本気を見せれば社会は変わる。女性議員の壁を乗り越え、岩手県議初の出産に臨む吉田けい子さん

内閣府男女共同参画局が2月に公表した「女性の政治参画マップ2018」によると、日本の国会議員に占める女性比率は、衆議院が10.1%、参議院が20.7%と、依然として低水準にとどまっている。

世界各国と比べても、193カ国の中で日本は157位と異例の低さ(注:下院または一院制での順位)。また、都道府県議会における女性議員比率は9.9%と、こちらは二桁にも達していない。

男女雇用機会均等法が施行されて30年以上が経過し、民間企業では女性の役員や管理職が当たり前になり、女性の社会進出は着実に進んでいるように見える。しかしながら政治の世界では、女性の進出は大きく立ち遅れていると言わざるを得ない。

女性議員の増加を阻むものは何か?その一端を探るため、岩手県で県議会議員を2010年から務め、周産期医療体制の整備の分野で実績を挙げてる吉田けい子さん(40)を取材した。折しも吉田さんは第1子を妊娠中。5月に出産を控えているにもかかわらず取材を快諾いただいた。

吉田さんからは、県議の魅力と大変さ、出産を控えた今の心境、女性議員が直面する悩みなど、率直な話を聞くことができた。

【松林 建 (フリーライター・群馬南牧支局長)】

ブログで妊娠を公表し、4月から産休を取得

今年に入り、女性議員の産休や育児の話題が注目を集めている。

群馬県の榛東村議会では、女性議長の妊娠を受けて、議会の欠席理由に「育児」を加えた。熊本市議会では、女性議員が生後7カ月の赤ちゃんを議会に連れてきて会議開始が遅れるトラブルがあった。

こうした話題がニュースになるということは、女性議員数が少ないのと、議員の産休・育児制度が未整備ということにほかならない。

この一連の動きの中で、吉田さんは3月中旬に、自身のブログで妊娠を公表した。

「岩手県の県議会議員で議員在任中に出産するのは私が初めてです。妊娠が分かったのは昨年9月末。高齢出産ということもあり、安定期に入るまでは不安でした。県議会には規定がありますが、議員は特別職なので労働基準法の適用外。産前6週、産後8週といった休暇の基準がありません。

議会の事務局からは『吉田さんの体調を考慮して決めてください』と言われ、いつから休むべきか悩みました。出産を経験した知り合いの女性の市議に相談したら、『自分はぎりぎりまで仕事をして、破水したため後悔しているから、ちゃんと休んだほうがいいよ』と言われたので、労働基準法にのっとり、4月1日から産休を取ると決めたんです」

しかし、議員の仕事は議会だけではない。勉強会・懇親会への出席、入学式や地域行事への参加など多様だ。土日の仕事も当たり前で、公私の線引きが非常に難しい。

「議会は休みますが、当初は、出られる行事には極力出るつもりでした。でも、出たり出なかったりするのは中途半端なので、議員として呼ばれる行事は出るのを控えます。ただ、すべての行事を欠席するのは不安で、いろいろ気になります。これまで多くの行事やイベントに顔を出したり、勉強会を運営したりと動き回っていましたから。でも、ここで私が仕事をすると、次に妊娠・出産する女性議員が私を参考にしてしまいます。自分の判断だけでは動けない点がもどかしいですね。女性議員数が少ない弊害です」

妊娠が分かってからは体を気遣い、議会以外の仕事は極力控えているという吉田さん。しかし、話の端々からは、議員に対する情熱と、エネルギッシュに活動している様子が伝わってきた。

2018年3月、予算特別委員会で総括質問をする吉田けい子さん。

産前産後に不安を抱える方を助けたい!

岩手県議会議員になって7年。吉田さんは、若者や女性が地域で活躍できる仕組みを作ったり、農林水産業に携わる若手や女性のネットワークを作ったりと、岩手の社会課題に真正面から取り組んでいる。

特に力を入れているのが、女性の周産期医療体制の整備である。

「岩手県は面積が広いにもかかわらず、分娩施設がある病院が少ないんです。なので、子どもを産む前と産んだ後に困っている方が大勢いて、中には2時間かけて病院に通う方もいます。そうした方々を少しでも助けたいと思い、助産師など地域の方々がもっと活躍できる環境整備に取り組んでいます。

県内の施設を見学したり実際に困っている方の生の声を聞き、議会で質疑を繰り返し行い、少しずつですが、各市町村での支援体制が県内各地に増えてきました。県の予算も付き、少しずつ成果が出ていると実感しています」

この他にも、盛岡市と共同で整備することが決まった野球場、林業に関わる人材を育成する「岩手林業アカデミー」の創設など、吉田さんの活動分野は多岐にわたる。

また、活動実績をまとめた「けい子の青空レポート」を紙とWebで報告しているほか、ブログ、Facebook、ツイッターでも活発に情報発信している。

「議会では繰り返し質疑していますので、県議の中では、吉田けい子=周産期または林業というイメージが付いているのではないでしょうか。でも、小さなことでも毎回しつこく取り上げれば県も動いてくれますから、やり続けるしかありません。それと、できるだけ現場に足を運び、自分の目で見てから行動することを心掛けています。フットワークの軽さが私の強み。その様子はブログでも発信しています」

議員としての活動をまとめた「けい子の青空レポート」を定期的に発行している。

一度きりの人生を後悔したくない!

そんな吉田さんだが、もともと政治家になるつもりは全くなかった。

高校時代にアメリカに留学して国際貢献の仕事に興味を持ち、大学は外国語学部に入学。卒業後はアパレル会社に就職した。仕事は充実していたが、どこかで物足りなさも感じていた。そうした矢先に、転機が訪れた。

「社会人になった年の2001年に、ニューヨークで同時多発テロ事件が起こりました。私はテロで崩壊したビルに行ったことがあったので、自分も命を失っていたかもしれないと思った瞬間、一度きりの人生を後悔したくないと強く思ったんです。

私には、高校で留学した時から途上国支援をしたいという夢がありました。私にしかできないことをしようと心に決め、いろいろ悩みましたが会社を退職して青年海外協力隊に応募し、南米のボリビアに2年間行きました。

ボリビアでは村落に派遣され、女性の地位向上や子供支援の活動をしましたが、私が想像していた途上国のイメージとは異なり、子どもたちの目が輝いて、とても生き生きしていたんです。

この時、実際にこの目で見ないと真実は分からないことを学びました。また、その村では羊毛を使った手芸をやっていて、前の仕事であるアパレルの知識が役に立ちました。人生には無駄な経験はないと学んだことも収穫でしたね」

岩手の社会課題に直面し、県議会議員の道へ

協力隊の活動を終えて岩手の実家に戻ると、今度は県が設立した男女共同参画センターというNPOから声が掛かり、女性の社会進出に関わる啓発講座の企画や運営を3年間担当する。そこで、岩手にも社会課題で困っている人が大勢いることを目の当たりにした。

「岩手県でも社会課題がいろいろあり、助けを求めている人がいることが衝撃でした。例えば、私と同じ世代の女性がDVで悩んでいるなんて想像すらできませんでした。次元は違いますが、ボリビアでの協力隊の活動と、岩手で活動することは同じだと気付かされたんです。そこから、海外よりも、岩手を何とかしないといけないと思い始めました」

そんな吉田さんが県議会議員になったのも、全くの偶然だった。

「たまたま県政担当の新聞記者がセンターに取材に来たんです。その後の飲み会で、『吉田さんは何をしたいの?』と聞かれたので、私が日ごろ感じている問題意識を材料に『岩手を何とかしたい』という夢を語りました。

そうしたら、『県議会議員になったら?』と冗談半分で勧められたんです。そこから議員への興味が芽生えました。早速、何人かの県議会議員に連絡を取り、お手伝いをしたいと問い合わせたら、一人の議員から『補欠選挙があるから出ないか?』と、逆に誘われたんです。意を決してこのお誘いに乗れたのも、政治家の仕事を知らなかったせいもありますが、岩手を何とかしたいという思いが後押ししたと思います。

その少し前までは、政治家になることや岩手に戻ることなど考えてもみなかったので、人生は何が起こるかわかりませんね。でも、いろいろなことがつながって今の自分があると思っています」

昔から周囲の流れには乗らずに、やりたいことが決まると、すぐ行動に移していたと話す吉田さん。時には運も味方に付けながら自分のキャリアを積み重ねていく彼女の生き方は、今でも変わっていない。

「いわて森林の感謝祭」で地域の子どもたちと植樹する。

社会課題と後援会対応の間で葛藤

吉田さんは2010年7月の補欠選挙に出馬して当選し、政治家への道を歩み始めた。その後の本選挙でも当選を果たし、現在は3期目を務めている。

「当選できたのは、推薦してくれた議員さんの応援もありますが、私の出身地域で他に議員が出ていないことも一因だったと思います。私の政策に共感した方よりも、まずは自分たちの地元から県議を出そうと共感してくださった方々が後援会を組み、私を応援してくれたんです。

県議になりたての頃は、社会課題を政策で解決することが大切だと思っていました。でも、後援会の方々は、政策よりも、とにかく飲み会や地域の行事などに出席して顔を覚えてもらうことを望みました。私は社会課題に全力を注ぎたかったのですが、後援会対応でなかなか時間が取れずに葛藤しました。

それと、地元の方から見ると、市議も県議も同じなんですね。ですから、『横断歩道を付けてほしい』とか、『カーブミラーを付けてほしい』といった要望も私のところに来ます。もちろん相談されたら、それが必要かどうかを判断したうえで行政の担当者に話をつなぎますが、本来は県ではなく市町村レベルの議題の場合も多いです。でも、求められるのは地元の問題。有権者の方々も、県全体の課題解決に向かう県議の存在意義をもう少し理解してほしいとも率直に思っています」

2017年12月、「結婚し子供を産み育てやすい環境づくり」等の5項目を岩手県達増知事に予算提言要望を行う。

大事にされ過ぎるのが悩み

県議の仕事に悩みつつも、次第に自分なりのスタイルを確立し、議員生活も8年目に入った吉田さん。ここで、女性議員としての悩みについて聞いた。

「議員になってから、『何で私はこんなに、大事にされるんだろう?』と不思議に思いました。その半面、飲み会ではお酒をつぎに歩いたりしなければならない場面もあり、男性議員のように普通に扱ってもらえない悔しさを感じたこともありました。

当時は30代前半でしたので、県庁や県民の皆さんからは自分の娘を見ているようで、対応が難しかった面もあったと思います。妊娠や出産も本来ならば普通のことですが、思った以上に周囲がざわざわしているので、正直戸惑いもあります。

それと、岩手の県議が在任中に出産した前例がないので、私のケースが標準になることを恐れています。女性でもいろいろな考えの方がいます。例えば私は、熊本県市議のように自分の子どもを本会議場に連れてきたいとは思いません。

出産後は、子どもは母親やベビーシッターにある程度は見てもらうつもりです。また、議会でも女性議員数が少ないので、私の発言が女性の価値観だと思われるのも歯がゆく思います」

やはり女性議員の悩みは、議員の絶対数が少ないことに起因するようだ。

県政報告会は後援者の人たちとのコミュニケーションを取るための大事な行事。

次世代の女性議員を育てたい

県議として大切なことは何かを吉田さんに聞くと、「本気を見せること」という答えが返ってきた。

「現場に足を運ぶこと、議会で繰り返し質問すること、活発に情報発信していること、すべて、自分の本気を県庁の方々や有権者の皆さんに理解していただくためです。私がいろいろ動いて、課題があることを訴えると、逆に県庁から、それに関連する情報を積極的に提供してくれたりします。県は私以上に課題は把握されていますからね。

私の行動で社会が変わる第一歩になるとうれしいですし、県民の方から感謝されると、一層がんばろうと思えます。今後は育児と仕事の両立という自分自身の課題が増えますが、私を見て議員を志望する女性が増えてほしいですね。今の目標は、次世代の女性議員を育て、後押しをすることです」

吉田さんのようにフットワークが軽くて本気を見せられる女性が政治の世界にどんどんチャレンジすれば、日本の政治や行政も変わるはずである。

(おわり)

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』180号(2018年4月25日発行)掲載の内容に、若干の修正を加えたものです。

>「岩手県議会議員 吉田けい子」ホームページ

>「岩手県議会議員 吉田けい子」フェイスブックページ

>「吉田けい子」ツイッター(@aozorakeiko

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