスタントに子牛を買い入れなければ正常な経営ができなくなる。野菜の売上があればそんな時でもバランスを崩さず、いい子牛を買うことができるという。

「畜産だけなら体は楽なのですが、畑作を続けることのメリットは大きいと思っています。昨年度の農業収入は畜産と野菜を合わせて約1億3000万円ぐらいでしょうか。畜産もようやく飼育のコツをつかめてきたところですので、よりいい牛を育てたいと思っています。畑作は耕地を拡大するより、効率のいい農業を目指したいと思っています」

薬師さんと会って感心したのは、何よりも謙虚で思慮深い話し方をすることであった。和牛日本一になったといっても少しも偉ぶるところがない。

サラリーマン家庭に育った奥さまは牛には触ったこともなかったが、今では牛舎に入って、かいがいしく働いてくれる最良のパートナーとなった。

日本の農家もあるべき理想の姿に近付きつつあるような気がした。

有料老人ホームは経営安定が何より重要という中窪孝さん

何よりも入居者が安心できる老人ホームを経営する、中窪孝さん。

近年、老人ホームの破たんが大きな社会問題になっている。

自宅を売って入居する人もいるので、ついのすみかとして入居した老人ホームが倒産すれば、入居者は悲惨なことになる。いったいなぜこんなことになるのか。

「経営の基盤が安定していないことがいちばんの理由です」と断言するのは、鹿屋市で「住居型有料老人ホーム緑ヶ丘」を経営する、株式会社チェリーサポート社長の中窪孝さん(53)。

「施設の抱える最大の悩みは慢性の人手不足です。全国どこの施設でもスタッフが足りなくて困っています。雇用しても長続きしないという悩みも付きまといます。スタッフが足りないと満足なケアもできませんから、入居者に不安を与えてしまう。

当然、スタッフの少ない老人ホームには入居者は少なくなる。定員に満たない老人ホームは危険信号なんです。最近は雨後のタケノコのように他業種からの新規参入も多いので、老人ホームは過当競争なのです」

なぜスタッフが辞めていくかというと、仕事が大変な割には報酬が少ないからである。報酬が少ないのは経営が安定していないからである。赤字ならば、支払うべきものも支払えない。

中には経営者が他の事業に資金を流用するケースもあるが、それはまれな例で、ほとんどは赤字経営が原因でスタッフ不足になるという悪循環を招いている。

老人ホームの前は、損保の代理店を経営していたという中窪さんは、看護師である奥さんの紹介で、今の老人ホームに関わることになった。

「父親がアルツハイマーになって自宅で面倒を見ていたこともあって、老人ホームに関心がありました。最初は共同経営というかたちだったのですが、赤字経営だったので、半年後に私が買い取って再建を目指しました」

赤字の最大の原因は入居者不足だったという。

「定員が40人のところに14人しかいませんでしたので、1カ月の売上が400万円くらいだったと思います。これではスタッフに支払うと何も残りません。私は猛然と営業に回ったのです」

中窪さんの話を聞いていると、老人ホームといえどもヒューマニズムだけでは成り立たないことが分かる。

中途半端な姿勢では、働くスタッフにも入居者にも多大な迷惑を掛けることになる。中窪さんは車で病院やケアマネージャーなどを訪問する営業を開始した。2年間で7万㎞走り、200軒を二度回った。

「社長になった時、施設の改善や増床のために銀行に借り入れを申請したのですが、軽く断られました。しかし、半年後に入居者を倍にし、売上も1000万円にしたら、経営能力を信用してくれたのか、銀行のほうから貸すと言ってくれたんです。私はそれまであった1号棟だけでは経営が安定しないと思って、2号棟、3号棟を建て、85人まで受け入れられる施設に拡充したのです」

「論語とそろばん」という言葉が浮かんできた。

いかに手厚い介護をする施設でも、そろばんが合わない施設は経営を維持できない。当たり前のことだが、このことを忘れた時に悲劇が起きる。

「私は老人ホームの経営には素人でした。事業を展開しながら勉強するうちに、いろいろなことを学びました。老後の生活費として何千万円も持っている人は問題ありませんが、普通の高齢者は1カ月に20万円もする家賃は払えません。

『緑ヶ丘』は、いちばん古い1号棟は、部屋は狭いのですが、家賃は2万円です。これに住宅管理費、生活援助費、水道光熱費、食費を加えても8万5000円です。2号棟は部屋は広く家賃は3万7000円、これに諸経費を加えると9万9500円。

3号棟は4万5000円の広い部屋が1室あるものの、家賃2万円で諸経費合わせても8万500円で入居できる部屋が19室もあり、生活保護を受けている人の入居も可能なのです」

中窪さんは老人ホーム以外に、「デイサービスセンター緑ヶ丘」と「ヘルパーステーション緑ヶ丘」を経営しているので、要介護の利用者の人たちは居宅(自室)で入浴、排せつ、食事などの世話を受けることができる。介護保険を使えるこの利用料金は別料金。

中窪さんの案内で部屋を見せてもらった。1号棟と2号棟では、部屋の広さに4畳半と6畳ぐらいの差がある。

「しかし、狭い部屋のほうはケガがほとんどありませんが、広い部屋のほうは時折、転倒する方が出ます。高齢者の立ち居振る舞いを見ていると、狭いから窮屈で不便とだけは言えないのです」

中窪さんは、老人ホームといえどもアパート経営と同じだから、空室が多ければ不安定になるという。そのために空室が出ないように鹿屋市内だけでなく、近隣の大崎町、志布志市、遠く霧島市や鹿児島市にも営業に出掛けている。

定員いっぱいの入居者を確保しているおかげで、健全経営が軌道に乗り、スタッフ60人で80人の入居者に心のこもったケアができているという。

「入居費用は家族の方が振り込んでくれるのですが、ありがたいことに滞納はほとんどありません。皆さん、親の面倒を見てもらっているという気持ちからなのか、優先的に支払ってくれているようです」

年金だけで入居できる施設があるということは、地域住民に大きな安心を与えている。

あるべき地方議員の理想像を求めて活動する 鹿屋市議会派「未来かのや」の3人

日本版DMOで大隅半島全域を考える

頑張っている仲間を世に送り出したいという、伊野幸二さん。

鹿屋市議会は今年4月の選挙で28人の議員のうち、9人の新人議員が誕生した。

前回落選した伊野幸二さんは今回帰り咲いて2期目を務めることになった。伊野さんは、原田靖、岩松近俊の新人議員と共に「未来かのや」を結成した。

「地方議員は行政の提案する議案の追認機関のように思われていますが、これからの議員はこれでは駄目です。まちづくりについて提案能力を持つことが必須と思っています。議員は選挙の時だけお願いに回る給料ドロボウという悪いイメージは完全に払拭したいと思っています。そのためには、住民の陳情を待つのではなく、こちらから積極的に地域に入っていこうと話し合っています」と、伊野議員。

伊野さんは、鹿屋の将来は市単独で計画を立てたり構想するのではなく、大隅半島の4市5町(鹿屋市、垂水市、曽於市、志布志市、大崎町、東串良町、肝属町、錦江町、南大隅町)で考えるべきだというのが持論である。

これは国土交通省が2015年に提案している日本版DMO(Destination Management/Marketing Organization)の考えに基づいているように見えるが、実際は国が構想を打ち出すはるか前から考えていたことだという。

「平成の大合併は行政の簡素化や議員の減少など主として行政効率を考えたものでしたが、DMOはそれぞれの地域の歴史や文化はそのままに、観光や産業政策では幅広く連携し協力しようというものです。私の言う観光は単に観光客を増やそうというのではなく、農業や製造業、福祉や教育や働き方改革まで含めて新しい地域社会をつくりたいということです。

観光だけ考えても大隅半島全域で見れば、『西郷どん』に出てくる南大隅町の雄川の滝、本土最南端の佐多岬、肝属町の内之浦宇宙空間観測所、垂水市の猿ヶ京渓谷、大崎町のくにの松原、鹿屋市の荒平神社や鹿屋航空基地資料館など興味深いものがたくさんあります。それに鹿屋を含めて大隅半島は農産物の豊かなところですから、食べ物がうまい。大隅半島を考えることは、鹿屋市の将来を考えることになるのです」

市町村合併よりも日本版DMOを先に実施していたら、案外、いまの地域の衰退や人口減少は食い止められていたかもしれない。

まちを支えるのは市民力、行政力、議会力の三つである

市民力、行政力、議会力の三位一体がいい町の条件という原田靖さん。

原田靖さん(62)は37年間の市役所勤務を終えた今年4月、市議会議員に立候補して当選した。長年、行政の立場で議員と付き合ってきたが、今度は立場が逆になった。

「私はまちの発展には市民力、行政力、議会力の三つが必要で、どれが欠けてもうまくいかないと思っています。市民力というのは、自分たちのまちに誇りを持ち、自分たちで創り上げるんだという気概を持って行動しないと、まちは活性化しません。行政力はもちろん一番重要です。

行政の分析力や企画力がなければ、将来の方向性を見極めることができず、予算の間違った使い方をしてしまいます。議員も重箱の隅を突っつくような質問ばかりしているようでは、住みやすいまちにはなりません。私は長い間、行政の立場で市民も議会も見てきた結果、この3点理論に行き着きました」

長年、議員さんと付き合ってきた原田さんは、議員の性格が変わったことが気になるという。

「10年ぐらい前までは、議員はよく市役所に顔を出して情報を聞き出そうとしたものです。毎日やってきて、こちらを辟易させる議員もいました。このごろ議員があまり役場に顔を出さなくなったのは、インターネットが発達して、多方面から情報を得ることが可能になったせいかもしれませんが、やはり核心の情報は人と接触して入手できるものだと思っています」

原田さんは市役所勤務は、まちづくり関連の部署が長かった。プライベートでもNPOに関わり、町内会の役員も務めた。

伊野さんによれば、原田さんは「いちばん難しい現場を回らされ、地道な裏方のような仕事を経験された人」と信頼している。だから原田さんが議員になった時、一緒に会派を組むことで意気投合した。

「これからの議員は何より勉強が大切です。議員さんもよく視察旅行に出掛けますが、上っ面だけ見てくる人がいます。それで議会で他市町村と比べて質問をされる方もいるのですが、市町村にはそれぞれ固有の歴史も文化もありますから、表面的なところを見て比べても意味がありません。視察の前の勉強も大切です。というのは、これまで多くの議員さんの視察を受け入れてきたので、議員さんの本気度が分かるのです」

原田さんは大隅半島の郷土史に詳しく、大隅隼人の由来について熱く語ってくれた。歴史に詳しい議員さんは信頼できるのではないか。

神職から市議会議員に当選した岩松近俊さん

議員は何よりも汗をかかねばならないと語る岩松近俊さん。

岩松近俊さん(47)は岩戸神社をはじめ地元の5つの神社の神職を務めている。

神職だけでは生活が成り立たないので、プロパンガスの配達もしていた。その間、地元の子どもたちにソフトボールを教えていて、薬師成人さんの長男も岩松さんの指導を受けた。

「私の住む大姶良町出身の議員さんが引退するに当たって、地元の皆さんから強く推薦されて僕が市議に出ることになりました。幸い当選した後で、伊野さんから会派を組もうと誘われてうれしく思いました。

議員は決して名誉職ではなく、汗をかかなければならないという伊野さんの考えに共感しました。目指す方向も同じなので、一緒にやっていきたいと思ったのです」

鹿屋市議会には5つの会派があって、最大会派は6人で、3人の「未来かのや」は最少会派である。

「会派を結成できるのは3人以上と決まっていて、会派からは代表を議会運営委員会に送ることもできるので重要なんです。われわれが力をつけて議会を牽引していけるように頑張るつもりです」

岩松さんの集落は、日本一のばら園を誇る霧島が丘公園の麓にある。

「公園はばら園だけでなくキャンプ場やマウンテンバイク、ゴーカート場や展望台があって人気なのですが、私は人気の施設はその周辺にも人気のお店があることが必要だと思っています。

私がイチオシしているのは「ふくどめ小牧場」、もともと養豚をなさっていた福留さんですが、次男の洋一さんがドイツに留学して本場のハム・ソーセージ作りをマスターして帰国しました。

インターネットにホームページがありますので、ぜひ見てください。ふくどめ小牧場の商品を買える店ができれば、この地域は活性化すると思っています」

岩松さんも伊野さん同様、地域で頑張っている人を世に送り出したいと考える人のようだった。

【鹿屋市】
鹿児島県大隅半島の中核都市。人口10万3625人(2018年7月末日現在)。落花生やサツマイモ、畜産は黒豚、黒毛牛、ブロイラーが有名。国立鹿屋体育大学、海上自衛隊鹿屋航空基地がある。2006年、鹿屋市、吾平町、串良町、輝北町が合併。

(おわり)

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』182号(2018年8月25日発行)掲載の内容に、若干の修正を加えたものです。

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