【連載 イタリア支局長だより】第9話 料理の『人間味』が紡いだ絆

私が従事している翻訳業界では最近、AIや機械が翻訳したものを人間が手直しするという案件が増えている。単価は驚くほど安く、従来の翻訳の三分の一か、それ以下しかもらえない。それでは商売あがったりだと思い、2年ほど前に移動コックのサイドビジネスを考えた。

移動コックとは、私がお客さんの家へ出向き、そこのキッチンを利用して料理をするもの。私は高校時代に母の沖縄料理店を手伝い、高校卒業後もしばらく調理師として働いていた。その経験を活かそうと思ったのである。ただ、私が住むイタリアの田舎町フォリーニョでは、アジアの食材は手に入りにくい。だから、イタリアの食材を和風にアレンジした和と伊の混ぜこぜキッチンを「フュージョン」と名付け、ウリにしようと思った。ウンブリア産の生ソーセージと味噌を組み合わせたパスタ、イタリア中部でよく採れるキノコ「ポルチーニ」を使った醬油味のリゾット、瓶入りで手に入るモヤシを使ったレモン醤油味のサラダ、アーティチョークの柚子胡椒和えなど、メニューはこの地方で手に入るものをベースにした。日本の素材は、母が定期的に送ってくれる柚子胡椒くらいのものだ。柚子はイタリアのシトロンに味が似ているので、私は日本産シトロンだと言って紹介している。これがイタリア人の口に合うらしく、評判が良い。他にもエキゾチックなイメージを出すために、ココナッツミルクを使ったメニューも開発した。衛生管理の資格も取得した。

これで準備は整ったのだが、このビジネスが形になることはなかった。客が集まらなかったのだ。他人に自宅のキッチンを使わせることに抵抗があったのだろう。Facebookで宣伝したり、インスタグラムに料理の写真を投稿したりしたが、全然オーダーが入らなかった。唯一、注文をくれたのがマノーロだった。私がこのビジネスを始めた直後に、彼は「うちにご飯を作りに来て欲しい」と最初のオーダーをくれた。それからというもの、定期的に彼の家にご飯を作りに行っている。

マノーロ

生まれも育ちもフォリーニョのマノーロは49歳。一目惚れで知り合ったポーランド出身の美人パートナー、パウリーナと2歳半の息子ダヴィッドと暮らしている。大学で音楽・声楽、心理学を学んだ彼は現在、音の波動を通じたメディテーション(瞑想)やボイストレーニングで生計を立てている。彼自身も音楽家で、素晴らしい歌声は、この地域で定評がある。

ハンモックを使って振動瞑想をするマノーロ

そんなマノーロはとても物知りだ。政治から経済、歴史など、色々なことに深い知識を持っている。それもそのはず、彼は大の読書家なのだ。彼の家に料理を作りに行くのは、彼の人生塾に通っているようなもの。深い知識に裏打ちされた彼の話は、どんなトーク番組よりも面白い。

また彼には友人も多く、料理を作りにいくときは彼の友人も1~2人招待するのが恒例になっている。友人も私と同じように彼の話を興味深く聴き、時にはヒートアップした議論が繰り広げられる。それもまた私の楽しみだ。友達の友達はまた友達。彼の友人もすごく親切に接してくれて、マノーロを中心に私の友人の輪が広がっている。異国の地で妻と離婚して一人ものになった私にとって、マノーロとの出会いは新たな希望の光となった。

マノーロには熊本の高菜飯やブランデーを使った唐揚げ、ズッキーニとメンマの炒め物などがすごく喜ばれた。最初はお金をもらって料理をしていたが、友達にお金をもらうのも申し訳なく、今は材料だけ調達してもらっている。ビジネスも含め彼には色々な相談に乗ってもらっているので、私にはそれで十分だ。彼は払いたいようだが、私はあえてそれを断った。

冒頭でAIが私の仕事を脅かしていると書いたが、AIがどんなに頭が良くても、人間が真心こめて作る料理は真似できない。私が若い頃、過酷な厨房で汗水垂らして習得した料理の「人間味」が、マノーロには伝わったのだろう。サイドビジネスとしては成り立たなかったが、素晴らしい友情を培うことができて心から満足している。マノーロよ、ありがとう!

(イタリア フォリーニョ支局長 ジョー)