創刊25周年を迎えた『LEAF』
本誌読者である山形県長井市の八木文明さん(67)は、「大人も子どもも森で遊べ」がテーマのエコ&ネイチャースクール「葉っぱ塾」を主宰している。この塾では、自然体験や登山、ハイキング、環境教育などのメニューを子どもや家族向けに提供するほか、コンサートの運営や震災ボランティア活動も行っている。活動は今年で21年目に入った。
これと並行して、八木さんは隔月で『LEAF』というB5判の小冊子を制作し、知人や友人に配布している。自分が書きたいことをつづった私信として「葉っぱ塾」開始前の1996年8月に始め、今年で創刊25周年。世の中の話題に対する八木さんの考えを記したオピニオン記事が巻頭に掲載され、「葉っぱ塾」が開くイベントのお知らせや近況報告等がつづられる。
八木さんは、本誌110号で「『葉っぱ塾』と吉永小百合さんの原爆詩朗読会」という寄稿を一度掲載させていただいているが、今回はミニコミ誌特集の一環で『LEAF』を中心に紹介したい。
問題を起こした「クラス通信」
八木さんは2008年まで、山形県内の高校で理科の教員を務めていた。『LEAF』と「葉っぱ塾」は、教員時代に二足のわらじで始めたものである。
八木さんは教員時代、教育のあり方に違和感を覚えていた。勉強を教えるだけでなく何かが足りないと試行錯誤を続けるなかで、自分の考えや新聞記事の切り抜きなどをプリント1枚にまとめた「クラス通信」を、週に1度、担任のクラスの生徒に配り始めた。幅広い視点を生徒に持たせたくて始めたが、続けるうちに、自分の考えを大人にも発信したくなった。そこで、ワープロで『LEAF』の創刊号を書き、年賀状をやり取りしていた約50人の友人・知人に郵送した。当初は不定期に配布していたが、10年ほど前からは、偶数月の月末発行に落ち着いた。
自分の考えや問い掛けを、子どもと大人の両方に発信していた八木さんだったが、ある時、「クラス通信」が問題を起こした。『LEAF』を創刊した翌年の1997 年、運動会の入場行進が採点されることへの違和感を、八木さんは『クラス通信』に書いた。軍隊のような一糸乱れない行進を競い合う意味が理解できず、生徒に問題提起をしたのだった。八木さんは校長に呼ばれ、書いた意図をいろいろと聞かれた。
「『クラス通信』は、クラスの生徒と学年担任にしか配っていないので、誰かが写しを取って校長に渡したのでしょう。その時は聞かれただけで終わりましたが、学校のやり方に反抗したと思われたようです。ただ私は、担任が先頭に立って生徒の行進を率いることには承服できませんでした」
この問題以外にも、八木さんは校長や教頭とよく衝突した。翌年、八木さんは突然、他の高校に転勤が決まる。学校の方針に従わないことへの見せしめも同然だった。転勤先ではクラスの担任になることはなく、「クラス通信」の発行も途切れた。
数値目標に失望して教員を早期退職
そうした学校教育への失望も大きかったのだろう。八木さんは教員をする傍ら、自然観察指導員やネイチャーゲーム指導員の資格を取り、2000年に「葉っぱ塾」を始めた。最初は知り合いに個別に声を掛けて参加者を募り、週末に開催した。もちろんボランティアである。しばらくは教員をしながら「葉っぱ塾」の活動を続けたが、ある出来事をきっかけに、八木さんは教員の早期退職を決断する。
「教員時代の最後に赴任した高校で、民間出身の校長から『数値目標を立てなさい』と言われました。学校は企業ではありません。売上を伸ばすように教育を扱うことに強い抵抗を感じ、定年まで教員は続けられないと思いました」
「葉っぱ塾」に手応えを感じていた八木さんは、山岳ガイドの資格を取るなどして活動範囲を広げ、事業化の体制を整えた。そして、2008 年にお子さんが社会人になったのを機に、54歳で教員を退職、「葉っぱ塾」の活動に専念する。
被災地支援とコンサート
当初は知名度が低く、参加者が集まらなかった「葉っぱ塾」だが、活動を続けるうちに地元の新聞にも掲載され、次第に知られ始めた。その矢先に東日本大震災が起こった。活動ができなくなった八木さんは、緊急支援物資を集めたり現地で支援活動を行ったりと、ボランティアに注力する。資金は「葉っぱ塾ボランティア支援募金」の名目で募り、支援内容は『LEAF』にも掲載した。
2012 年5月からは、福島県内の親子を山形に招き、自然の中でリフレッシュしてもらう1泊2日のプログラム「森の休日」を始めた。原発事故の影響で思い切り遊べない福島の子どもたちや保護者に、癒やしの場を提供しようと思った。以来、冬場を除いてほぼ毎月開催し、昨年11月までに通算87回、親子の参加人数は延べ1169人に達している。今後も震災と原発事故の記憶が薄れないよう、募金の呼び掛けと被災地支援活動は続けていくそうだ。
また、「葉っぱ塾」の活動の場は自然だけではない。長井市やその周辺で、演奏家によるコンサートも開催している。八木さんは教員時代に「山形日本フィルの会」を立ち上げ、山形県内で日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートを約20年間、ボランティアで企画・運営してきた経歴がある。
演奏家の知人も多い。本号28ページで紹介したケーナ奏者で、作詞家でもある弟の八木倫明さんもその一人。普段は「やぎりん」の愛称で首都圏で演奏活動をしているが、「葉っぱ塾」の活動の一つとして、山形で何度もコンサートを開いている。2005年10月には女優の吉永小百合さんを招き、山形県小国町の基督教独立学園高校で原爆詩朗読会も開催した。
小さなことでも続ければ意味を持つ
現在、『LEAF』の発行数は、郵送150部、手渡し15部ほど。送り先には、ボランティアで知り合った人たちや、かつて担任していたクラスの生徒もいる。出し続ける上で苦労はないのだろうか?
「自分の気持ちからあふれ出すことを書いているので、苦労とは感じません。私にとって『LEAF』と「葉っぱ塾」は息をしているようなもので、生きている証し。やっていることは小さいですが、続けていれば意味が生まれると思っています。できる限り続けたいですね」
自然や芸術を通じて人々が豊かな感性を育み、その感動を分かち合えることを八木さんは願っている。それが「葉っぱ塾」に結実し、感動や思いを気兼ねなく発する『LEAF』がある。今回の取材で、八木さんは理想の教育の形を自らつくり上げたのだと感じた。
(本誌・松林建)
(おわり)