【連載 イタリア支局長だより】第1話 転職

みなさん、はじめまして。

イタリア中部の小さな街、フォリーニョに住む翻訳家兼コピーライターのジョーです。私の経歴については、10年ほど前の最初の投稿(『かがり火』No.160、161)で赤裸々に語っておりますが、改めて簡単に自己紹介をさせてください。

私は、ドイツ人の父と熊本出身の母の間に生まれました。ベルリンで知り合ったイタリア人の妻(現在は離婚調停中なので、正式には元妻)と共に12年前にイタリアへ移住し、二人の子どもをもうけました。当初はイタリア語が話せなかったのでドイツ語と日本語の翻訳業を始め、現在も同職に徹しています。これから何回かにわたり、イタリアで暮らす私の日常や思いなどをエッセイ風にお伝えしたいと思います。

素敵で素朴な人であふれているフォリーニョ

「小生」。これは、私が日本語で一番好きな言葉だと言っても過言ではない。そこには質素に、謙虚に生きる日本人としてのピュアなアイデンティティが反映されている。海外で生活するということは、ある種、この「小生」としての生き方を極めることでもある。現地の人を最大限にリスペクトし、いきがったことをしないこと。これが鉄則である。自分の陣地ではない場所、極端に言えば敵地で暮らしていくということは、そう簡単ではないからだ。もちろん、敵地が敵にあふれているわけではない。むしろ素敵な心優しい人々であふれていて、ぬるま湯に浸かっているような天国かもしれない。それが私のイタリア生活だ。

私の出身は九州の熊本県菊池郡(現在は市)である。そして今はイタリアの真ん中、フォリーニョ市に住んでいる。先ほど菊池郡を市と書かずにあえて郡と書いたが、フォリーニョも規模的には郡と言った方がしっくり来るかもしれない。現地民に郡なんて言ったら叱られそうだが人口5万5千人くらいの街で、とても素敵で素朴な人であふれている。大都市にあるような「冷たさ」がない。周囲は山に囲まれていて、その景色が大自然阿蘇の景色によく似ている。だからホームシックになったことは一度もない。むしろ、こんな素晴らしい場所に住まわせていただいて、日々喜びを噛み締めるばかりだ。

古着屋のオープンに向けて

よく知り合いから「日本には帰らないの?」と尋ねられる。しかし日本に帰るとなると、航空券や宿泊費や移動費やらで100万円近い出費になるだろう。そんな大金を使うよりも、車で2時間くらいの海岸の街に行きAir bnbで民泊した方が、よほど贅沢な想いができる。日本なんて嫌気がさすほど知っているし、うちの子供たちも正直、日本に行くよりは海で遊ぶ方を今のうちは好むようである。だから毎年、リミニと呼ばれる海岸の街に1週間行っている。私はこの1週間を有意義に過ごすために、1年中翻訳家として低収入な仕事を蟻のように行っている。夜中まで働くことなんてザラだ。クリスマスも年末年始もない。今年の大晦日も働いていたし、今もこの原稿を夜中の2時に書いている。

「でもそれでも良いんだ。書くのが好きだから」というわけでもない。私はもう翻訳業に嫌気がさして今、転職を考えている。小さな古着屋さんをオープンすることだ。ひょっとしたら転職ではなく、私の天職になるかもしれない。そんなことを周囲に話したところで「そんなの無理だよ」と突き返されるだけだから、一人でこっそり、少しずつ古着を買い込んでいる。家賃月5万くらいの物件も見つけた。月5万なら、翻訳家として3日くらい徹夜すればそれで賄える。貯金も底がついてきたが、近日中に、そこのテナントの下見に行く予定だ。下見に行く際は、敷金を現金で封筒に入れて用意していくつもりだ。イタリア人の妻に見捨てられ、今、フォリーニョの中心部から5kmくらい離れた郊外の古いアパートに住んでいるが、そこも家賃は3万くらい。テナントの家賃と合わせると8万円。末広がりの8で実に縁起がいい。テナントの下見も1月8日。これは良いスタートが切れそうだ。

イタリアより愛を込めて
ジョー