農業と自然エネルギーを組み合わせた「地域自給圏」の実現に突き進む小山田大和さん

持続可能な地域づくりに各自治体が悩むなか、地域自給圏をつくる動きが潮流の一つになりつつある。これは、食料やエネルギー等の地域資源を地域内で使ってお金の流出を抑え、内部で循環させて雇用も生み出す構想。SDGsブームも後押しして小規模な事例は生まれているが、変化を好まない地域社会や資金・人材不足に阻まれ、実現への道のりは険しい。

この大きな課題に真正面から向き合い、一歩ずつ前に進めているのが、神奈川県小田原市で農業を営む傍ら社会起業家として活動する小山田大和さん(40歳)である。小山田さんは、耕作放棄されたみかん畑の再生や、農地にソーラーパネルを設置するソーラーシェアリングの事業化など、農業と自然エネルギーを組み合わせた地域自給圏を本気でつくろうとしている。小山田さんの熱い生き方を取材した。(本誌:松林建)

みかんの花咲く丘を残したい

神奈川県小田原市の北部、JR東海道本線の国府津駅から分岐する御殿場線沿いに、仇討ちで有名な曽我兄弟を生んだ曽我の里がある。この地は昔からみかん栽培が盛んで、昭和40年代には山々が緑とオレンジで埋め尽くされていた。しかし近年、みかんは供給過剰により急速に値を下げて農家数は減少。みかん畑は少しずつ姿を消し、耕作放棄地が増えていた。

こうした状況を食い止めようと、2013年、市民有志が「おひるねみかんプロジェクト」を結成する。ユニークな名称は、耕作放棄地を「おひるねしていた畑」と表現したもの。メンバーは耕作放棄寸前だった約450 坪のみかん畑を地権者から借り、都市の住民や学生を巻き込んで、みかん栽培を始めた。

しかも、農薬や除草剤を一切使わない自然栽培を採用。収穫したみかんはジュースに加工し、「おひるねみかんジュース」の商品名で、市内のドライブイン等で販売した。生産から加工、販売まで行う6次産業化を、市民の手で実現したのだ。このプロジェクトの中心メンバーが、当時、郵便局で働いていた小山田さんだった。

「きっかけは、『緑一色になった山が嘆かわしい』という農家さんの一言でした。それを聞いて、この地で育まれた文化が消滅する危機感を覚えたのです。小田原は神奈川県随一のみかんの産地で、みかん文化が根付いた地域。童謡『みかんの花咲く丘』の曲も、小田原のみかん畑を見て作られました。

しかし、現在のみかんの買い取り価格は安い時で1キロわずか数十円。これでは農家は利益を生めず、やりたいと思えません。食べていけるみかん農家をつくってみかんの花咲く丘を後世に残すため、自然栽培とジュースという付加価値をみかんに付けました。しかも、耕作放棄地から資産を生めることを実証したのです」

現在小田原市には、東京ドーム35個分に相当する約169ヘクタールの耕作放棄地がある。鳥獣害と自然災害を誘発するだけでなく、農村景観と文化を損ねる耕作放棄地は、地域の衰退につながる社会課題。もはや農家だけの問題ではないと感じた小山田さんは、一般市民の立場で解決しようとしたのだ。

「『おひるねみかんジュース』という名前には、耕作放棄地を多くの人に知ってほしいという思いを込めました。ジュースを買えばみかん畑を支援できるストーリーが伝わり、多くの方にご愛飲いただいています」

おひるねみかんジュース。みかんをそのまま搾り、何も加えずにジュースにしている。他のみかんジュースと比べて甘酸っぱさが強過ぎず、とても飲みやすい。購入方法などの詳細はこちら

その後、小山田さんはメンバーと共同で「合同会社小田原かなごてファーム」を設立して事業化。現在はジェラートを作ったり、地元の蔵元と組んで「おひるねみかん酒スパークリング」を開発したりと、「おひるね」ブランドを拡大している。また、隣接する松田町でも、耕作放棄地のみかん畑を再生させた「まつだおひるねみかんジュース」が生まれ、同町のふるさと納税の返礼品になるなど、自治体を超えて広がっている。

農業と発電を両立

しかし、小山田さんの挑戦はこれで終わらない。太陽光発電と農業を両立するソーラーシェアリング事業を小田原で始めたのだ。みかん栽培だけでも大変そうだが、なぜ始めたのか?

「6次産業化は、商品を増やすと利益率が下がるのです。みかんだけでは持続が難しいので、別の農業モデルを探していた時に出会ったのが、ソーラーシェアリングでした。農業を続けながら発電ができ、耕作放棄地も生かせる。これだ!と思いましたね」

ソーラーシェアリングとは、農地の上に高さ2メートル以上のソーラーパネルを設置し、太陽光を発電と農業でシェアするもの。パネルは間隔を空けて設置するので、下の農地は日陰にならず、農作物も普通に育つ。しかも、固定価格買取制度による売電収入に農業収入が加わり、事業として十分成立する。

小山田さんは新たに農地を借りて城南信用金庫から融資を受け、2016年11月、市内の下曽我地区で1号機の発電を始めた。約100 坪の畑ではサツマイモを栽培した。2018年3月には桑原地区で2号機の発電を開始。ここでは約360坪の水田で酒米を自然栽培し、隣接する大井町の井上酒造に納入する仕組みをつくった。ソーラーシェアリングによる稲作は神奈川県初の事例となり、県から「かながわ地球環境賞」を受賞した。

「2号機の農地では米を約8俵収穫できますが、農協に売ると数万円程度にしかなりません。でも、農地の上のソーラーパネルでは、同じ面積で最高150万円の売電収入が1年で得られます。しかも耕作放棄地なので、農地の賃料は年間2万円と格安。むしろ地主さんは『草刈りが不要になったのに賃料をもらい申し訳ない』と言っています」

ソーラーシェアリングで発電と稲作を両立している水田。風通しが良くパネルが熱くなり過ぎないので、ソーラーシェアリングは通常のソーラー発電と比べ、発電効率が高い。

しかし、ここに至るには課題もあった。まず小山田さんは、借りた農地の周りの農家にあいさつに出向き、ソーラーシェアリングを始めることを説明した。しかし、当初は農家も懐疑的だった。「日陰では作物はできない」とか、「取り組み自体は良いが、なぜここでやるのか」など、変化を嫌ったのだ。しかし、収穫した農作物を見たら態度が変わり、応援してくれるようになった。

この時小山田さんは、自ら行動して成果を出せば住民意識が変わることを実感した。また、農業委員会からは「田園風景の中に工作物を立てるのか」という反対意見が出された。しかし、「どんな形であれ耕作放棄地がなくなれば農家は助かる」と、地元の人が応援してくれた。

「これも、地元の農家との信頼関係を築けたからだと思います。信頼を積めば、地域は変えられるのです」

小山田さんが孤軍奮闘して始めたソーラーシェアリングは、今や多くの市民サポーターに支えられている。安心・安全な自然栽培が評価され、田植えや稲刈りには多くの人が集まり、作業を手伝っている。

安定した仕事を捨て、地域づくりの道へ

そんな小山田さんだが、もともと農業を志してはいなかった。学生時代は教師を志望して教員免許を取得、2年間の社会人経験を経て、小田原市の私立高校に社会科の非常勤講師として赴任した。しかし、なかなか常勤講師になれなかった。

このころ結婚して市内に住居を構えた小山田さんは、教師の道を諦め、国家公務員試験を受験して郵便局に転職する。家族のために、安定した仕事と肩書を選んだのだ。

「郵便局では、『外交員』と呼ばれる保険商品の営業を担当しました。商品を売れば売るほど歩合給が上がる実力本位の仕事で、営業成績を上げようとお客様を必死に開拓し、2年連続で営業最高優績者の表彰も受けました。今思えば、当時の私は自分の給料と地位を上げるためだけに働いていたんです。でも、『自分の人生はこれでいいのか』という釈然としない思いは常にありました。

そんな矢先、東日本大震災と原発事故が起こりました。それまで原発への関心はゼロでしたが、経済発展のためとはいえ、豊かな自然と農業を壊しかねない原発を動かす世の中に強烈な違和感を覚えたんです。でも、声を上げても原発は止まりません。ならば、原発に頼らずに生きていける仕組みを作りたい。それを次世代に残すことに人生をささげたい。そうした思いが次第に固まっていきました」

そして2015年、何と小山田さんは奥さんと7歳の娘さんを抱える身にもかかわらず、約7年勤めた郵便局を退職する。普通ならばあり得ない決断だが、何がそうさせたのか?

「子どももまだ小さかったですし、当然、妻には猛反対されました。決断したのは、これまでに出会った方々から受けた影響が、震災を経て確信に変わったからだと思います」

そんな小山田さんに影響を与えた人物の一人が、小田原の鈴廣かまぼこグループ副社長、鈴木悌介氏だ。震災後の2012年、全国の中小企業経営者で構成する「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議(エネ経会議)」を立ち上げた鈴木氏は、運営のサポートを小山田さんに依頼した。

学生時代から鈴木氏と面識があった小山田さんは依頼を受け、仕事の傍ら会議の事務局を務めた。そのなかで、自然エネルギーや地域づくりの見識を広げ、自らも活動に傾倒していく。

耕作放棄地を再生したみかん畑で収穫作業をするボランティアの人たち。

また、前小田原市長の加藤憲一氏も、小山田さんに影響を与えた一人だ。2008年から12年間市長を務めた加藤氏は市民主体の行政を主導し、地域自給圏の創設を理念に掲げた。市の行財政委員などを務め市政に関わった小山田さんは、加藤氏の理念に共感。政治や社会に能動的にコミットしようと決めた。

「この2人との出会いと震災がなかったら、私は郵便局員として普通に生きていたでしょう。鈴木氏は私の育ての親とも言える存在。郵便局を辞めてからは、エネ経会議の事務局長と理事という重責を与えられ、私の活動は会議の実践の場になっています。

加藤氏は兄貴分のような存在。地域自給圏構想は私の血肉になっていますし、その肝が一次産業の持続化であると気付かされました。小田原・あしがら地区で鈴木氏の活動を体現化し、加藤氏の理念を形にする。これが私の人生のミッション、後は突き進むだけです」

食とエネルギーの地産地消を目指す

現在、小山田さんは、ソーラーシェアリングの3号機の実現に動いている。3号機は、固定価格買取制度に頼らず自家消費する「nonFIT」モデル。発電した電気は電線を通して、11月にオープン予定の農家カフェで使う計画だ。

電線につなぐタイプの自家消費モデルが完成すれば、ソーラーシェアリングでは日本初となる。一方、隣接する松田町では木質バイオマス発電の事業化も進めていて、地域一体の自給圏に向け少しずつ歩を進めている。

「目指すは、食とエネルギーの地産地消です。農家カフェが始まれば、自給圏構想が目に見える形で多くの人に伝わります。そして、私のような活動が全国で無数に生まれれば、原発に依存しない社会が見えてくるでしょう。そうした変化を実感できるのが地域づくりの醍醐味。今は毎日が楽しくてワクワクしています」

地域自給圏に関心がある方は、小山田さんを小田原に訪ねてみてほしい。きっと、一歩踏み出す勇気をもらえるはずである。

安定した職場を辞めて、地域自給園づくりに取り組む小山田さん。背後に小田原市街を望むみかん畑で撮影。

小山田さんの活動の詳細は、YouTube「チャンネルやまと」(小山田大和で検索)、「おやまだ大和のオフィシャルブログ」をご覧ください。

小山田大和『食エネ自給のまちづくり』田園都市出版社、2022年。

(おわり)

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