「学校は地域社会の“心棒”」と言う東洋大学名誉教授・長澤悟さん

急激な少子化の中では、小中高等学校が減ることもやむなしと思うが、年間500校前後の廃校が10年以上続いていると言われると、驚きや不安を感じるのは筆者だけではないだろう。文部科学省の統計資料を見ると、平成の大合併前後から廃校数が増えているのが分かる。合併した旧町村の小中学校を1校にまとめるような統廃合もあると聞く。まさに学校受難の時代と言える。

ところで、初めて会った人が同じ学校の出身だと知ると、とたんに親近感を持ったり、先輩後輩の関係になったり、という場面に出くわすことがある。時期は別でも同じ学び舎に通ったことが、両者を他人ではなくさせることも、学校の持つ不思議な力の一つだろう。

このたび、以前から親しくさせていただいている長澤悟先生に、あらためて学校についてじっくり語っていただく機会を得た。長澤先生は、30年前に設立した教育環境研究所で100校の学校建築に携わり、日本大学や東洋大学の教授時代も200を超える学校づくりの現場に関わってきた第一人者。関わり方もコーディネーター、ファシリテーター、プランナーとさまざまな立場で、学校の基本構想から設計までと幅広い。長澤先生の40年間300校に及ぶ学校づくりの経験則をお伝えする。

【取材・文:橋本正法(NPO法人地域交流センター代表理事/東神田支局長)】

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』186号(2019年4月25日発行)掲載の内容に、若干の修正を加えたものです。

長澤 悟(ながさわ さとる)
東洋大学名誉教授、教育環境研究所所長、木と建築で創造する共生社会実践研究会(A-WASS)会長。工学博士。1948年神奈川県生まれ。東京大学大学院博士課程修了後、東京大学助手、日本大学教授、東洋大学教授を歴任。日本建築学会賞作品賞(長野県浪合学校)、同業績賞(福島県三春町の一連の学校づくり)、日本教育研究連合会表彰など受賞歴多数。著書に『やればできる学校革命』(日本評論社)、『スクール・リボリューション』(彰国社)、ほか。

一.学校はどのように変わってきたのでしょうか。

学校が変わり始めたのは40年くらい前からです。昭和50年代後半に文化性がキーワードになり、量から質への転換が求められる中で、特色のある学校デザインが現れるようになりました。それまでの一斉授業一辺倒の教育が、その結果として「落ちこぼれ」や「見切り発車」と言われるような状況を生み、それをすべて児童・生徒のせいにしていたわけです。その反省から、個々の児童生徒の違いを重要視するようになり、個性を伸ばす多様な教育が試みられるようになりました。

教育が変わると学校の空間も変わってきます。そこで、当事者である教員が学校づくりに関わることが重要になります。とは言え、当初は教育や施設を変えようという考えの教員は少ないので、なぜ変える必要があるかを説明し、理解してもらう場づくりから始めました。

学校建築は、明治時代より4間×5間の教室に北側片廊下というスタイルの木造校舎の定型ができました。戦後の鉄筋コンクリート校舎ではそれが標準化され、画一化が進みました。昭和40年代末から教育の変革の動きに合わせて、一斉授業用の教室に、教室と一体に自由に使えるオープンスペースを組み合わせる計画が始まり、広まっていきました。

青ヶ島村立青ヶ島小中学校の小学校の教室。オープンスペースになっている。

初めに学校に大きな変化を引き起こしたのは、地方の小さな町や村でした。単なる建て替えでなく、先人から受け継いだ学校を次代にどうつなぐか、地域の将来をどうしたらよいかを考え、学校から変えていこうとしたのです。持続可能な地域づくりにはそのようなバトンタッチが大切だと思います。

一方、大きな自治体は学校がたくさんあるので、1校だけ特別扱いするのは難しいという判断が優先し、世の中の動きが定まってからでないと変えられません。「改革者は始めは常に少数から」ということを実感しています。

ニ.そもそも学校とは何なのでしょうか。

明治5年の学制発布後、学校は地域の力で建設されました。「おらが学校」という言葉がありますが、あれは「おらたちが建てた学校」と言ってよい。明治政府は学校をつくれと号令は出したがお金を出さなかったので、地域住民が土地を提供し、お金を出し合い、労力を提供しながら学校をつくりました。

10年も経たないうちに現在に匹敵する2万校もの小学校が設置されています。その際、神社の隣に学校を建てるケースがとても多く見られました。神社は地域の一番大事な場所にありますが、そこに学校もつくった。学校は神社と並ぶ地域の大事な施設だったのです。

私の恩師である吉武泰水先生(東大名誉教授)が、亡くなる前に言われた「学校は教育施設ではない。学校は学校だ」という言葉が私の心にはずっと残っています。日本人にとっての学校とは、単に教育機能を追求していけばよいというような単純な存在ではないのです。

「特に小学校は地域の核として死守する必要がある」と語る長澤悟先生。

次のような話を聞いたことがあります。新天地を求めて、日本では明治末頃から、またヨーロッパからも大勢の移民がブラジルに渡りました。現地では同じ国の者同士がまとまって住宅を建て、同時に集まれる場所、コミュニティ拠点をつくった。ラテン系の人々は住宅地の真ん中に教会をつくって礼拝に集まり、ドイツ人はクラブハウスをつくって一緒に議論したり、歌ったりした。大いにビールも飲んだことでしょう。

これに対して日本人は学校をつくり、その運動場で運動会や民謡大会などを行って同胞意識を確かめ合ったと言います。子どもの教育の場にとどまらず、地域を支え、地域に支えられる存在という独自の学校文化を日本人はつくり上げてきたのです。

三.災害の多い日本では、学校が避難所としても使われます。

阪神・淡路大震災や中越地震が学校に子どものいない時間帯に起こったのは不幸中の幸いでした。10数年前まで学校の耐震化率は半分以下でしたが、国は学校の耐震化を最優先にして予算配分し、今ではほぼ100%を達成しています。この間、中国の四川大地震で多くの子どもたちが学校施設の倒壊で亡くなったことが拍車をかけたとも言われています。

トルコ政府の関係者から、学校の耐震化を最優先して予算を投じることに、国民の理解が得られにくいので苦労しているという話を聞いたことがあります。日本人は学校を最優先することを当たり前のように思うけれど、他の国は必ずしもそうではないのです。そこに日本人にとっての、また地域にとっての学校観が表れていると思います。

四.まちづくりの議論は学校づくりから始めるとよいと言われる理由は何でしょう。

学校づくりは、「学校とは何か」ということをみんなで問い直すことから始まります。まちづくりや公共施設の建設に、地域住民や関係者の参加は当たり前になってきました。意見を求められても何を話したらよいか思いつかないものもありますが、こと学校に関してはみんな共通体験を持っており、いきなり発言を求めても大丈夫。

初めは尻込みしていた人が「もうその辺で」とストップを掛けなければならないほど、誰でもしゃべることがたくさんあるのが学校です。学校の地域における役割の大きさと合わせ、参加のまちづくりにうってつけです。しかも何年か後には必ず目の前に現れ、みんなで喜び合えます。

学校は、あらゆる年代の人が自分のものだと思える場所であり、みんなの心のよりどころとなる存在でもある。かつては、地域総がかりで子どもを育て、地域を支える人材を生み出す仕組みが学校以外にも地域の中にありました。それが今日では学校に集約されています。学校がなくなってしまったら、持続可能な地域づくりの担い手が育たず、将来像も描けなくなると思います。

学校づくりの場では、みんながあれもこれもと言ってくる。たくさん意見が出れば、そのためにどうするかという問いが立ち、より具体的な議論ができます。それが未来につながります。

五.震災復興と学校づくりとの関係はいかがですか。

3.11東日本大震災で被災した学校の再建に、10校ほど関わってきました。被災者はつらい思いを持ちながら復興を話し合うわけですが、学校づくりの議論を重ねていると、次第に声が明るくなり、顔が上を向いて話すようになるのを、どの計画でも実感してきました。最初に関わった大船渡市の小学校と中学校の計画では、津波被害に遭われた参加者の方々の意見は大きく二つに集約されました。

震災復興の思いを聞いてつくられた陸前高田市立気仙小学校。

一つは、絶対に津波被害に遭わない場所とすること。もう一つはスピードです。みんながバラバラに避難しているので、学校ができれば子どもが戻ってくる。でもどれぐらいの子どもが戻って来るのか不安もある。遅くなるほど戻らなくなります。学校再建の話し合いでは、スピード感を大事にしつつ、今日的な学校づくりの課題の積み残しがないようにし、長く使い続けられる学校づくり、語り継がれる学校づくりをしようと努めました。

石巻市雄勝地区の学校復興計画では、学校づくりのための子どもたちのワークショップを行いました。散り散りになって別の学校に通っている小中学生が久しぶりに顔を合わせ、嬉しそうに意見を出し合う様子を見て、「子どもと書いて『みらい』と読む、未来と書いて『こども』と読む」という言葉が自然に浮かんできました。

大人たちの検討会でも、回を重ねるごとに心にしまい込まれていた意見が出されるようになり、目指すものを共有することで、地域の将来像が語られるようになる。そんな様子からは、「学校と書いて『きぼう』と読む」と思いました。

陸前高田市立気仙小学校のオープンスペース。県産材が子ども達を温かく包み込む設計。
陸前高田市立気仙小学校の図書館と多目的ホール。

六.学校の統廃合の流れが止まりません。どう見ていますか。

学校を統廃合する判断の節目は二つあります。一つは1学年1クラスになりクラス替えがなくなる時、もう一つは子どもの数がさらに減って複式学級になる時です。教育効果の点で特に保護者から不安の声が上がり、統合が要望として出されると、存続を望む地域の人々もやむを得ないと諦めてしまう。

ですが、地域の将来を担うのは、地域の空間の中で地域の人々が関わる中で育った体験を持つ子どもたちです。東日本大震災での地域の復興、学校再建を見てもそう思います。そういう意味で特に小学校は地域の核として死守する必要があると思っています。

地域の協力で運営されているスイス山岳地帯のフラウエンキルへ小学校。

学校統合が進められる背景として財政的な理由が大きい。また、今日の学校施設の最大の課題は老朽化対策です。3分の2の学校が築後25年以上と老朽化が進んでおり、その対策は待ったなしです。統合校や小中一貫校のように新たにつくる場合は補助対象となりやすく、補助率も高い。その結果として統廃合が進んでいる側面があります。

統廃合を検討する際、文科省が2015年に出した「公立小学校・中学校の適正規模・適正配置等に関する手引」が理由にされます。しかし、国は「統廃合しなさい」とは言っていませんし、小規模校を維持していくための支援策も提示しています。小規模校を維持するのは地域の思いと工夫次第です。

文部省(当時)は昭和40年ころに学校統廃合を進めようとしたことがありました。その結果、地域が賛否で割れ、分断されておかしくなったために、統廃合推進を中止したという経緯があります。

フラウエンキルへ小学校は小規模校のため、1~3年生、4~6年生が同じ教室で学ぶ。校長および音楽等の専科教員は近隣の4つの学校を兼任。

子どもたちが集団の中でもまれることの重要性、スポーツなど集団での活動が求められるといくことは確かにあります。が、「学校は地域にある」ということから始めれば、ネットワーク型の学校やインターネット、デジタル技術の活用など、小規模校でもいろいろな工夫できるはずです。新しい学校観、学校像の構築が今求められます。

スイスの山岳地帯では、全校20名ほどで教員1人というような極小規模校が、地域の協力により各地で運営されています。将来地域を支える人材を育てるには、地域の中で生きる術と誇りを、子どもの時に伝える必要があり、学校はそのための場と考えられているのです。地域から学校をなくして、後から気が付いてももう遅いということです。

七.2020年から始まる新学習指導要領では、小学生からプログラミング教育が始まるなど、AI時代に向けた教育が課題とされています。これから学校はどう変わるとお考えですか。

ICT(情報通信技術)は学習内容、学習方法の両面で学校を大きく変えるでしょう。来るべき大きな社会変化の中で「生きる力」を育てる教育とは何か、そのための場、環境はどうなるのか。学校には次なる大きな変革が求められています。

新学習指導要領では、「主体的・対話的で深い学び」が掲げられています。今回の改定の特色は、「コンテンツ(内容)からコンピテンシー(資質・能力)へ」と言って、学習の「方法」にまで立ち入っていることです。方法が変わるということは学習の形、活動が変わるということであり、その場となる建築にも変化が求められるということになります。

最初に述べた、これまでの学校空間の変化は、一斉授業用の教室を確保した上でオープンスペースをつくるというものでしたが、これからはまずは自由な学習空間があって、その中で一斉授業もできるような学校づくりが目標になるのではないか。また、ICTの活用によってグループやクラス内、さらには他の学校とも協同学習ができるようになります。

場所を超え、地域も含めた学びの共同体ができ、地域全体を学校と呼ぶようになるかもしれません。学び自体が場所性を問わなくなる。その一方で、地域の中心的存在としての学校があります。それらをどう総合化していくかという、学校を考えるフェーズが大きく変わる節目の時期に来ています。次の新しい学校像をどうつくり上げていくのか。それにどう関われ、見届けられるか、楽しみに思っています。

長澤先生の穏やかな語り口からは、学校への強い思いをひしひしと感じる。現在、40年間の学校の変遷を記録にまとめようとしているとのこと。「そうしないと、たくさんたまっている資料を捨てられないから」と笑う。社会が大きく変わり、学習方法も新しい時代の幕が開きつつある今、長澤先生の実践記録は、新しい学校像をつくる上で存分に生かされてもらいたいものである。

※学校の写真は教育環境研究所の提供

(おわり)

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