南北に長い長野県の最南端に、山々に囲まれた小さな盆地に開けた小さな村がある。その名は売木村(うるぎむら)。日本の原風景が残る人口500人あまりの山里である。以前『かがり火』では、売木村に所属する長距離ランナーの重見高好さんを記事で取り上げた(※)。それから9年が経ったいま、売木村では交流を主体に据えた地域づくりを加速させ、新たな活気が生まれている。
小さな村の生き残り策を探りに売木村を訪問し、清水秀樹村長(69歳)に話を聞いた。
※「村民の声援を受けて走り続ける売木村の長距離ランナー重見高好さん」(寄稿:水島和寿代氏)/『かがり火』154号(2014年4月発行)
合併を選ばなかった村
長野県の最南部、飯田市から南のエリアには、人口が少ない「村」が集中している。最も少ないのは人口381人の平谷村、次いで人口519人の売木村、人口845人の根羽村と続く(いずれも令和4年10月1日現在)。人口だけで見れば他の自治体と合併しておかしくない規模だが、なぜ合併の道を選ばなかったのか?まずこの点から村長に聞いた。
「平成の大合併では、売木村も近隣自治体との合併を模索しました。しかし、山々に囲まれて交通が不便な村なので、合併するメリットがあまり感じられなかったのです。また、合併して自治体の一部になるよりも単独で残ったほうが、財政的に村づくりを進めやすいという理由もありました。当時私は村会議員でしたが、村内でも意見が割れることもなく、自主独立の気運が次第に高まっていったように思います」
合併したことで衰退が一気に進んだ地域は、全国に少なくない。人口1000人未満の山間地という逆境にもかかわらず単独で生き残る道を選んだ売木村には、自分たちの地域は自分たちで守る気風が備わっていたようだ。
交流こそが生きる道
もちろん、売木村が生き残るのは楽ではなかった。2000年に約750人いた村の人口は、2010年には約600人へと減少。林業や農業が衰退するなか、山間部で交通が不便なことから観光もぱっとせず、高齢化がじわじわと進んでいた。
こうした状況に歯止めをかけようと、2012年の村長選で初当選した清水村長は、「人が訪れる村、訪れたくなる村」を公約に掲げ、交流が主体の村づくりを進めてきた。なぜ交流だったのか?
「米作りの体験イベント『うまい!うるぎ米そだて隊』の経験が影響しています。増え続ける耕作放棄地を何とかしたくて私を含めた有志数名が2006年に農業法人を設立し、交流イベントを立ち上げましたが、当初は人が集まりませんでした。そこで、年7回のイベントに参加した方に米一俵を贈呈したら人気に火が付き、多くの方が村に来て稲作を手伝ってくれました。何度も村に来れば、村民との関係も強くなります。スタッフとしてイベントを手伝ってくれる方や、ついにはスタッフの女性と結婚して村に移住する方も現れました。こうした動きを見て私は、村が生き残るには交流が不可欠だと実感したのです」
現在このイベントは農業法人「ネットワークうるぎ」が主催し、都市住民が定期的に村を訪れる経済効果のほか、若者の移住者獲得、耕作放棄地の解消にも貢献している。最近はコロナ禍で一時休止しているが、村の活性化に欠かせない事業になっている。
走る村プロジェクト
こうして交流の効果を実感した清水村長は、村長就任後、交流を促す施策を次々と展開した。真っ先に取り組んだのが、「走る村プロジェクト」である。
高校時代に陸上部だった村長は、交流促進策としてスポーツ合宿の誘致を考えていた。その矢先に、タイミング良く村に滞在していたランナーの重見高好さんと出会う。重見さんは実業団の出身。長距離を走るウルトラマラソンに出場するため、高地トレーニングに適した売木村で練習をしていた。村長は、村の名前入りのゼッケンを付けてウルトラマラソンを走ることを重見さんに依頼。快諾した重見さんは期待に応え、見事2位で走り切る。この結果を見て村長は、村の専属ランナーとして重見さんをスカウトした。2012年12月、重見さんは地域おこし協力隊として村へ移住し、ランニングで村をPRしてランナーや合宿を誘致する「走る村プロジェクト」が始まった。
重見さんは長距離レースに軒並み優勝して村をPRしたほか、市民ランナーの合宿を誘致したり、村内にマラソンコースを整備したり、ランニングイベントを企画・開催したりと大活躍。誘致した合宿も、2013年は373名、2014年は1415名、2015年は1558名と増加の一途をたどり、2017年には3000人の大台を突破した。多くのランナーが来村したことにより、宿泊や飲食による村への経済効果や交流人口が増加している。また、重見さんが監督を務める村民対象のランニング教室やウォーキング教室も開催され、村全体で「走る村」を実践している。
さらに村長は市民ランナー以外に競技ランナーの誘致も進めようと、2018年に400メートルトラックを有する村営陸上競技場を建設した。こちらもコロナ禍で合宿来場者は半減したが、今後は市民ランナーと競技ランナーの双方に「走る村うるぎ」をアピールし、交流人口の拡大を見込んでいる。
地域おこし協力隊を村長がスカウト
「走る村プロジェクト」以外にも、村ではさまざまな分野で交流を促している。まずは、地域おこし協力隊制度のフル活用である。もともと南信地域は地域おこし協力隊や集落支援員を多く受け入れてきた地域。売木村でもこれまで25名の協力隊を受け入れ、卒業後も約8割が村に定住して仕事に就いている。これは全国でもかなり高い割合だ。
村長は重見さん以外にも、ランニング指導員、山村留学のアウトドア指導員など、交流に関わる人材をスカウトしては協力隊として受け入れてきた。インバウンド需要にも対応するため、外国語によるアウトドア体験やホームステイができる「うるぎ国際センター」を設立し、6カ国語に精通したドイツ人を協力隊としてスカウトした。これにより外国人の来村者も増え、2020年にはフランス人のシェフが村に移住、協力隊としてフランス料理店の開店を準備している。
「現在村では、6名の地域おこし協力隊を受け入れています。一般企業で働く者が2名、農業1名、シェフ1名、舞台女優1名、テレワーク施設の管理が1名と、ミッションもさまざまです。これは、私との出会いをきっかけに協力隊に着任した者が多いためです。これまでもイベントで意気投合して協力隊にスカウトした方が何人もいます」
協力隊のなかで、コワーキングスペースとシェアハウスを兼ねた「うるぎHalo岡田屋」の運営を任されているのが、赤土(しゃくど)かよさん。建築士だった彼女は、空き家を活用して地域活性化をしたいと思っていたところ、協力隊の制度が使えることが決め手となって村に移住した。今は一般社団法人の代表理事として、施設の運営に関わっている。
「ここは公共的な空間として、テレワーカーを増やすだけでなく、住民の方々にも使いやすい施設にしたいと考えています。人と人が繋がるイベントを増やし、賑わいを作っていきたいですね(赤土さん)」
売木村では、交流の機会を増やすために協力隊の制度をうまく活用していた。任期を終えた隊員は交流を仕事にできるので定住率が高く、さらなる交流促進につながるという好循環が生じていた。
ヤギ飼育農家を福井からスカウト
地域おこし協力隊以外にも、村長がスカウトして村に来た方は少なくない。2014年に福井県池田町から移住したヤギ飼育農家の後藤宝さんも、その一人だ。
売木村には、後継者不足で使われなくなった牧草地が残っていた。ここに動物を放牧すればランナーの目の癒やしになると考えた村長は、農業雑誌に載っていた後藤さんを見て、なんと自ら福井を訪問してスカウト。村長の思いに共感した後藤さんは、1年後に売木村に移住した。村では後藤さんのためにミルク工場を設立し、2020年には有志の寄付でチーズ工房が開業した。ヤギの乳で作られたソフトクリームは大人気で、行列ができる店として村の観光地になっている。
民間企業の力を借りた村づくり
こうした外部人材の受け入れに加え、村では民間企業との連携にも力を入れている。2021年、村はSDGsへの取り組み強化を目的に、浜松市に本社を置く株式会社ミダックと包括連携協定を締結した。ミダックは、産業廃棄物の処理や管理を行う企業。売木村で災害が起きた際に産廃を引き取るという内容で協定を結んだ。今年4月からは「地域活性化起業人」という国の制度を利用して、ミダックの社員が村役場に駐在するようになった。企業人が村に滞在することで新たな動きが生まれることを、村長は期待している。
この他にも村では、災害支援とエネルギーの分野で2社の企業と協定を結び、民間の力も借りながら持続可能な村づくりを進めている。また企業だけでなく、隣接する平谷村、根羽村と「特定地域協同組合」という組織を設立し、繁忙期などに村の垣根を超えて人手不足に相互に対応する制度を準備している。
地元住民と移住者が共に暮らす「共住」の理念
こうして売木村では、国の制度をうまく活用しながら個人の受け入れや企業・自治体との連携を進め、交流の機会を増やしている。その結果、今では住民の3分の1を移住者が占めるまでになった。新しい仕事も、農園、ゲストハウス、キャンプ場、レストラン、建築業などが増えて、雇用の場が生まれている。村の小中一貫校「売木小中学校」の今年の入学者5名は、全てIターン者の子供たちが占め、学校も維持できている。
こうした移住者たちが元から暮らす村民と違和感なく馴染めるよう、村では移住者と地元住民との橋渡し役をする「共住推進員」という役職を、集落単位で配置している。移住者たちの価値観やライフスタイルはさまざまで、時に村のルールに馴染めなかったり、折り合いが付かなかったりすることもある。しかし、ともに暮らす意識を持たなければ、共助を伴う村の自治は維持できない。昨年には、愛知大学地域政策学部岩崎ゼミと村の暮らし方やルールをまとめた「共住ガイドブック」という小冊子を作成し、移住者を含めた全住民に配布した。このガイドブックには、移住者が地元のルールに生活を合わせるだけでなく、地元住民と移住者との垣根をなくし、共に暮らす村づくりを進めたい意図が込められている。
人口600人をキープしたい
売木村では2015年に、村政のキャッチフレーズとして「うるぎ600」を制定した。これは、当時の村の人口が600人だったことから、この人口をキープして村を持続させたいという村長の決意を込めたもの。しかし、さまざまな施策や工夫をこらして移住者を増やしても村の人口は減少を続け、今は約500人となった。しかし村長は、村に活気が生まれたことに大きな手応えを感じている。
「生まれ育った村をなんとか残したいという思いで村づくりを進めてきましたが、この10年で村に若者が増え、目に見えて変わってきたと感じます。村の機能も維持できていますし、合併しなくて本当に良かったと思いますね」
人口が500人といえども、村に活気があれば人が集まってきて、交流が生まれる。ランナーとの交流をはじめとして外部との接点が多い売木村は、コロナ禍を乗り越えて賑わいを取り戻しつつあった。果たして売木村の人口減少は止まるのか?10年後に答え合わせをしてみたい。
(取材では、かがり火三遠南信支局長・愛知大学三遠南信地域連携研究センターの黍嶋久好さんに、大変お世話になりました。この場を借りて感謝申し上げます)
〔売木村ホームページ〕 https://www.urugi.jp/