【第7回】そんな生き方あったんや!「地域と共に生きる駄菓子屋」駄菓子屋店主/デザイナー・中村晋也さん

西東京市にある西武新宿線・西武柳沢(せいぶやぎさわ)駅。小さな駅ではありますが、周辺に個性的なお店が多く、にわかに注目を集めています。その北口商店街の西端にあるのが、地域の集いの場にもなっている駄菓子屋「ヤギサワベース」。今回ご登場いただくのは、グラフィックデザイナーとして活躍しながら駄菓子屋さんを営んでいる、中村晋也さんです。

杉原が中村さんと初めて出会ったのは、同じ商店街で営業するクラフトビールの店「ヤギサワバル」(『かがり火』172号に登場した大谷剛志さんのお店)のオープンに向けた集まりでのこと。中村さんは、ヤギサワバルのロゴマークの制作から、商店街の人々とのつなぎ役まで、大車輪の働きでお店を支援してくれました。地域の人々から絶大な信頼を得ている中村さんは、まさに柳沢のキーマンの一人なのです。

そんな中村さんが、デザインという生業を持ちながら、駄菓子屋をオープンさせたのはなぜなのか。その経緯を中心に、ヤギサワベースでお話を伺いました。

ゲストの中村晋也さん(左)と、駄菓子に囲まれてテンションが上がる杉原学。

【プロフィール】

中村 晋也(なかむら しんや) 1974年東京生まれ。西東京市在住。漫画家への道を探るために、多摩美術大学芸術学科に入学。在学中はマンガ研究会に所属しプロを目指すが挫折。卒業後はアニメ制作会社を経て、テレビCMの製作会社に。その後活動の場を紙媒体に移し、株式会社日本形色にてデザイン業務に従事。2002年に同じ会社の先輩とともに有限会社NKグラフィコを設立。西岸良平のまんが「三丁目の夕日」の茶川竜之介に憧れ、住居のある西東京市に駄菓子屋併設型デザイン事務所『ヤギサワベース』を2016年4月にオープン。地域に根差したデザイン事務所、未来に続く駄菓子屋を目指して探求の日々は続く。ヤギサワベースホームページ www.yagisawabase.com フェイスブックページ www.facebook.com/yagisawabase

杉原 学(すぎはら まなぶ) 1977年大阪生まれ。四天王寺国際仏教大学(現四天王寺大学)中退。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科博士前期課程修了、後期課程中退。社会デザイン学修士。哲学専攻。研究テーマは「人間と時間との関係」。広告会社のコピーライターを経て、現在は執筆、研究、歌手活動などを行っている。単著に杉原白秋著『考えない論』(アルマット)、共著に内山節編著『半市場経済』(第三章執筆、角川新書)など。電子書籍の個人出版に『読むだけで神経が図太くなる!「伝説の親父」の奇行録 〜時々オカン〜』、『文筆家の分泌物』がある。楽曲はYouTubeで公開中(いずれも杉原白秋名義)。世界で最も非生産的な会議「高等遊民会議」世話人。社会デザイン学会、日本時間学会会員。

「普通の駄菓子屋」のすごさ

杉原 中村さんが作ったロゴ、この地域にいっぱいあるんじゃないですか。

中村 そう、最近多くて。今度「庭之市」っていうイベントがあるんですけど、僕がロゴを作った店が三つ出ています。

杉原 すごいですね。そんなデザイナーの仕事と並行して、駄菓子屋「ヤギサワベース」の店主もされて。駄菓子屋をやりたいっていうのは昔からあったんですか?

中村 『三丁目の夕日』っていう漫画があって。そこに出てくる茶川さんっていう人が、小説書きながら駄菓子屋をやっていて、「あれ、いいなー」って(笑)。

杉原 デザイナーが駄菓子屋さんって、ちょっと新しいですよね。

中村 新しい感じしますよね。そこ狙って(笑)。

杉原 駄菓子屋なのに、作業できたり、遊べたり、人が集えるスペースもあって。デザイナーと駄菓子屋は、ご自身の中ではどういうバランスなんですか?

中村 前は、デザインがお金を稼ぐ手段としてあって、駄菓子屋は、僕の趣味性の部分と、あと地域に生きる覚悟みたいな感じだったんですけど。でも最近はちょっと変わってきて……。ほら、駄菓子屋のおばちゃんって、子どもに優しくないし、「買わないなら出てって!」とか普通に言うくせに、でも、ちゃんと毎日店を開けてくれていたんですよね。

杉原 確かにいつも開いてた気がしますね。

中村 そうなんですよ。あの人たちってすごく真面目に駄菓子屋をやっていたんですよ。それを見習おうと思って。これまでは「僕はデザインの仕事もしているから、閉めている日があっても仕方ないよね」みたいな言い訳があったんですけど、よくよく考えたら、駄菓子屋さんは本来もっと神聖で。「子どもの期待を裏切っていたな」って。「ウチは今っぽくて、いろんな大人も来るし、カッコイイじゃん」ってちょっと思っていたんですけど、でも、「あ、普通の駄菓子屋に負けていた」ってことに気付いて(笑)。

杉原 そのために、奥さんは会社勤めを辞められたんでしょ?

中村 僕に辞めさせられました(笑)。僕たち再婚同士なんですけど、ウチの奥さんもずっと一人で働いて、子どもを育ててきたからね。自分でお金を稼ぐっていうことに、誇りみたいなのがあったと思うんだけど……。

杉原 それでも、毎日駄菓子屋を開けておくために。

中村 何度か他の駄菓子屋さんに、お話を聞きに行ったことがあって。そうしたら普通に「子どもあんまり好きじゃないんです」とか言うんですよ。「旦那の実家が駄菓子屋で、仕方なく私がやってます」みたいな感じなんですけど、ちゃんと地元に愛されて、ちゃんと普通の駄菓子屋をやっていらっしゃるんですよね。

杉原 商売という形をとりながら、地域の中での役割を担っている部分があるんでしょうね。子どもの居場所であったり、それを見守る役目であったり、情報を共有する場であったり……。このヤギサワベースも、まさにそういう場になってますけど。

中村 やっぱり、商売としては成り立つものではないんですね、駄菓子屋って。やってみて気付いたんですけど。ほんと稼げないんで。今回も確定申告してみて、「おっと、売上これっぽっちか……」っていう。結構にぎわっていたような気がするのに……(笑)。まあウチは住居と店舗が別なので、家賃をそれぞれ払っているせいもあるんですけど。駄菓子屋って、ご自宅でやられていたりとか多いから。

杉原 ここは、駄菓子屋兼デザイン事務所っていう。

中村 はい。まあ兼ねてはいるので、大丈夫なんですけど。でももし「駄菓子屋さんやるぞ!」っていう人が、さあ、お店借りてやったらどうなるんだろう?っていうと、これはなかなかシビアじゃないですかね。

デザイナーでありながら駄菓子屋「ヤギサワベース」店主でもある中村さん。写真は「駄菓子屋の正装」とのこと。

漫画で人生決めてきた

杉原 そもそもデザイナーになったきっかけは……。

中村 もともと漫画家になりたくて。『まんが道』(藤子不二雄)っていう漫画が大好きで、あれを読んだ時にもう「漫画家になろう」と思って。あと僕、誕生日が12月1日で、藤子不二雄の藤本弘さんと同じなんですよ。『ドラえもん』の奥付を見るたびに「誕生日一緒だ!」って。その流れで高校の時から漫画家を目指していたんで、「大学受験なんかいいや」と思ってて。

杉原 親御さんは困ったでしょうね(笑)。

中村 ウチすごい進学校だったんで、漫画読んでると超怒られるんですよ。友達に。

杉原 友達に?

中村 友達に怒られるんです。「お前大丈夫?」みたいな感じで。『ドラゴンボール』とか読んでいると心配されちゃって(笑)。……で、漫画家になろうと思ったんですけど、親が「頼むから大学入ってくれ」って。

杉原 なりますよね(笑)。

中村 でもやっぱり反発するじゃないですか。「大学って何のために行くんだろう」なんつって。で、ちょっとでも漫画に近づけようと思って、美術大学に。だいたい漫画で人生決めているんです。ちゃんと「漫研」にも入って。漫研の先輩にしりあがり寿さんとか、いたらしいですね。もうはるかに上の世代ですけど。

で、4年生になってから『少年ジャンプ』に漫画を送り続けて。「デビューできるかな!」っていうところまで行ったんですけど、ちょっとダメで。気付いたらみんな就職が決まって……。でも一人「俺も映像作家になる!」っていう仲間がいたんですけど、彼も気付いたらフッと就職して(笑)。

杉原 あははは。取り残された感ありますよね。

中村 そうそう。それで母に相談したんです。ウチは水商売やっていて、お客さんにいたんですよ、アニメ会社の社長が。最初はそこでアニメ制作の仕事をしていたんですけど、いくつか転職しながら紙媒体のデザインに移ったんです。で、印刷会社にいた時に会社が分裂しちゃって、デザイン室の三人で「じゃあ独立しちゃえ」って。それが27歳の時。「NKグラフィコ」っていうんですけど、今もそこにいます。

杉原 へー。でも会社に行っている気配ないですけど……。

中村 基本ここで働いてるので。週1回は会社に行く約束だったんですけど、今月はまだ1回も行けてなくて……。

杉原 今日、23日ですよね?全然行っていないじゃないですか(笑)。

中村 今日納品の地元仕事があるんで、これ終わったら行こうかなと……(笑)。

 

中村さんの漫画原稿。雑誌に連載を持つこともあり、実はこちらも現役。『かがり火』での連載開始の日も近い!?

地域の人たちが助けてくれた

杉原 地域とのつながりはどこから始まったんですか?

中村 前の奥さんと離婚した当時、上の子が小学生で、下の子はまだ2歳だったんです。預ける場所がなくて市役所で相談したら、すごく親身になってくれて。「そういう事情だったら、私が探してあげる」って。そうしたら、話を聞いた保育園の園長先生が、「実は私も昔離婚してて、一人で子ども育てて苦労して。すごくよく分かるから」って、入れてくれたんですよ。

杉原 いい話ですね……。

中村 そこから地域とつながっていって。PTAとか、学校の係の他にも、「親父の会」っていうのに入って、神輿担いだり、商店街行事にも参加して……。今の奥さんは、息子が行ってた保育園で、やっぱりシングルマザーだっていうんで、一緒になりました。同い年なんですよ。

杉原 あー、そうだったんですか。

中村 そうそう。震災で大変だった時も、地域の人たちが子どもを見てくれて。会社は都心だったんですけど、「ここで仕事していきたいな」と思った。ただ自宅でやるのも面白くないので、じゃあ前からやりたかった駄菓子屋を始めて、地域と接点を持ちながらやるのも面白いかな、っていう流れですね。今は歩いていると商店街の人や店に来たお客さんから声を掛けられるのがすごく楽しくって。だから、自転車乗ってケータイとかいじれなくなりましたね。子どもに見られるんで(笑)。

杉原 ははは。定住することで働く倫理観ってありますよね。この間、井口君(本連載の初回ゲスト)となじみの喫茶店に行ったんです。彼が台湾土産のお菓子をくれて、一瞬「ここで食べようかな」と思ったんですけど、持ち込みで食べるのもどうかと。マスターに言えば多分「どうぞどうぞ」ってなるけど、「まあ、やめとこか」っていう倫理観が働く。これが旅先とかだと、つい魔がさすこともあると思うんですけど、「ここで暮らしていく」ってなると「悪いことはできないな」っていう。

中村 ああ、できないですね。それはほんとにそう思います。

杉原 倫理って「互いに気持ちよく暮らす作法」みたいなものだと思うんですけど、定住性が育む倫理観ってあるなあと。特に中村さんなんかモテちゃうから、大事なことですよ(笑)。

中村 いや、全然……(笑)。もともとね、公私をなくそうと思っていて。せっかくこういう仕事をしているんだし、もうそこはごっちゃにしたほうが、家庭の中でもややこしいことがなくなるのかなと。できるだけ奥さんにもそういう場に出てもらうようにして。

杉原 なるほど。ちょっとズレますけど、僕も遊びと仕事の境界をなくしていきたくて。最近やっている電子書籍の出版もそうだし、この対談もそうなんですけど(笑)。何でも義務感だけでやっていると行き詰まるというか。

中村 ああ、僕も多分同じ感じですね。「町に尽力」とかいう言葉はうそくさいけど、意外とそのへん気にしないで楽しみながらやっていると、地域の方が「この仕事は中村さんにお願いしよう」って言ってくれる場合がちらほらあるので。

杉原 地域での「役割としての仕事」が、「稼ぎとしての仕事」にもつながっていくと。

中村 そうですね。

地域への道をつくった保谷中学親父の会。前列左端が中村さん。

 

「最近の子どもは……」

杉原 駄菓子屋をやっていて印象的なエピソードなどがあれば。

中村 開店の時から来ていた子どもたちが、今日卒業式なんですよ(※取材当日は3月23日)。さっきも来て、相変わらずばかなことをしゃべったり、替え歌を歌ったりしてるのを見て、「あー、俺、子ども育ててる」って思ったんですよね、地域の。

杉原 豊かな感じしますね。

中村 あと面白かったのは、ウチの子どもの親の店だって知っているのに、同級生とかが、ウチの子どもの悪口を言っている時があって。「あいつさー、最近、女が好きなんだよ」とか(笑)。

杉原 あははは。何年生ですか?

中村 5年生。いつも遊んでいる連中が「あいつはさ、最近女が好きなんだよ」とか話していて。それをお父さんとお母さんが聞いてるっていう(笑)。全然気にせず、ここで話してるのがうれしかったですね。

杉原 いい意味で油断していますよね(笑)。ところで「最近の子どもは……」っていう定型フレーズがありますけど、どうですか? 駄菓子屋店主から見て、最近の子どもは(笑)。

中村 いや、真面目だなーってすごく思って。ここに来て、勉強して、宿題やって帰っていくし。僕らの時代よりも礼儀正しいんじゃないですか?「ありがとうございましたーっ!」って帰っていくからね。ただ、それはこっちがちゃんと声を掛けているから、そうなっていくのかなと……。

あと最近だと、3月12日に「だがしの日」っていうのがあって、その加盟協会からもらった大量のお菓子を、子どもたちに無料で配ったんですよ。にもかかわらず、ちゃんと彼らはね、別に買っていくんですよ。結果、店のお菓子がほとんど売り切れて。

杉原 えー!すごい!

中村 お菓子は山ほど配っているんですよ?もちろん親も一緒に買ってくれたのもあるんだけど。それがうれしくって。タダでもらうだけで終わりにしなかったんですよね。子どもとその親が。捨てたもんじゃないな、と思って。だってほら、国の助成金を付けて、お客さんを呼ぶために商店街で福引をやったりしても、本当にそれだけやって、何も買わずに帰る人も多いから。

杉原 その違いは何なんですかね?

中村 分かんないですね……。ただ、あの時はやっぱり、僕らもすごく楽しくやっていたんですよね。歌ったり、似顔絵の人に来てもらったり、落語をやってもらったり……。

杉原 駄菓子を聖火のトーチに見立てた「製菓リレー」もしていましたよね(笑)。

中村 そう。友達と一緒に走って、小学校のグラウンドで童心に帰って「ウオー!」って叫んでみたり。平日だったので、お仕事中のFM西東京さんのオフィスや、東久留米の市役所にも寄ったりして。

杉原 駄菓子テロですね(笑)。でもそうやって一緒に遊んじゃっているあたりに、何か秘密があるのかもしれませんね。

 

ヤギサワベースでは、子どもだけでなく大人も一緒に楽しめるイベントも開催される。写真は「ただ黙々とプラモデルを作る会」。

無思想という思想

杉原 商店街を盛り上げるために大事にしていることはありますか?

中村 分かんないですけど……。「やってるぞ!」って発信するのは大事なのかな。「やぎさわマーケット」ってイベントを最近始めたんですけど、それも「商店街が生きてるぞ!」っていうアピールですよね。この商店街でやらなきゃいけないのは、とにかく肉屋と魚屋をもう一回戻すことだと思ってます。「とりあえず夕飯の買い物は全部できる」っていう、それが商店街の基本的な機能なのかなと。

大きい街が隣にあって、都内と距離も近いと、生き残っていくのは正直難しいと思っているんです。でも、だからこそ工夫を凝らして、「そのお店を目指して来る」ような個店が入ってくるようにしていきたい。あくまで理想ですけどね。

杉原 なるほど。中村さん自身が生きていく上で大切にしてることは何ですか?

中村 あんまり考えないことですね。考えることも大事だけど、それだけになると、行動がついていかないことが多いのかなと。だから「難しく考えない」っていうのかな。あと、場を作る時は特に無思想でいたいと思っていて。

理屈を持つと、そういう人しか寄ってこなくなるし、チームになっちゃうと、そのチームの人にとってだけ居心地が良くなっちゃう気がする。そういうコミュニティもあっていいと思うんですけど、ウチは駄菓子屋さんなので、そういうのはなくしたいなと。

杉原 そっか。ヤギサワベースの居心地の良さって、「無思想性」に支えられているんですね。むしろそこに「深い思想」を感じます(笑)。では最後に、これからやっていきたいことなどがあれば。

中村 駄菓子屋を、もっと昔の紙芝居屋みたいにしたいと思っていて。奥さんが一緒にジャズをやっているメンバーと「柳沢楽太郎一座」っていうのを作ったんですよ。駄菓子を食べるお供として、紙芝居だけじゃなく、歌とか、コントとか、いろいろやれたらいいなーって。

杉原 面白いなー。ではこれからも、駄菓子屋の最先端を、デザインとの両輪で。

中村 そうですよ、頑張らないと。

「だがしの日」に、「駄菓子屋ブギウギ」などオリジナル曲を披露する柳沢楽太郎一座。ボーカルは奥さんの麻美さん。

(おわり)

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』180号(2018年4月25日発行)の内容に、若干の修正を加えたものです。

>「ヤギサワベース」ホームページ

【編集部注】
ヤギサワベースは道路の向かいに移転しました。スペースも広くなって、ますます楽しくなりそうです。詳しくはこちら

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