【紙メディアの底力】“広がり”よりも“深まり”を大切にするみどり市の地域情報誌『虹の架橋』

新聞折り込みで約1万部を発行

群馬県みどり市の中心部に位置する大間々地区は、かつて銅の一大生産地だった足尾銅山と江戸を結ぶ「あかがね街道」の宿場町としてにぎわった歴史ある街。今でも往時の繁栄を示す立派な蔵や建物が至る所で見られる。

この大間々の街道筋に店を構えるのが、今年で開業108年を迎える「足利屋洋品店」。シャッターを閉める店舗が相次ぐなか、営業を続ける老舗である。店主は3代目の松﨑靖さん。大間々商店街の活性化をはじめ、清掃活動や観光ガイドなどボランティアとしても活動する街の顔の一人だ。

その松﨑さんは、平成7年9月から地域情報紙『虹の架橋』を毎月欠かさず発行している。B4判の表裏2ページに、地域の話題、エッセー、書評、足利屋の広告などを載せた新聞型の媒体で、印刷以外は全て手作り。松﨑さんが自ら記事を書き、編集ソフトでレイアウトして、大間々を中心に新聞折り込みで約1万部を配っている。

また、地元以外にも約100名の読者に郵送しているほか、ホームページで誌面を公開している。昨年で創刊25年、発行数も300号を超え、大間々の地域メディアとして認知度も高い。新聞配送店も、チラシの一番上に『虹の架橋』を折り込むそうだ。

街道沿いに店を構える創業108年の足利屋洋品店。

店のトイレに飾った絵を紹介する「トイレ美術館」

この『虹の架橋』を、松﨑さんは約1週間かけて作っている。昼間は店の仕事があるので、執筆はもっぱら早朝。4時に起きて、3時間ほど集中して書く。大体月の中旬に執筆と編集を行い、下旬には業者に印刷を手配、翌月の1日に新聞折り込みで配られるサイクルだ。裏面には足利屋の広告も載せているが、『虹の架橋』の売りは、松﨑さんが書く文章。なかでもユニークなのは、「世界一小さな足利屋トイレ美術館」という連載だ。

足利屋では、店内のトイレに絵や写真や書などを展示し、「トイレ美術館」と称して「開館」している。そのトイレに飾った作品を毎月、紙面で紹介しているのだ。

「『虹の架橋』の創刊号のトップ記事で、足利屋にトイレ美術館ができたことを告知したんです。その時はシャガールの絵を飾っていましたが、有名な画家よりも、お客様の作品を飾るほうがふさわしいと考え、毎月飾る作品を連載に合わせて変えるようにしました。おかげで、絵画を贈られることも増え、トイレに飾ると寄贈者からも喜ばれます」

また、毎号の題字も、その時々に会った人が書いている。しかも、小学生から高齢者、外国人まで幅広く、同じ人は一人もいない。300人を超える人たちが、題字を通じて紙面に登場しているのだ。

足利屋の自慢のトイレ美術館。松﨑さんがトイレ掃除に力を入れ始めたのは、株式会社イエローハットの創業者、鍵山秀三郎氏の影響が大きい。店のトイレをきれいにするのが商いの基本と教えられて以来、店のトイレ掃除や、駅のトイレをボランティアで掃除するようになった。多くの人に自慢のトイレをご利用してもらえるよう、街歩きの地図には洋品店の場所にトイレマークを入れている。
大間々駅のトイレ掃除に参加した鍵山氏との集合写真。

地域のつながりを保つツールとして創刊

なぜ松﨑さんは、『虹の架橋』の発行を始めたのか? その背景には、地域社会の変化があった。

「創刊2年前の平成5年に、商店街の仲間と『さくらモール』というショッピングセンターを大間々に造ったんです。便利なので開業後は繁盛しましたが、お客様は便利さだけでなく、店舗や人とのつながりも求めていることに気付いたんですね。足利屋も開業以来、お客様や地域とのつながりを大事にしてきましたが、今はそれを保つのは難しくなっています。そこで、地域の話題や店の思いなどを伝える媒体を作ろうと思い、『虹の架橋』を創刊したのです。タイトルも、お客様との間に心の橋を架けたいという願いから名付けました」

松﨑さんが毎号、読者に手紙を書くように作っている『虹の架橋』。記事中には、松﨑さんが交流するさまざまな人が登場する。毎年4月の題字は、小学校に入学する子どもに頼んでいる。最新の4月号の題字は、25年前の4月に書いた女の子が母親となり、その娘さんが親子二代で書いたもの。こうしたエピソードには心を動かされる。

毎月欠かさず発行している原動力

それにしても、松崎さんが『虹の架橋』を創刊以来、毎月欠かさず発行していることに驚く。そのパワーの源泉は何か?また、ネタが尽きることはないのだろうか?

「毎月、知人から聞いた話だけで記事を構成していますが、特にストックはしていないので、不安はあります。でも、パソコンに向かうと不思議にネタを思いつくんです。また、話題になりそうな方が偶然、来店することもあります。3月号の題字を頼んだ方は、私が主宰する『郷土を美しくする会』の参加者の一人で、今回で大間々駅のトイレ掃除の回数が200回に達したので頼みました。お客様から絵が描かれた手紙がタイミング良く届くこともあれば、すてきな写真を見せてもらうこともあります。何を掲載するかは執筆するまで分かりませんが、伝えたい物事や人は、常に出てくるんですよ」

これまで一度も誌面に穴をあけたことはないそうなので、これも、さまざまなつながりを引き寄せている松﨑さんの力だろう。

『虹の架橋』を毎月休まず発行している松﨑靖さん。家業の足利屋洋品店のほか、「郷土を美しくする会」と「三方良しの会」の代表として、清掃活動や商店街活性化にも取り組んでいる。

「広がり」よりも「深まり」

そして、毎月読者から届くファイル1冊分になる手紙も、松﨑さんが発刊を続ける原動力である。『虹の架橋』を全国の読者に送る際、松﨑さんは必ず直筆の手紙を添えている。手間と時間はかかるが、そうした読者との情報交換が何より楽しく、自分のためになっているという。また、同じような地域情報紙を出したくて店を訪ねてくる人も多い。ここから新たなつながりが生まれ、それを誌面で紹介することもある。

「よく『毎号、何でこんなに手紙が来るんですか』と聞かれますが、こちらも手紙を出していますので、私にとっては情報交換なんです。記事自体も、不特定多数の相手に思いを込めて書いているので、私にとっては手紙。それを手紙として読まれた方が、返信をくださっていると思います」

もちろん、続ける上では苦労もあった。肝炎で入院した時も、書かないといけない使命感から、1週間遅れで発行したそうだ。

「手間暇をかけないと、人の思いは伝わりません。なので私は、大勢に情報発信する『広がり』よりも、一人の共感を得る『深まり』のほうが大事だと思います。『広がり』は往々にして自己満足で終わりがち。一方『深まり』は後まで残ります。そうした『深まり』を追求すれば、それが自然に広がっていくように思います」

読者からは、毎月多くの手紙、はがき、メールが届く。松﨑さんに触発されて情報紙を始めた人や、作り方を学びに他県からはるばる訪ねてくる人も多い。

店舗の広告を掲載した印刷物やチラシは巷にあふれているが、情報の伝達や特典に特化し過ぎて、店の思いは伝わってこない。松﨑さんの話を聞くうちに、これこそまちづくりの本質のように思えてきた。そして、地域社会のつながりを保つツールとして、紙媒体の役割は大きいと感じた。

(本誌・松林 建)

※『虹の架橋』の最新号とバックナンバーはホームページで閲覧できます。(『虹の架橋』で検索)

(おわり)