【そんな生き方あったんや!】第20回「牛の呼吸を感じながら撮る」牛写真家・高田千鶴さん

2021年は丑年。この12年に1度のタイミングに、満を持してご登場いただくのが今回のゲスト、牛写真家の高田千鶴さんです。「いつ出てもらうか?今でしょ!」と心の中で叫んだことは言うまでもありません。

高田さんは大阪府立農芸高等学校の出身。そこから酪農ヘルパーを経て牛写真家になったという、異色の経歴の持ち主です。『うしのひとりごと』など写真集の出版や、専門誌での撮影、エッセーの執筆、各種媒体への写真提供のほか、ライフワークである牧場ガイドの制作など、現在2児の母でありながら精力的に活動しています。

ちなみに杉原とは15年来の友人で、本文では彼女のことを「ちいちゃん」と呼んでおりますのであしからず。「牛に引かれて善光寺参り」を地で行くその生き方には、牛への愛情が満ちあふれていたのでした。

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』197号(2021年2月25日発行)掲載の内容に、若干の修正を加えたものです。

【プロフィール】

高田 千鶴(たかた ちづる) 牛写真家/動物写真家。1979年、大阪府生まれ。東京都八王子市在住。1994年に大阪府立農芸高等学校資源動物科に入学。3年間、大家畜部(牛部)で牛の世話を経験し、以来、牛が大好き。酪農ヘルパーの職務経験を経て牛写真家に転身。カメラ片手に全国の牧場を巡り、写真を撮り続けている。主な書籍は『うしのひとりごと』『もふもふはなこ』『スマイル☆アルパカ』など。2015年より酪農専門誌『デーリィ・プロフェッショナル』にてフォトエッセー「牛とおっちゃん」を連載中。家畜人工受精師。愛玩動物飼養管理士2級。

杉原 学(すぎはら まなぶ) 文筆家。専門は時間哲学。1977年、大阪府生まれ。東京都北区在住。四天王寺国際仏教大学中退後、インド放浪、劇団ひまわり研究生、広告会社のコピーライターを経て、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科に入学。自殺予防の研究で修士号取得。博士課程中退。現在の研究テーマは「<自分の時間>とは何か」。単著に『考えない論』、共著に内山節編著『半市場経済』(第三章「存在感のある時間を求めて」執筆)など。世界で最も非生産的な会議「高等遊民会議」世話人。日本時間学会会員。かがり火WEB共同主宰。

牧場巡りがライフワーク

杉原 全国の牧場を巡ってるの?

高田 巡ってる!単純にいろんな牛を見たいと思って。そこで写真を撮って、仕事につながればいいし、つながらなかったとしても、牧場紹介に使えるし。「この牧場ではこういうふれあいができますよ」みたいな牧場ガイドを、自分のホームページで作っていて。あとは、生産農家さんから「写真撮りに来ていいよ」って言ってもらえることもあって。農芸高校と酪農ヘルパーで牛の扱いをずっと学んできたから、一般の人が入れない放牧場とか牛舎も「入っていいよ」って言ってもらえるし、いろいろお話も聞かせてもらえるし。それはすごく、今までの経験が糧になってるかな。

杉原 一般の人が、ちいちゃんみたいに牛を撮りたいと思っても、そうはいかんわけよな。

高田 やっぱり牛って大きいから、「放牧場に入って撮っていいよ」って言われても、普通は怖いと思う。でも「ここらへんまでは近づいていい」とか、「今は牛が興奮してるから外へ出よう」とか、そこは自分でちゃんと分かるから。そういうところを信用してもらえて「撮ってていいよ」って。半日ぐらい一人でずーっと放牧場で牛を撮ったりしてて(笑)。それだけ任せてもらえるのは、経験があってこそかなと思う。

牛のそばにいるのが大好きな高田さん。

杉原 今までどれぐらいの牧場に行ってきたの?

高田 正確には数えてないけど、多分200近くは行ったのかな。牧場巡りで100軒ぐらいは回ったのと、酪農ヘルパーの仕事で70〜80軒ぐらいは行ったと思うから。

杉原 すごいな。じゃあ牧場巡りは、農芸高校の時からライフワーク的にやってきたんや。

高田 うん。北は北海道から、南は長崎ぐらいまで。今は子どもが小さくてなかなか行けないけど、いずれは47都道府県の牧場を紹介できたらなと思ってる。

農芸高校で牛と出会う

杉原 牛が好きになったきっかけは、やっぱり農芸高校?

高田 そうそう。小4の時に引っ越した家が、農芸高校まで歩いて10分くらいのところで。もともと動物が好きだったから、「何この動物いっぱいいる高校!」「もう絶対ここに行こう!」と思って。入学当初はまず、牛や豚の世話、小動物、実験動物、飼料作物、乳加工、肉加工とかの作業を一通り体験して、入りたい部を選ぶことになっていて。牛は朝早いし、毎日世話もあるから、一番大変そうな感じがしたけど、一番やりがいもあるかなと思って。牛、なんかかわいいなと思ったし。それで大家畜部という、牛の世話をする部に3年間所属しました。

杉原 そっか。けど考えてみたら、たまたま農芸高校の近くに引っ越したこと自体が、すごい偶然よな。

高田 うん。偶然というか、むしろ運命なのかな(笑)。本当によかったなーって思ってる。

高校時代の高田さん。休みの日も学校で陸と添い寝。

杉原 牛の写真を撮り始めたきっかけは?

高田 もともと写真が好きで、高校に入ってからもいっぱい撮ってたから、友達には「カメラ小僧」って言われていて。でもちゃんと牛を撮り始めたきっかけは、子牛の世話を担当したことかな。生まれた子牛に「陸(りく)」っていう名前を付けて世話をしたんだけど、自分が名前を付けた子って、もう無償の愛というか、本当にかわいくてかわいくて。でも雄だったから、7、8週間ぐらいで肉牛として売られていくのは決まっていて。

だから「その間の姿をとにかく残さなきゃ!」と思って。売られてすぐ肉になるわけじゃなくて、別の牧場で大きくなってから肉になるんだけど。ペットなら寿命まで一緒にいられるけど、家畜って、人間の都合で命の期限が決められるから、その陸が生きていた証しを写真に残したいと思って、毎日のように撮りだして。それが一番のきっかけかな。

酪農ヘルパーから牛写真家へ

杉原 ほんで農芸高校を卒業して、酪農ヘルパーとして就職したんや。

高田 そうそう。ただ先生は「大学に行けばいいのに」って勧めてくれていて。高校時代には夏休みの1カ月間、カリフォルニアで農業研修したり、農業高校のプロジェクト発表会で近畿大会に出たりもして頑張ってはいたから、「帯広畜産大学に行くんやったら推薦したるで」とかも言ってもらってたけど、その時は「机に向かって勉強するより、牛と触れ合っていたい!」と思って。それで酪農ヘルパーに就職する道を選んだ。でもそこで腰痛になって、背骨にひびが入ってしまって。結局、2年で辞めることになって。

杉原 そっか……。

高田 「この腰じゃもう牛の世話は出来ない……」と思って、とりあえずカメラ屋で働いていた時に、友達が「牛の写真集が欲しい」って言ったの。それをきっかけに「じゃあ私が作るから待ってて!」って、自分の一眼レフカメラを買って、作品として牛を撮ろうと思った。酪農ヘルパーを辞めた時は、「もう牛と関わることもないのかな……」と思ったし、それからいろんな仕事をしてきたけど、心の片隅にはずーっと「牛が好き」っていうのがあって。「牛の写真集が欲しい」って言ってくれたその友達が、また牛とつながっていられる理由をくれた、みたいな。

杉原 うんうん。それで出来たのが『うしのひとりごと』やねんな。前回の丑年に出版されて。

前回の丑年(2009年)に出版された写真集『うしのひとりごと』(河出書房新社)。

高田 そうそう。だから今年も、写真集か何か出せたらいいなーと思ってはいるけど。

杉原 ほんまやなあ。ところで、大阪から東京に出たきっかけは何やったの?

高田 父が東京の会社に勤めていて、千葉に単身赴任してたから、母が姉と私に「どっちか東京に行ってあげたら?」って(笑)。私も、東京に行ったら写真の勉強できるかなーと思ったし、大阪よりは可能性あるのかなと思って。「じゃあ行ってみる」って上京した。

杉原 そのまま大阪にいてたら、また違ったんやろうな。

高田 やっぱり仕事の機会は少なかったと思うし、カメラマンになってたかどうかもわからない。

杉原 ちなみに今はどういう仕事が多いの?

高田 定期的には『デーリィ・プロフェッショナル』という酪農の雑誌でフォトエッセーを連載させてもらったり、農業高校生が読む『リーダーシップ』という雑誌で撮影の仕事とか。他にも単発の仕事がいろいろあって、最近では牛の絵本に写真を使ってもらったり。今年は丑年だから、年賀状の素材に牛の写真を使いたいとか。

杉原 12年に一度、特需がくるわけですね。

高田 そうそう(笑)。丑年っていうことで、取材もたくさんしてもらってる。これもそうだけど、ありがたいです。

牛の呼吸を感じながら撮る

杉原 牛のどういうところが好きなん?

高田 見た目で言うと、目がすごく好き。真ん丸で、すごいやさしい目してるなあと思う。あと大きな身体とか。でも一番好きなのは空気感。なんかもう、牛の周りの空気全体がすごく好きで。

杉原 へ~。

高田 牛といる時に流れる時間みたいなのもすごく好き。普段生活してて、子どももいるとせかせかしてしまうけど、牛といる時は、のんびり草をクッチャクッチャしてるのを、ただただ見てたりして。その流れる空気のゆっくりなところが、すごく心地いいし、癒やされる。

杉原 ああ~。なんか『生物から見た世界』(岩波文庫)っていう本の中で、ユクスキュルっていう人が言ってたんやけど。僕らはみんな同じ世界を生きてるわけじゃなくて、生物ごとにそれぞれの主観的な世界を生きてるんやって。そこでは時間の感覚も違って、例えば人間にとっての10年を、ノミは一瞬のように感じてたりとか。そういう世界をユクスキュルは「環世界」って言っていて、生物ごとの環世界があると。だから牛には牛の環世界があって、そこでは人間とは違う時間が流れていて。ちいちゃんが牛といる時は、その牛の環世界に入るんやろな、きっと。

高田さんと一緒に日向ぼっこする牛。(撮影:高田千鶴)

高田 ああ!ほんとにそんな感じ。牛といる時は、何か別の世界にいる感じで。その牛の呼吸を感じながら、写真を撮って。自分の子ども相手だと「早くしてほしいー!」って思うことも多いし、家事とかも効率よくやりたいって思うけど、牛と一緒にいる時は、そのゆっくりが逆に心地いいって思う。別世界にお邪魔させてもらってるのかな、私は。

杉原 そうかもな。我が子のように牛を育てたり、近くで写真を撮り続けて、牛の気持ちに寄り添ってきたから、牛の主観的な世界が感じられるんかもしれんな。

写真に写る牛との関係

杉原 牛写真家として仕事してて、印象的やった出来事はある?

高田 北海道の酪農家さんが、「仕事で毎日牛と向き合ってるけど、自分が見てる牛の顔と、高田さんの撮る牛の顔が全然違う」って。「それは牛の写真を撮ってる時に、高田さん自身が笑ってるからなのかな?」って言ってくれて。なんか、すごくうれしいなあと思った。

杉原 うんうん。

高田 私自身がリラックスして「牛かわいい~」っていう気持ちで、ニコニコしながら撮ることで、牛が笑ってくれる、笑ってるような写真が撮れるのかなって。だからこれからも、そうしていこうと思った。「もう、笑ってよ~!」みたいな感じじゃなくて、「牛かわいいな」って思いながら撮ると、そういう気持ちが写真に表れて、見てくれた人の心が癒やされたらうれしいなーって。

杉原 俺は写真のこと全然わからんけど、撮る人と被写体との関係がそこに写るんかな。

高田 うん、同じものを撮っても、人によって見え方、撮り方は違うだろうし。……そう、石川県に、50年ぐらい牛の絵を描き続けている絵の先生がいらっしゃって。その方の絵画教室に通っている牛好きな女の子が、『うしのひとりごと』をその先生に渡してくれて。そうしたら、「50年牛の絵を描いてきたけど、自分が見てた牛と全然違う!」と衝撃を受けたと言ってくださって。それで、「高田さんの写真を基に絵を描きたい」って言ってくださって。

杉原 へ~!

高田 で、牛の写真を見ながら描かれた絵がまたすごい……。それまでその先生が描かれてきた牛の絵と、表情が全然違って。少なからずそういう影響を与えられた……と言ったら偉そうだけど、うれしいなと思った。

仲良しな牛たちの上にハートの雲が現れた決定的瞬間。(撮影:高田千鶴)

杉原 なんか不思議やな。それぞれが「牛っていうのはこういうものだ」って思っている牛を見るんかな。

高田 「大きい」とか「怖いそう」とか、あらかじめ先入観で出来上がってしまっているイメージで見てしまうのかも……。

杉原 それって映画のフィルムみたいなもんかな。同じ牛でも、ニコニコしてるコマだけを編集してつなぎ合わせたら、ずっとニコニコしてる牛の映像になるし、悲しそうにしてる牛ばっかりつなぎ合わせたら、悲しい牛がそこにいるっていう。で、その牛と自分との関係によって、つなげるコマが変わってくると。

高田 なるほど〜!同じ牛を見てるはずなのに、これほど感じ方が違うのかって思うことはある。

杉原 もっと言えば、ちいちゃんが牛って言う時には、例えば「陸」とか、これまで撮影してきた実在する牛、固有の牛が思い浮かぶと思うんやけど、「イメージとしての牛」としか関われへん人もいるわけやんか。それは「牛全般」みたいな、概念としての牛で、本当はどこにもいない牛やねんけど。そうなると、なおさら全然違う世界を見ることになるやろうしな。

高田 だとしたら、せめて私が撮った写真を見て、「ああ、牛ってこんなかわいいんだ!」っていう目で牛を見てほしいなって思う。「あ、牛ってこんな表情もするんだ~」って。やっぱり見え方って、気持ち一つで全然違うんだろうなっていうのはすごく思う。

「ごめんだけどありがとう」

杉原 これからやっていきたいことはある?

高田 今までずーっとやってきてることを、続けたい。牧場紹介も、まだ47都道府県を回りきれてないし。わかりやすく情報を整理して、充実させていこうと思っています。それと、子どもたちが牧場に行ってみたい、牧場でいろんな体験をしてみたいと思えるきっかけもつくっていけたらいいなって、最近は思ってる。

杉原 というと?

高田 いま小3の息子が、東京都八王子市の磯沼牧場さんで「カウボーイ・カウガールスクール」というのに通っていて。牛の餌やりとか、子牛の哺乳とか、いろんな体験をさせてもらってるんだけど。そこでこの間、子牛が生まれる瞬間に立ち会えたんだけど、その子牛が雄で。そしたら息子が、「お肉になるために生まれてきたんだね」って、ちょっとしょぼんとしながら言って。でもしばらくしてから、子牛に向かって「ごめんだけどありがとう」って言ったの。

杉原 へ~!

高田 何かそれが「すごい!」と思って。スーパーで売られているお肉と、生きている牛が同じものだっていうことが、子どもの中でつながったんだろうなっていうのを感じて。そういう経験を、いろんな子どもたちにしてほしいなって思うようになって。

牛の世話を体験する小学3年生の息子さん。(撮影:高田千鶴)

杉原 あ〜。確かに人間が生きるためには、何かを殺して食べたりしているわけで。その現実を受け入れながら生きていかんとうそになるし。「ごめんだけどありがとう」って、けっこう本質的よな。

高田 そうそう、素直な子どもだからこそすごいなって思った、その言葉が。私が「ありがたいね」みたいなことを言ったわけでもなく、子どもが自分の頭の中で消化して。最初はやっぱり「お肉に生まれてきてかわいそう」って思ったけど、「でもありがとう」って子どもの口から出てきたのが、「おお~!」と思って。

杉原 すごいな。

高田 「お肉になる前は牛は生きている動物なんだよ」とか、「だから命を大事にしなさい」とか、「食べ物を粗末にしちゃいけないよ」っていうのを、大人がいくら言ってもなかなか響かないというか、実感としては感じにくいところだと思う。だけどそういう場面に実際に触れることで、子ども自身がちゃんと自分でそう感じ取ったんだと思うと、もう何か、すごいなと。こういう体験をみんなにしてもらいたいなって、最近すごく思ってる。

牛に引かれて善光寺参り

杉原 じゃあ最後に。座右の銘とか、人生の指針にしてるような言葉があれば。

高田 座右の銘じゃないかもしれないけど、「牛に引かれて善光寺参り」っていう言葉があるじゃない?逃げた牛を追いかけている間に善光寺に着いた、っていう。思いがけぬところにいいことがあった、みたいなことわざなんだけど。その言葉みたいに、ただ牛を追いかけていって、その行き着いた先にいいことがあればいいなって、思っております。

杉原 ちいちゃんはまさにそうやな。

高田 うん、本当にそう思う(笑)。ブレずに牛を追いかけてきたことで、うれしい出会いがたくさんあったし、今がすごく幸せ!

杉原 「牛に引かれて善光寺人生」やな。

高田 そうそう!まさにそんな感じ。これからも、そうであってほしい。

ゲストの高田千鶴さん(左)と杉原学。新型コロナの緊急事態宣言が出たこともあり、大事をとってオンライン対談に。

(おわり)

>高田千鶴ホームページ「USHICAMERA」

高田千鶴『うしのひとりごと』河出書房新社、2009年。

那須アルパカ牧場著、高田千鶴写真『もふもふはなこ』建築資料研究社、2009年。

那須アルパカ牧場著、高田千鶴写真『スマイル☆アルパカ』建築資料研究社、2009年。