東京23区の中で荒川区といえば、目立った観光地や商店街に乏しく、比較的地味な下町という印象を持つ人が多いのではないだろうか?
この下町風情を魅力に変えて人気を集めているのが、個人商店を巡るスタンプラリー「下町花・フェス!」である。
人気の秘密は何か?花フェスの発起人で「下町花フェス委員会」の代表を務める大竹さんと、花フェスのファン獲得に尽力する井上さんに話を聞いた。
【『かがり火』編集委員/松林建】
観光名所の喧噪から離れた荒川区
北は荒川を挟んで足立区、西は北区、東南は台東区と接する荒川区は、都電が区の中心部を横断し、迷路のような路地裏と昭和の建築物が残る下町風情が漂う地域。
同じ下町でも、谷根千と呼ばれる谷中、根津、千駄木や浅草は観光客で賑うが、その傍らにある荒川区の町屋、南千住、尾久といった街からは、観光名所の喧騒とは無縁の生活臭が感じられる。
この荒川区に点在する個人経営の飲食店や小売店などを対象にしたスタンプラリー「下町花・フェス!(以下花フェス)」が、毎年秋に開催されている。約20日の期間内に各店舗で買物や飲食をすると自分でスタンプを台紙に押すことができ、5個、10個、15個と集めたタイミングで、その時訪れた店舗から、ささやかなプレゼントを受け取れる。
一見ありがちなイベントだが、5回目となる昨年は、97の店舗やサークル等が参加し、約3000のスタンプが押されるほど人気を集めている。店舗の種類も、喫茶店、居酒屋、レストラン、エステサロン、医院、銭湯、ヘアサロン、雑貨屋と幅広い。また、あらかわ遊園、尾久の原公園といった観光スポットにもスタンプが置かれ、店巡りをしながら観光も楽しめる。
地元のお店と人をつなげたい
この花フェスを仕掛けたのが、荒川区の町屋に店を構える「花やMOMO」の店主で、フラワーアレンジメント教室の講師も務める大竹ミキさん。個人がイベントを立ち上げて参加店舗を募るには相当なパワーが必要だが、何が大竹さんを動かしたのか?
「もともと私は、自分が住む荒川区への関心は薄かったと思います。当時は港区の会社に勤務していて、自宅と会社を往復する日々でしたから。でも、出産を機に会社を離れて育児をするうちに、地元の良さがだんだん見えてきました。そのきっかけになった出来事が二つあります。
一つは、子供連れで都心へ買物に出る時に、『何でわざわざ都心まで行かないと買い物ができないんだろう』と感じたことです。出産前までは、美味しいものを食べたり贈答品を買う時は電車で都心に出るのが当たり前。地元では日用品を買えれば十分でした。
でも、子供連れで身動きが取りにくくなった時に、買い物に行く不便さを実感したんです。それからは地元の小さな商店にも目が向き、すてきな商品や店主が身近に存在することに気付きました。
もう一つは、近所のおばさんが子供と遊んでくれたり、預かってくれたことです。子供を通じて下町特有の人情に初めて触れた時、気持ちが安らいでホッと心がほぐれました。
こうした経験を重ねるうちに、私も地元でお店を持って住民の方々が交流できる場をつくりたいと思い、小さな花屋を町屋に開店しました。2010年のことです。しばらく経ってから、同じような個人商店が路地裏に何店もオープンした時期がありました。
店主の方々と話すうちに、こうした小さなお店を大勢の人に知ってもらい、店主との会話を楽しんでほしいと強く思ったんです。地元のお店と人をつなげたい。この思いが原動力となって、幾つかの個人商店に声を掛けて、2014年に花フェスを立ち上げました」
勤務先は都心で、地元には寝に帰ってくるだけという人が多い土地では、地元の住宅地や路地裏にポツンとあるお店は、知られる機会もなければ訪れる人も少ない。しかし、スタンプラリーのような「きっかけ」があれば、口コミや紹介がなくても行く理由ができる。また、小さなお店は入るのに勇気が要るが、スタンプラリーなら気軽に入れそうだ。
お店巡りが楽しい
初年度の花フェスは、荒川、町屋地区の28店舗でスタートした。スタンプ帳を兼ねたチラシはA4版1枚の手書きで、お客様が描いてくれた。当時は地図が記載されていなかったので、参加者はスマホを片手に店を探したそうだ。
しかし、大竹さんの思いに共感して参加する店は年々増え、荒川区全域に拡大。5回目の昨年からは隣接する足立区や北区からも13店が加入して区の枠を超えた。荒川区役所の後援も獲得し、スタンプ帳や、参加店の目印となる旗も制作した。スタンプ帳は図書館や児童館にも置かれ、認知度も向上した。
運営も、大竹さんの「花やMOMO」を含む3店舗で構成する「下町花フェス!委員会」が全体を取りまとめ、各地区に設置した代表店舗が参加店を束ねる体制を整備した。スタートから5年経ち、大竹さん個人の思いから始まった小さな取り組みは、今では荒川区のイベントとして定着しつつある。
「花フェスの参加者は、やはり地元の荒川区民が多いですね。口コミで、じわじわと広まっています。参加者からは、『こんなお店があるなんて知らなかった』、『お店巡りをするのが、どんどん楽しくなる』といった声をいただき、買い物よりも店巡りを楽しまれています。
また、『花フェスをきっかけに、外に出るのが楽しくなった』という方もいました。小さなお店に行くと店主との会話が楽しめますし、美味しいものを食べれば、お腹と気持ちの両方が満たされます。『笑顔花咲く街』をイメージして始めた花フェスですが、参加者が楽しい種を店から店に撒いているようで、本当に嬉しく思います」
下町風情という魅力
こうして順調に規模を拡大してきた花フェスだが、当初から大竹さんは、ある思いを花フェスに込めていた。
「荒川区には、目立った観光資源や大きな商業施設がありません。木造家屋が密集する地区や自転車が一台がやっと通れる路地が多く残り、昔ながらの景色が至るところで見られます。こうした環境も影響していると思いますが、荒川区には、住民同士が気軽に声を掛け合ったり気遣いが自然にできる人情や、気取らずに素のままでいられる風情が残っています。
これが、他の区にはない魅力ですね。すぐ隣の谷根千は下町を売りにして観光客で賑わっていますが、こうした風情は失われているように感じます。この魅力をもっと引き出すことで、住民同士の気持ちがつながり、心が豊かになれる荒川区にしたい。その手段の一つが花フェスだと思っているんです」
この大竹さんの思いを広める伝道師の役を務めているのが、荒川区で不動産業を営む井上恵利子さんである。参加店舗を口コミで宣伝したり、個人商店を巡り花フェスの参加を促したりと、専ら花フェスの営業担当として活動中だ。
「私も区外で働いていましたので、地元には関心がなかったんです。でも、ある時に店巡りをしたら、おいしくて格安の料理が出てきたり、店主の話がとにかく楽しかったりと、地元の魅力を再発見できました。この楽しさを多くの方々と共有したい。そう思って、4回目の花フェスから私も関わるようになりました。今は自分の仕事とも絡めて、『住んで、街ごと楽しめる荒川区』と、あちこちで宣伝しています」
心豊かな暮らしができる荒川区へ
心強い応援者も加わり、花フェスの輪は一層広がりそうな勢いだが、これまでを振り返った感想と今後の展開について、最後に大竹さんに聞いた。
「花フェスを初めて4年目くらいから、売り手、買い手、地域のそれぞれにメリットがある『三方良し』の考え方を持つ店舗や参加者が増えていると感じています。私たちが目指すのは、心豊かな暮らしができる荒川区。その思いが言葉にしなくても広がり始めて、目指す方向が定まってきたと感じています。花フェスの参加店舗を増やすよりも、この思いに賛同する住民が増えることで、自然と花フェスも拡大していくのが理想ですね」
荒川区にいるから人との交流を楽しむことができ、心が豊かになれる。多様な価値観を持つ人が集まる東京23区の中で、こうした一体感を作れる区は貴重である。
心豊かな暮らしができること、笑顔があふれていることが地域づくりの一つの到達点であることを、今回の取材を通じて確信できた。
(おわり)
※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』186号(2019年4月25日発行)掲載の内容に、若干の修正を加えたものです。
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