地域コミュニティの新たな拠点となりそうな、住宅街の喫茶店『立石BASE』

「♪君とよくこの店に来たものさ 訳もなくお茶を飲み話したよ」――50年ぐらい前、『学生街の喫茶店』という歌がヒットした。時代は移り変わって今、『住宅街の喫茶店』という歌が生まれそうな気配がある。

喫茶店は繁華街や商店街など人通りの多いところに出店するのが一般的だが、最近はひっそりとした住宅街の中にオープンする店も出てきた。地域コミュニティの喪失した東京で民家を活用しての喫茶店が注目されている。

【『かがり火』発行人:菅原歓一】

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』198号(2021年4月25日発行)掲載の内容に、若干の修正を加えたものです。

かつての玩具製作所がカフェになる

京成電鉄押上線の立石駅から歩いて10分ほどの住宅街の民家が「立石BASE」というカフェに生まれ変わった。この辺りは小さな町工場がひしめく下町だが、カフェのオーナーは本誌191号の杉原学さんの「ちょっとゆるめな連続対談」にご登場いただいた井口雄太さん(27)。

「この家は母親の実家なんです。僕が子どものころよく遊びに来ていました。おじいちゃんはブリキのおもちゃを作っていて、おもちゃが不振になってからは口紅のケースを作っていました。玄関を開けると土間にプレスの機械が置かれていたことを覚えています。居間の柱には今も背比べの跡が残っています」

民家風な店内。

雄太さんは、母親が里帰りして立石の産院で生まれたから、ことのほか愛着があって、成人してからも目黒の自宅から祖父母の家に遊びに来ていた。祖父が亡くなってから祖母が一人で暮らしていたが、先年、その祖母も亡くなって、母の実家は空き家となった。

売却の話が進んでいたころ、雄太さんはカナダのトロントでバスキング(busking・路上演奏家)で生計を立てていた。

対談でもお話ししましたが、そのころ僕は路上で演奏して投げ銭をもらって生活をしていました。大学時代に引きこもりになって、部屋から一歩も出られなくなりました。部屋に閉じこもって1年が経過したころ、“今日1日区切りで生きる”という言葉に出会ってから、未来も過去も考えなくていいなら、ピアノを弾けるようになりたいと思い始めて、電子ピアノをやり始めたんです」

YouTubeを見ながら独学で電子ピアノを勉強したころ、友人の勧めで台湾に渡ってバスキングを始めた。路上の演奏活動で食べていけるだけのお金が集まった。その後、2019年の9月から2020年の9月までカナダのトロントに滞在した。

台湾で路上演奏していた時の雄太さん。

母の実家でカフェをやることになったのは、帰国後、台湾で知り合った井口康弘さん(176号の杉原対談第1回ゲスト)と、西武柳沢(西東京市)の「ヤギサワバル(172号で紹介)」で再会したことがきっかけになった。

「立石の母親の実家が空き家になっていることを話すと、康弘さんや同席していた杉原学さんたちも興味を示してくれて、空き家を有効活用してカフェにできないかという話に発展したんです」

話が決まると青年たちの行動は速かった。祖母の遺品を整理し、たまっていたごみを出し、ホームセンターで電動ノコギリと天井や壁や床の部材を買ってリフォームを始めた。壁は漆喰にし、天井には柿渋を塗って、レトロなイメージを出すようにした。お酒も出せるように飲食店の免許も取得した。

コロナのせいでなかなか正式にオープンはできないために、3月初旬にプレオープンしたところ隣近所の人たちがコーヒーを飲みに来てくれた。「立石の人情深い土地柄とみなさんの温かい気持ちが合わさって、すてきな場所になることを感じています」

飲食店経営はみんな素人だから、事業計画は一切立てず成り行きに任せることにした。自分たちが働く分には人件費もかからない。その上、雄太さんと康弘さん二人には他の店ではまねのできない特長がある。雄太さんは引きこもり経験者だし、康弘さんは定職を持ったことがない自由人である。家庭や社会で居場所がないと鬱々としている人にとっては、この店は居心地のいい場所になるに違いないのだ。

「立石BASE」の入り口。

雄太さんはずうっと重荷に感じていたことがある

「今の世の中って、子どものころから幸福になるために頑張らなきゃというようなプレッシャーがあるような気がしていて。その幸福というのは僕の中では二択でした。一つはいい大学に入って、有名な会社に就職して、結婚して、家を建てるという人生を歩むことの幸福。もう一つはスポーツでも音楽でも将棋や碁でも何か一つのことに秀でることで認められ、高収入を得るようになること――この二つのような気がしていました。

僕は海外に旅に出て、路上ライブで生活をしたり、旅の中で康弘さんと出会ったことによって救われたんです。路上ライブで人のご縁の中で生かされたり、いろいろな人種の生き方を肌で感じたりして。康弘さんは写真家と名乗っているけれど、革細工でコースターを作ったり、石けんを作ったり、カーテンを縫ったり、定期収入はないのに、いつも楽しそうにしている。世の中にこんな人もいるんだと目を見開かされる思いでした」

と雄太さんは康弘さんを敬愛している。二人は井口姓だけれど縁戚関係はなく、全くの偶然の同姓だった。二人は旅行中に台湾の花蓮市のゲストハウスでたまたま出会ったのだという。

井口康弘さんは何でも器用にこなす。

本誌は雄太さんや康弘さんの生き方にリアリティを感じる。既存のガチガチの道徳観に固まったおじさんには、高みを目指さない向上心のない若者のように映るかもしれない。しかし、資本主義はいま、壁にぶち当たっているのだ。際限なく生産力を拡大させ、成長を続けることの無理ははっきりしてきた。

脱資本主義の時代は、働き方も考え方も生き方もすべて変えなければいけない。二人は生身の肉体を実験台にして、脱成長時代の新しい生き方を模索し続けていると言えないこともない。 

「立石BASE」のメニューはほぼ固まった。コーヒーは400円、定休日は火、水曜日。ランチはその日の店番担当によってあるとかないとか。営業時間は 11時〜19時。ラストオーダーは18時。

この周辺に用事のある人はぜひ寄ってほしいと申し上げたいが、立石に用事がある人は少ないだろう。そこでとっておきの情報をご提供する。立石駅前にいつ行っても行列が出来ている店がある。味は折り紙付き、値段は格安の、もつ焼きの「宇ち多”」とすし店の「栄寿司」。

昭和の雰囲気を濃厚に残すレトロな駅前商店街が再開発の危機にあるので、今のうちに下町の意地と味を賞味しておかれることをお勧めしたい。

【立石BASE】〒124-0012 東京都葛飾区立石2丁目8-1

ちょとゆるめな三人組。左から杉原学、井口康弘、井口雄太さん。
ビートルズが得意な井口雄太さん。

(おわり)

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