「再生可能エネルギーを柱に地域経済を自立させたい」という徳島地域エネルギー事務局長の豊岡和美さん

巡り合わせ次第で、人生は思いがけない方向に変わる。一般社団法人徳島地域エネルギーの理事・事務局長を務める豊岡和美さんの場合もそうである。

普通の主婦で過ごすつもりだったのが、吉野川可動堰問題に関わったのがきっかけで、市民運動や県議会議員を経験し、いまや再生可能エネルギーを柱にして地域経済の自立に取り組む事業家である。

豊岡さんの言葉を借りれば、これはエネルギーや経済の「革命」だという。だとしたら、徳島県内はもとより全国各地に「革命」をたきつけて回る豊岡さんは、「革命家」といえるかもしれない。

【ジャーナリスト 松本克夫 】  

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』175号(2017年6月25日発行)に掲載されたものを、WEB用に若干修正したものです。

吉野川可動堰問題に関わって運命急転

初めに、豊岡さんが関わった吉野川可動堰問題について触れておこう。

90年代の後半、その是非をめぐって徳島市で熱い攻防が繰り広げられた吉野川可動堰は、建設省が江戸時代につくられた第十堰に代わるものとして計画したものである。1000億円規模の大型事業とあって、地元は地域経済浮揚の好機と色めきたった。

しかし、環境悪化を懸念する市民は、司法書士の姫野雅義さんらを代表世話人にした「第十堰住民投票の会」を結成し、住民投票により中止に追い込もうとした。住民投票の実施を求める署名数は、請求に必要な有権者の50分の1をはるかに超え、有権者の48.8%に達した。しかし、市議会では、住民投票条例は否決。民意と議会のずれといわれた。

「第十堰住民投票の会」を母体にした「住民投票を実現する市民ネットワーク」は、その2カ月後の市議選に5人の新人候補者を立て、議会での勢力逆転を狙った。その結果、議席数では住民投票賛成派が多数を占め、2000年1月23日に住民投票の実施が決まった。

議会各会派の妥協により、投票率が50%に達しない場合には開票しないという条件が付いたが、投票率は約55%に達した。有効投票のうち可動堰反対票が91・6%を占めた。これで可動堰計画は事実上頓挫した。

「それまでは全くの主婦だった」豊岡さんがこの問題に関わったのは、ふるさとでの経験があったからだという。

「生まれは県南部の旧由岐町(現美波町)ですが、育った海がその後、公共工事により全部コンクリートで固められてしまいました。これによって町や村がよくなるという触れ込みでしたが、全くのウソでした」

「残ったのはコンクリートと過疎の村です。ダムも一度つくらせたら、壊すこともできなくなるという思いが強くしました。後から振り返って、あの時何もしていなかったでは済まされないと思って、お手伝いしました」。

といっても、末の子がまだ小さかったし、署名集めもたくさんはできなかった。

自分でやれる範囲でと考えて、住民投票が迫ってきた時期に、「投票に行こう」と呼びかけるプラカードを持ち、ビラをコートの上に貼って、自宅近くの橋の上に1日1時間以上立つことにした。投票率が50%に達するか否かが焦点だったからだ。

「投票日は、投票に行きにくい一番寒い時期を選んだ感じです。これはあんまりだと思いました」。

「橋の上に1人でポツンと立ち続けたので、かえって目立ってしまった」らしく、可動堰反対運動のリーダーである姫野さんの目に留まり、事務局の仕事などを頼まれるようになった。

その極め付きが住民投票から3年後の県議選への立候補である。吉野川可動堰の完全中止を掲げていた知事が議会で不信任を受け、失職したため、反対運動を担ってきた市民グループとしても県議選に候補を立てないわけにはいかなかった。

しかし、すでに徳島市議選に候補者を5人立てたため、持ち駒が不足していた。

「県議選では徳島市の選挙区で立てられる人が事務局をしていた私たちしか残っていませんでした。私は絶対いやだと拒んでいたのですが、結局、立候補させられました。姫野さんに人生を変えられてしまいました」というわけである。

吉野川可動堰の中止運動に関わったことがきっかけで、地域エネルギーを開拓することになった豊岡和美さん。

公共事業に代わるのはエネルギー

幸か不幸か、当選したのだが、県議を務めたのは1期4年間だけ。豊岡さんはその間に考えが大きく変わったという。

「市民運動も正義だけで物事を考えていては駄目だし、ダム問題のような単一課題で県議会に出ても信用されないし、県政は担えないと痛感しました。これまでやってきたことは、何て幼かったのだろうという気持ちになりました」。

90年代後半以降、各地で「どうにも止まらない公共事業」が問題にされたが、住民運動も、出てきた事業を止めるのが精いっぱいだった。

「どうしてダムのような要らない事業が出てくるのか、公共事業になぜ賛成する人がいるのか、貴重な自然などすばらしいもの、本当に守りたいものがあっても守れないのはなぜか」と悩み抜いた末、「結局、経済を変えないといけない」に行き着いた。

「国は、ダムをつくらないと地域が置き去りにされるかのようにいって、事業を進めようとします」から、公共事業に依存しない地域経済をつくり上げるしかない。

「ほかに代わりになるものがあるとしたら、再生可能エネルギーしかありません」。

そう思い、豊岡さんは、本誌でも何回か取り上げた高知県梼原町に視察に行った。風力発電から手を付けた梼原町は、その収益で小水力発電や太陽光発電など他の再生可能エネルギーにも手を広げ、山林の間伐にも補助していた。

豊岡さんは、「自治の場で考えていけば、面白いことができる」と実感した。3・11の東日本大震災の後、ドイツの農村を視察して、さらに衝撃を受けた。

豊岡さんが最初に関わった小水力の佐那河内村新府能発電所。

「ドイツでは、農村が自立していました。牧草や牛ふん、食品残さなどを利用して、バイオガスプラントを動かしていました」

「そこからクリーンなエネルギーを小学校に供給していて、『冬に室温を16度以下にするのは人権侵害だ』と農家の人がいっていました。再生可能エネルギーにより収入源が増え、生活の糧は確保されていました」

「農村は優雅で、景観はきれいに保たれ、日本のような三面コンクリート張りの川などありませんでした」。

なぜ日本では同じことができていないのかという疑問が湧いてきた。

寄付を募ってハッピーソーラー

豊岡さんが最初に関わった再生可能エネルギーは小水力である。任意団体の徳島県小水力推進協議会に入れてもらった。ただ、小水力は、「計画から発電までのリードタイムが長いし、案外適地が少ない」ことがわかった。

小水力以外にもいろいろ挑戦してみようと考え、2011年には行政や銀行にも入ってもらい、徳島再生可能エネルギー協議会を立ち上げた。どうしたら再生可能エネルギーによって地域で金を回せるようになるかを勉強した。

しかし、実際に事業をやってみせないと地域では信用されない。翌年に事業を担う組織として一般社団法人徳島地域エネルギーを設立した。設立に関わったのは、可動堰問題当時から付き合いのある花屋の経営者、県庁職員と豊岡さんの3人である。

「利益のためではなく、公益的なことをやりたい」と思い、社団法人にした。ちょうど再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度(FIT)が動きだす直前の時期だった。


徳島地域エネルギーが最初に手がけたのは、2012年に県北西部の美馬市に建設した美馬ソーラーバレイ発電所。出力1000キロワットの太陽光発電である。

事業主体となる株式会社を設立し、3億5000万円の事業費は、1口50万円の私募債による49人の市民からの出資、県の補助金、金融機関からの融資で賄った。しかし、この方式では、出資した市民の負担が重い。

そこで、豊岡さんは、新たに「コミュニティ・ハッピーソーラー」方式を思い付いた。1口1万円の寄付を募り、寄付してくれた人には、地元で買い入れた農産物や海産物を5回ほど送るという方式である。

これだと寄付する側の負担は軽いし、地元の農業や漁業の振興にもなる。売電による収益も地元に還元するから、地元は二重に利益を受けることになる。

この方式の第1号は、2013年に徳島市の隣の佐那河内村に設立した株式会社佐那河内みつばちソーラー発電所である。トンネルの掘削土置き場にしていた村有地に120キロワットの太陽光発電所を建設した。

寄付者の名前が表示されている佐那河内村のみつばちソーラー発電所の看板。

建設費は3700万円。その一部に充てるため、1口1万円で300口の寄付金を募集したら、322口集まった。お礼に佐那河内産の野菜などを送っている。売電収入は、村の環境基金に組み入れている。

豊岡さんは、寄付方式を発案した理由について、「市民ファンドが流行した時期がありますが、ファンドにすると収支が悪くなり、地域にお金が残らなくなります」

「出資する側も1口10万円単位となると負担が大きくなります。ファンドは責任が重い金融商品ですから、生半可な知識ではできません」

「それなら寄付にしてしまえばと考えました。寄付といっても、何かお返しがあったら寄付する側もうれしいだろうと思い、地元の産物を送ることにしました。地元にとっては、産物を予約販売するのと同じことです」と説明する。

徳島地域エネルギーは、この方式を那賀町、牟岐町、鳴門市などの事業にも広げている。この方式は、地域支援を兼ねた再生可能エネルギー普及の新たなモデルだと評価され、2015年度の新エネルギー財団会長賞を受賞した。

1口1万円の寄付を募った「コミュニティ・ハッピーソーラー」のソーラーパネル(佐那河内村)。

バイオマスの熱利用を推進

徳島地域エネルギーが手がけた太陽光発電は、5年の間に35カ所、1万8000キロワットほどに拡大した。しかし、太陽光発電は次第に難しくなっているという。

「発電コストは下がっていますが、地域でやりたい人たちがやれるチャンスは減ってきています。FITの価格が下がり、入札方式になったりして、大企業の方がやりやすくなっています。自由競争にさらすと、投資目的のメガソーラーが優位になります」という状況にある。他のエネルギーにも力を入れざるを得ない。

小水力は1カ所(45キロワットの佐那河内村の新府能発電所)で実施しただけだが、これから風力発電の計画が動きだす。

鳴門市では適地を抽出するゾーニングマップを2年間かけて作成した。同市では洋上風力の計画もある。

豊岡さんは、「風車は部品が多いので、産業のすそ野が広くなります。ドイツでは、風力発電で10万人以上の雇用が生まれています。ある自治体は、産業の7割が風力発電関係だといいます。風力発電には非常に大きな可能性があります」

「特に洋上風力はこれからもうかるものになります。漁協にも加わってもらいたいと思っています。美波町など県南地域では洋上風力を産業にできないかと考えています。県南はそれしか生き残る道がありません」と可能性を語る。

バイオマスは、発電よりも、「早く熱利用を定着させたい」と考えている。「バイオマス発電のFIT価格が高いため、熱利用をやろうという人がほとんどいません」という現状だが、熱利用は家庭のエネルギー消費の50%以上を占める。

ここにバイオマスを活用しない手はない。徳島地域エネルギーは、オーストリア製の乾燥チップボイラーの輸入代理店をしている。「竹も燃やせるもので、小型ボイラーでは最高レベルのもの」だという。なぜオーストリア製か。

「日本製のボイラーは使えません。日本の技術は何周も遅れてしまいました。原発に傾斜し、技術の方向を間違えたのです」という事情からである。県内では旧山川町の老健施設にこのチップボイラーを納入しているし、山梨県のゴルフ場の暖房と風呂用にも納入している。

長崎市も興味を示していて、徳島地域エネルギーが佐那河内村に設けた研修用の「バイオマス・ラボ」に担当者が研修に来ることになっている。次第に普及が進みそうだ。

オーストラリア製の乾燥チップボイラーを設置した「バイオマス・ラボ」。

ハイキングよりも登山を

ソーラーパネルを屋根に載せるなど再生可能エネルギーに取り組む人は多い。それでも、多少は地球環境の悪化防止に貢献しているように見えるのだが、豊岡さんは、そういう人たちに「それで社会を変えられますか、雇用が生まれ経済を支えられますか」と問いかけている。

「経済を変えないと社会を変えられません。私は、社会を変えたいと思ってやっています」が豊岡さんの立場である。再生可能エネルギーをやってみたいだけのNPOなどの活動がハイキングだとしたら、豊岡さんたちの事業は登山だという。

ハイキングは一人一人が楽しければそれでいいかもしれない。これに対し、登山は計画を練るし、行程も組む。足りないものは何か、スキルか予算か、という判断もしなければならない。

「その二つを混同している人が99%です。社会を変えたいのか、再生可能エネルギーをやりたいのか、思いを定めないと目標に到達しません」。

徳島地域エネルギーは現在12人を雇用しているが、これだけでは足りなくなっており、新規採用の募集をしている。着実に地域に足場を築きつつある。

豊岡さんが、「活動より事業、ハイキングより登山」を選ぶのは、「好きなことをしていればいい時代なら、それでいいでしょうが、いまはそれでは間に合いません。流れに任せていたら、地域はなくなってしまいます。再生可能エネルギーを産業として根付かせ、地域経済の柱にしなければなりません」という危機感からだ。

耕作放棄地で太陽光発電の事業をしていると、ほかからも「うちでも太陽光発電をやってくれ」と声がかかるようになった。農村の維持には再生可能エネルギーが有効と気付く人が増えた証しだろう。

ドイツやデンマークなどを見るにつけ、豊岡さんは、「なぜ日本は立ち遅れたのだろうと考えます。日本人は、積み上げで考えるのは上手ですが、高いところからのふかんができません。専門はすごいのですが、大きなビジョンを描き、自らの立ち位置を見定めることができません。その辺が欧州とは全然違います」と痛感している。

豊岡さんの見るところ、「いまは革命の時代」だし、「革命にしてしまわないといけません」と考えている。エネルギー転換を軸にした社会変革の時期ということだろう。

といっても、先が明確に見えているわけではない。「エネルギーの革命は道なき道で、試行錯誤の連続です。日々悩み、これでいいのだろうかと思います。自分との闘いです」。

同時に、なかなか理解をしてくれない自治体や企業との闘いでもあるようだ。「考えを変えてもらうために、自治体にも積極的に顔を出すようにしています。同じようにやってくれるところ、革命の同志を探し続けています」。

久しぶりに「革命」という過激な言葉を聞いていたら、自治体にエネルギー転換を説いて回る豊岡さんが現代の坂本龍馬のように見えてきた。龍馬が現代に生きていたら、案外こんな行動をしていたかもしれない。もしかして、現代の龍馬にふさわしいのは女性かもしれない。

(おわり)

>「徳島地域エネルギー」ホームページ

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