【寄稿】馬の瞳の奥に無限の自然を見た。―映画「馬ありて」について―(映画監督・笹谷遼平さん)

こんにちは。かがり火WEB編集部の杉原です。

今回は、映画「馬ありて」の公開(2019年11月30日)に合わせて、監督の笹谷遼平さんに寄稿をお願いしました。

都会に生きる僕たちが、馬の存在を身近に感じることはほとんどありません。ところが笹谷さんによれば、人間と馬との関係は、約1800年以上も続いてきたといいます。

「馬ありて」の予告篇は、北海道で生きる馬飼いの、次の言葉から始まります。

「まあ、人間ぐらい悪い動物はいない。自然を破壊し、地球を破壊して、こんな悪い動物はいない」

残念ながら、僕はこれに反論する言葉を持ちません。しかも現代を見渡してみれば、その人間の「悪さ」は、ますます深まっているようにさえ見えます。

ひるがえって馬の姿を見る時、僕はそこに何かしら「気高さ」のようなものを感じます。それが何なのかはわかりませんが、もしかすると、馬と関わっていた時代の人間は、その馬の「気高さ」のようなものを、ほんの少し、おすそ分けしてもらいながら生きていたのではないでしょうか。

とすれば、馬との関わりの喪失は、人間にとって、何か大きな喪失、大切なものの喪失でもあったのかもしれません。

笹谷さんからこの映画の話を聞いたとき、僕はその「大切なもの」が何だったのかを、ぜひ確かめたいと思いました。それを知ることは、僕たちの生き方を大きく変える可能性を持っているような気がしたからです。

そんな期待を、笹谷さんの文章を通して、読者のみなさんと共有できたらうれしいです。

(かがり火WEB編集部・杉原)

はじめに

はじめまして。映画「馬ありて」監督の笹谷遼平と申します。ここに寄稿できることをとても光栄に思っています。

この度、私が撮影・監督をした北日本の馬文化のドキュメンタリー「馬ありて」が11月30日(土)11:00より、東京渋谷のシアター・イメージフォーラムにて公開されます(終了日未定)。

そこで今回機会を頂き、本映画についてここに記していきます。

まず映画「馬ありて」ではパンフレット作成にあたり、哲学者の内山節先生にご寄稿を頂きました。その一節を引用します。

「この映画に登場する馬とその家族、その世界を包む自然は、お互いに対する敬意によって結ばれている。」

内山節『人間が馬を飼い、馬が人間を飼う』(「馬ありて」パンフレットより抜粋)

映画「馬ありて」について

本作品では2013年から3つの場所を軸に撮影を行いました。まず北海道帯広市のばんえい競馬、北海道むかわ町のポニーレースのお祭り、そして岩手県遠野市の伐採された木を馬で運ぶ「馬搬(ばはん)」という仕事と馬の神様・オシラサマという信仰についてです。北日本の厳しい自然のなか、時が止まったかのような馬と人間の営みをモノクロの映像でつづりました。

マイナス25度。息が瞬時に凍りつきます。馬たちの暑い汗は蒸気になり、煙のように漂い、やがて体毛と共に凍ります。北海道帯広市ばんえい競馬場での光景です。

馬と人間の関係は約1800年といわれています。時には働き手として、時には家族として、今では考えられないほど、馬は人間の生活に欠かせない身近な、当たり前な存在でした。しかし、車やトラクターを始めとするエンジンの動力の普及により、馬と人間との労働は激減し、現代ではきわめて希少になりました。

なぜ馬を撮るのか?

2011年の東日本大震災、原発事故は戦争を知らない私の世代(1986年生まれ)に大きな影響を及ぼしました。沢山の人が「命」の問題や、経済主義が果たして真に幸せなのかを考えたと思います。

私も例外でなく、それまでエロやサブカルチャーばかりを追いかけていたのですが、一転して命と真正面から向き合いたいと思い、また日本の原風景には馬がいたという思い込みから、「昔から続いている馬と人間の営み」を求め映画の断片を拾い集め、旅をしました。

そして撮影を進めていくにつれ、馬と人間の関係は「終わりにむかっている文化」だということを再認識しました。そんな中、幸運だったのは、馬と共に山へ入り昔ながらの姿で「馬搬」をする職人の最後の姿をこの目で見られたことです。

「人間の鼻、耳、喉笛、馬は何でも喰う。耳取られた人はいくらでもいる。そして、俺も山で何頭も馬を死なせた」と東北弁で語る見方芳勝氏。

山における馬との仕事はまさに真剣勝負です。私の目には、時に叫び手綱一本で馬を操る彼が、もはや馬とともに山の一部と化しているように見えました。その光景は私が普段都会で見ている、疲弊した顔でスマートフォンをさする現代人とは対極のものでした。

もしかすると、馬や見方氏のこうした身体能力は、かつて人たちは当たり前に持っていたのかもしれません。それほどの普遍性を感じ、あらゆるテクノロジーや便利さにかまけて私たちが失ったものの大きさを痛感しました。

自然のなかで

この馬を求めた旅は、何も感じず生きていた私にとっては、代え難い「更生の旅」でした。

「人間にとって馬とは何なのか?」

その結論は出ていません。そしてこの映画を見てくださる一人一人に違った答えがあると思います。しかし一つ言えるのは、馬と人間の関係には信頼や敬意があるということです。そして人間は馬の奥に、雄大な自然を見ているのではないか?私はそう思うようになりました。

人間が馬と、そして自然とどのような関係を結んできたか、記憶をたどるようにこの映画を観て頂けますと幸いです。

「馬ありて」/2019年/88分/撮影・監督 笹谷遼平

笹谷遼平
1986年京都生まれ。六字映画機構主宰。大学卒業後、映画を作り始める。ドキュメンタリーから劇映画、シナリオまで「自然の中で人間がいかに生きるか」をテーマに映画を作っている。映画「馬ありて」を監督。2019年、日本に実在した漂流民・サンカをモチーフにした初の長編劇映画「山歌(サンカ)」を監督。詳しくはこちら

『かがり火』定期購読のお申し込み

まちやむらを元気にするノウハウ満載の『かがり火』が自宅に届く!「定期購読」をぜひご利用ください。『かがり火』は隔月刊の地域づくり情報誌です(書店では販売しておりません)。みなさまのご講読をお待ちしております。

年間予約購読料(年6回配本+支局長名鑑) 9,000円(送料、消費税込み)

お申し込みはこちら