故郷と伝統工芸の存続をかけて「しなの花コスメ」の事業化に取り組む五十嵐丈さん、冨樫繁朋さん

自分が生まれ育った故郷が過疎に直面し、住民が減ったり廃屋が増えるのを見るのは何とも寂しいものである。しかし、故郷の衰退を食い止める行動を起こすには、相当の勇気と覚悟、そして実行力が必要だ。

今回は、限界集落化した自分の故郷を残したいという強い思いを抱き、新たな仕事づくりと伝統工芸の存続に挑戦する若者を取材した。

【本誌・松林建】

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』187号(2019年6月25日発行)掲載の内容に、若干の修正を加えたものです。

木の皮を剥いだ糸で織られる「しな織」

山形県鶴岡市の温海(あつみ)地域にある関川集落は、出羽と越後の国境にある鼠ヶ関から十数キロ川をさかのぼった谷あいに開けた山里。冬には積雪が2mを超え、約40年前までは大雪で孤立することもあったほど奥深い山中にある。

この関川では、「しなの木(科の木)」の皮で織る古代布「しな織」が今も生産されている。古代布とは、日本各地に自生する植物で織られた伝統的な布のこと。主なものには大麻、カラムシ、葛、芭蕉などがあり、木綿が普及する16世紀以前の日本では、衣服や布製品として広く使われてきた。

しかし、作るのに手間と時間がかかる古代布は、綿製品が広まると作り手も一気に減少。今は一部地域で伝統工芸として残るのみである。

「しな織」も、木の内側の樹皮を剥ぎ取ってから、煮たり、漬けたり、川で洗ったりと、糸にして織り上げるまでに22もの作業工程がある。そのすべてが手仕事で、完成までに1年以上かかる。この「しな織」を、関川では冬場の生業として大切に継承してきた。

現在では関川の他、県をまたいで隣接する新潟県村上市の雷(いかづち)と山熊田(やまくまだ)の3集落が、「しな織」を使った布製品の生産を続けている。2005年には「羽越しな布」として、経済産業省から伝統的工芸品に指定された。

しかし、産業としての「しな織」は需要が低迷し、厳しい状況が続いている。昭和50年に233人いた関川の人口も、現在では128人と半数近くに減少。後継者育成も満足にできないまま、職人の高齢化に歯止めが利かない状況だ。住民も、集落外に働きに出るか土建業をするしか食べていける収入源がなく、限界集落として衰退が進んでいた。

こうした状況を食い止め、伝統あるしな織の里、関川に仕事をつくろうと、二人の若者が立ち上がった。関川出身の五十嵐丈さん(25)と、近隣の鼠ヶ関出身で東京からUターンした冨樫繁朋さん(39)である。

関川出身の五十嵐さん(左)と、鼠ヶ関出身で3年前にUターンしてきた冨樫さん(右)。

故郷をなくすのは避けたい

五十嵐さんは、関川生まれの関川育ち。学校は歩ける距離にはなく、小学校から高校まではバスで通学した。高校卒業後は新潟大学に進学して化学を専攻し、卒業後は化学の知識を生かせる仕事に就こうと思っていた。しかし、大学1年の夏休みに転機が訪れる。

「たまたま実家に帰省した時に、当時41軒あった集落の世帯が2軒引っ越して39軒になるという話を母親から聞いたんです。それまでの私だったら聞き流していましたが、この時ばかりは、なぜかハッとしました。これまで他人事だった過疎という問題が実は身近で、しかも私の故郷が過疎どころか限界集落であることを初めて自覚したからです。

そして、『故郷をなくすのは、どうしても避けたい』というストレートな感情が湧いてきて、自分が何とかしなければいけないという使命感が芽生えました。この瞬間が、今の私を動かしている原点です。その後、毎年10月に地元で開催される『しな織まつり』を手伝ったり、大学4年生の時は鶴岡市の地域活性化推進員に着任して地域おこし協力隊の方々と温海地域で活動したりと、故郷に貢献できる方法を模索するようになりました」

山懐に抱かれた鶴岡市の関川集落。ここは戊辰戦争で新政府軍と庄内藩が激戦を繰り広げた地でもある。

銀行を1年半で退職してNPOへ

しかし、地域活性化推進員としての契約は1年間。任期満了と同時に五十嵐さんは大学を卒業し、鶴岡市内の荘内銀行に就職した。故郷を残したいという目標は明確だったが、その手段が分からないまま、自分の生活も考えて地元企業で働くことにしたのだ。

地元企業といっても、自宅から鶴岡市内の会社までは、車で山を幾つも越えて約40分。通勤の車中では、故郷の存続について考え続けた。そして、故郷には仕事がないため、自分のように外に出て働いてお金を稼ぎ、消費するしかないことに気が付いた。

「故郷に仕事を生み、お金の流れを作るしかない」。

身をもって痛感した五十嵐さんは、せっかく就職した銀行を1年半で退職し、関川が含まれる温海地域で発足したばかりの「NPO法人自然体験温海コーディネート」に就職し直した。このNPOは、温海の自然や文化、社会を題材にした体験プログラムを提供する団体。地域資源を活用して地元にお金が落ちるので、少しでも貢献できると考えたのだ。

ここで事務局長をしていたのが、都内の大学を卒業してITベンチャー企業に就職し、会社を変えながらITの営業をしていた冨樫さん。2015年に故郷の温海に戻り、NPOを一人で運営していた。なぜ冨樫さんは戻ってきたのか?

「もともと私は、故郷に貢献できる仕事がしたかったんです。だから、家族も地元に残したまま東京で単身赴任生活を続けていましたが、戻るきっかけがつかめないまま仕事を続けていました。そんな折、鶴岡市職員の知人から、新たに設立したNPOの運営者を探していることを聞いたのです。

給料も出るし、地域にも貢献できる。戻るきっかけができたと思い、UターンしてNPOに入社しました。といっても、実質的に運営に携わっているのは私一人。一緒にやれる仲間を募集したら、五十嵐が入ってきたんです」

偶然にもNPOができたおかげで、冨樫さんは故郷に戻り、五十嵐さんも目標に一歩近づくことができた。

伝統工芸をコスメとして再生

NPOでの仕事は、そば打ち、シーカヤック、トレッキングなど、温海地域の自然や文化を生かした体験を観光客に提供すること。関川でも、しなの糸を使ったアクセサリー作り体験を実施し、多少だが関川へのお金の流れを作っていた。しかし、五十嵐さんは関川によりフォーカスし、伝統ある「しな織」に関わる仕事がしたいと考えていた。

そうした折、もう一つ偶然が重なり、五十嵐さんはNPOを続けながら新たなプロジェクトを立ち上げることになった。それが、しなの花を使ってコスメ製品(化粧品)を作る「umuプロジェクト」。「しな織」を作る工程の一つで、糸と糸をつなぐ「績み(うみ)」から命名した。

きっかけは、2014年に鶴岡市が事務局となり設立した「しなの花活用プロジェクト研究会」だった。しなの木は梅雨時期に花が咲き、独特の良い香りを漂わせているが、少数の愛好家が茶の素材として活用していた以外は捨てられ、ほとんど注目されてこなかった。

そこで、日本最先端のバイオテクノロジー研究所である鶴岡市の慶應義塾大学や地元森林組合、商工会、企業などの参画を得て、花の成分を分析して実用化を探る研究会を発足させた。その結果、しなの花が持つ高い抗酸化作用がコスメ製品として利用できることが判明。試行錯誤を重ねた結果、関川産の「しな」を使った化粧水とせっけんの開発に成功した。

この研究成果と製造レシピを五十嵐さんと冨樫さんが引き継ぎ、コスメ製品の製造・販売に乗り出すことになったのだ。

「研究会では、しな織製品を加工・販売するために市が整備した関川の『しな織センター』に製造レシピを渡して、製品化を任せる予定でした。しかし、センターには職人はいても、事業を運営できる人材はいません。製品化できなければ、多額のお金を投じて研究した成果が無駄になります。頭を抱えた担当者から、地元でNPOを運営していたわれわれのところに話が来て、頼み込まれたのがプロジェクトの発端です。われわれも、何らかの形で「しな織」に関わりたいと思っていましたので渡りに船。『やるしかない』と思い決断しました」(五十嵐さん)。

「しな織」は、樹皮をはぎ取ってから、煮たり、漬けたり、川で洗ったりと、機を織るまでに22もの工程を要する。

しかし、決断はしたものの、製品を作る資金が圧倒的に不足していた。補助金の活用も難しく、このままでは事業が進まない。そこで、思い切ってクラウドファンディングに挑戦し、一般から寄付を募った。昨年9月に募集を始め、関川出身の五十嵐さんがプロジェクトリーダーとなって故郷消滅の危機を訴えた。その結果、目標の150万円を上回る188万円もの支援が集まった。

これと並行して、コスメ製品の生産・販売を事業化するため、同志2名を集めて「羽越のデザイン企業組合」という4名の法人を本年2月に設立。冨樫さんが代表理事に就任した。製造を委託する業者も、庄内地域でオーガニックコスメを製造・販売している「ハーブ研究所スパール」という最適の会社と巡り合った。

こうして偶然も味方にしながら、五十嵐さんと冨樫さんは、関川の住民が採取した「しなの花」を企業組合が買い取り、コスメ製品を作って販売する仕事をつくり、目標実現への道筋ができた。

しな織の入り口を広げてファンを増やしたい

コスメ製品は3月に完成し、3月3日に鶴岡市内で「しなの花コスメ」のリリースイベントを開催。関川の存続をかけた事業がスタートした。製品名は「シナの花コスメ」。オーガニック製品の愛好者や若者向けにプロモーションと販売を開始した。

オーガニック製品として販売中の「しなの花コスメ」。

「しな織ファンは年配の方がほとんどです。この状況が続けば伝統が途絶えるかもしれません。今回開発した『シナの花コスメ』は、ローカル、エシカル(社会への配慮)、オーガニックの3要素を備えた新感覚の商品。リリースイベントでも若者が多く集まり、手応えを感じています。このコスメを入り口に「しな織」を若者に知ってもらえれば、新たなファン層を獲得できます。今後もデザイン性に優れた小物や家具などを開発して、幅広い方々に『しな』の存在を知ってほしいですね」(五十嵐さん)。

「シナの花コスメは店舗販売よりも、ふるさと納税の返礼品やネット販売に注力したいと考えています。そのほうが市場が大きく、幅広い顧客層にアプローチできますから。『しな』の認知度を高めて市場を開拓し、一刻も早く利益が出せる体制することが当面の目標です。いずれは従業員も雇用して、関川に通勤したり移住に至る流れを作りたいですね」(冨樫さん)。

伝統ある「しな織」を尊重しながら、新事業で故郷の存続を目指す五十嵐さんと冨樫さん。その挑戦は、これから正念場を迎える。

<取材を終えて>

今回、「シナの花コスメ」を取材したのは、単なる伝統工芸の復活ではなく、新商品を加えて新たな客層を開拓するところに、産業としての新たな可能性を感じたからである。

取材を通じて、伝統工芸品を作って売るだけでは厳しい実態が確認できた。また、地域を残したい思いはあっても、行動を起こす場やきっかけがないと、なかなか動けないのが現実であることも分かった。

しかし、最近ではデザイナーや異業種と組んで伝統工芸を革新する動きが各地で見られる。これに熱意を持った人が加われば、産業として息を吹き返す可能性は大きい。オーガニック製品として「しな織」に新たな風を吹き込んだ「しなの花コスメ」が、今後どのような展開を見せるのか楽しみだ。

(おわり)

>「umu」ホームページ

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