【第16回】そんな生き方あったんや!「行き着くところは一緒」バスカー・井口雄太さん

「バスカー」という職業をご存じでしょうか。ストリートパフォーマンスのことを英語で「バスキング」と言って、そのパフォーマンスに対してもらえる寄付で生活している人のことを「バスカー」と呼ぶそうです。

ストリートミュージシャンが代表的ですが、他にもサッカーボールでリフティングをしたり、スパイダーマンの格好をして一緒に記念撮影をしたり、書道で文字を書いたりと、いろいろな特技を路上で披露してお金を稼ぐ人が、世界にはたくさんいます。日本では規制が厳しかったり、そもそもチップを入れる文化がないので、そのような職業が成立することに僕たちは驚いてしまいます。

今回ご登場いただく井口雄太さんは、そんなバスカーの一人。彼はキーボードで弾き語りをしながら、海外を旅して生活しています。ところが意外にも、彼には1年間のひきこもり経験があるというのです。そこからどうして世界を旅するバスカーになったのか。その経緯などについて伺ってきました。

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』191号(2020年2月25日発行)に掲載されたものを、WEB用に若干修正したものです。

【プロフィール】

井口 雄太(いぐち ゆうた) 1993年、東京生まれ。中央大学法学部卒。大学3年から休学をし、ベンチャー企業で働き始めるも、挫折を味わい、自己肯定感を失う。就職活動もろくに行わず、およそ1年間ひきこもる。2017年9月にピアノを1から始め、音楽活動を開始。2018年10月に路上ライブをしながら台湾を一周。その後も海外で路上ライブをしながら生活をしていたが母親が倒れ、2019年10月にカナダから帰国。日本ではBuckettoというユニットでも活動中。活動の記録はこちらから。

杉原 学(すぎはら まなぶ) 1977年、大阪生まれ。四天王寺国際仏教大学中退。コピーライターを経て、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科に入学。自殺予防をテーマに修士課程修了。博士課程中退。哲学専攻。現在は「時間と人間との関係」について研究中。単著に杉原白秋著『考えない論』(アルマット/幻冬舎)、共著に内山節編著『半市場経済』(第三章「存在感のある時間を求めて」執筆、角川新書)など。高等遊民会議世話人。日本時間学会会員。

お金をくれたホームレス

杉原 路上ではどんな歌を歌うんですか?

井口 邦楽も洋楽も歌いますし、少しだけ中国語の歌も歌います。オールドソングから今時の曲まで。『上を向いて歩こう』とか、ビートルズとか、エド・シーランとかのカバーソングを。歩いている人や街の雰囲気によって、演奏の内容やリズムを変えたりしていますね。あと、ずっと同じ場所だと飽きられたり、苦情が来たりするので、1日に2、3回はバスキングポイント(路上ライブをする場所)を移動します。その地域との関係性を考えて、1回演奏した場所は1〜2週間ぐらい空けたり。そういう場所探しとか移動にも体力を使うので、そっちでヘトヘトになって、数曲歌って終わりの日もあったりして(笑)。

杉原 ははは。やっぱりお巡りさんに注意されたりします?

井口 場所によりますね。都市によってルールが違って、ライセンスが必要だったり、アンプを使わなければOKだったり、ここの境界線の外はダメとか、場所代を払えばいいよとか、そもそもこの町ではやっちゃダメとか(笑)。カナダのトロントでは、バスカーライセンスを取得したりもしました。

杉原 バスカーライセンス!いい響きですね(笑)。路上でやっていて印象的だったエピソードはありますか?

井口 路上ライブって、見知らぬ人がお金をくれるわけじゃないですか。ただ歌っているだけで。これって、その人がお金にゆとりがあるからなのかな、と思っていたんですよ。映画『男はつらいよ』の中で、寅さんが、「本当の芸術家が売れるわけないんだ」「そういう人を金持ちが支えるんだ」って言うシーンがあって。「そういう心の豊かさを、芸術家は提供するんだ」って。それなのかなと思っていたんですよ。

でも、トロントで路上ライブをしていたら、僕と同じくチップをもらうために、紙カップを持って座っているホームレスのおじさんがいて。僕が2時間ぐらい歌っていたら、「センキュー。すごくいいね」って言って、自分が稼いだチップを全部、僕の箱にシャーって入れ始めたんです。

杉原 へー!

井口 「えっ」ってなって。貯金なんて絶対ないはずなのに。どういう心理でお金をくれたのか……。しかもけっこう入っていて。さすがにもらえないから、すぐにライブを中断して、コーラとハンバーガーを買ってきて、一緒にご飯を食べたんですけど。「マジありがとう!マジフレンドだ!」って(笑)。

杉原 いいっすね〜。

井口 そのおじさんの所でやる日は、一緒にご飯を食べるのが日課になりました。お金に余裕があるわけじゃない人も、そんなことができるんだっていう衝撃がありましたね。あと、台湾でも似たような経験があって。ずっと僕の演奏を聴いてくれていたホームレスのおじさんが、「マジでいい声だ」って言って、「お前、酒飲むか?」って酒を持ってきてくれたんです。でもその酒があまりに汚くて(笑)。僕が「ちょっと新しいの買ってくるわ」って、それで一緒に乾杯したり。そうやって結局、この人たちに何かを返してるなとも思って。

杉原 ああ、結果的にね。

井口 結果的に。なので、彼らみたいに心も金もオープンにした方が、わりといろんないいものが来たり、生まれたりするんじゃないかな、と思ったりしますね。だから、最近はあんまり考えないです。心の中を常にクリーンな状態にしておきたいというか。

バスキングの様子。台湾・台北にて。

「行き着くところは一緒」

杉原 本当は今もカナダを旅しているはずだったんですよね。

井口 そうなんです。カナダにいる時に、弟から急に電話がかかってきて。「お母さんが倒れて、医者はもう助からないって言ってるから、最後に看取りに来て」って泣きながら言われて。僕はその時、いい人たちに囲まれながら、弾き語りで十分生活できていたので、「ここでお母さん倒れるの?」ってびっくりしたんですけど。

自然に体が動いて、すぐ帰ったんです。30時間かけて。「まだありがとうも何も言えてないのに、このまま死なれたら……」と思って、飛行機でずっと泣きながら。ひきこもりの時も、ずっと僕のことを支えてくれたので。で、帰ったら先生に「奇跡が起きないと助からない。可能性は0点何%だ」みたいなことを言われて。ほんとに助からないような感じだったのに、今は集中治療室から一般病棟に移って、ご飯を食べられるようになっていますからね。

杉原 あ、それはよかった。

井口 だから「まだ生きてていいよ」っていうことなんでしょうけど。「じゃあ、何で倒れたんだろう?」とかすごく思って。まあ考えたってしょうがないんですけど。あのまま旅を続けていたら僕に何かあったから、母が守ってくれたのかな、とか(笑)。……母が僕によく言っていたのが、「行き着くところは一緒だよ」っていう言葉なんですけど。

杉原 おお~。

井口 そんなこと言うような母なんですよね。あと、僕が好きな小説の中に、「マクトゥーブ」っていう言葉があって。「それはすでに書かれている」っていう意味のアラビア語なんですけど。もう書かれているので、あらがってもしょうがないというか(笑)。

杉原 それは……宿命?

井口 宿命、ですよね。「行き着くところは一緒」も同じだと僕は思っていて。だから、何が来ても「あなたが染めてください」っていう感じで、白紙でいることだけを保っておけばいいのかなと。

バスカーとして世界を旅している井口雄太さん。旅に欠かせないキーボードと共に。

ITベンチャーでの挫折とひきこもり

杉原 そんな井口さんですけど、以前は全く別の価値観で生きていたそうで。

井口 はい。大学生のころは、すごく「ビジネスで成功したい!」って思っていたんです(笑)。周りにそういうエリート系とか、ITベンチャー志望の友達がいたりして。逆算思考みたいなのに憧れていましたね(笑)。その時に、大学のビジネスコンテストに出たら優勝して。審査員の一人から「ちょっとウチでインターンしてみなよ」って声が掛かって。「俺、才能あるんじゃねー?」って調子に乗って(笑)。

杉原 いや、そりゃ調子に乗りますよ(笑)。

井口 大学も休学して、ベンチャー企業で2年間くらいバリバリ働きました。薄給のインターンで、始発から終電まで、みたいな。自分をすり減らすような生活を。インターンは二社経験させていただいたのですが、大学を卒業するころにいた会社はつぶれかけていて。じゃあ就活しないといけないんですけど、もう疲れ切ってるし、自信とか自己肯定感もなくなっていて。「俺、何で生きてんの?」ってなっちゃって。

杉原 あー、一気に来たんや。

井口 まあ働き過ぎですよね。楽しかったら働き過ぎてもいいけど、本来自分が進むべきところじゃなかったのに、そこにしがみついて頑張ろうとしたから。それでうつになって、1年間ひきこもったんです。就活する気も起きなくて、天井のシミをずっと見てました。ほぼ1歩も外に出ず、トイレに行って、親からご飯もらって、天井のシミを見て、ゲームして……みたいな生活を1年。

杉原 それまで相当頑張ったんでしょうね。ムリしたというか。その反動ってやっぱり来るんですよね。帳尻合わせてくるっていうか。

井口 ほんとそうだと思います。だから入院みたいなもんですよ。心の大けがして、入院したんです(笑)。

杉原 なるほどね。しかも周りの同級生が就職して働き始めたりすると、余計に「俺何やってんだろ」ってなりますよね。

井口 ほんとに。だから友達とも一切連絡とらず……。もう一生こんな感じなんだろうなーって。

「自分らしい生き方シンポジウム」にパネリストとして登壇し、自身の体験を語る井口雄太さん。

「今日一日の区切りで生きる」

杉原 確か、そこから回復するきっかけの一つになった本が……。

井口 カーネギーの『道は開ける』ですね。自己啓発本みたいなものって、今はもうどれも合わないですけど、あれに書かれている「今日一日の区切りで生きる」っていうのは、やっぱり大切だとは思いますね。

杉原 ピアノを始めたのは、それを読んでからなんですよね。

井口 そうです。ひきこもっている間にいろんなものが削ぎ落とされて、生きていてやりたいことが「ピアノを弾けるようになりたい」しか残らなくて。「今日一日の区切りで生きるなら、過去も未来も考えないなら、今ピアノを弾きたい」って思ったんです。で、そんなことを考えながら3カ月ぐらいたったころに、気付いたらバイトを始めていて。キーボードを買うために。だからそれも、突然じゃないんですよ。徐々に、徐々に、徐々に……。ひきこもってから1年後くらいかな。

杉原 やっぱり時間が必要。

井口 時間が必要ですね。でも、ひきこもっていた時のマインドは今も持っていますし。あの時と変わったかっていったら……あの時のままっすね(笑)。

杉原 ははは。でもその時の思いとか、その時の自分をどこかで持ちながら生きているっていうことが、人間としての深みを増しているっていうことだと思うんですよね。深みというか、味わいというか。

井口 なんか珈琲っぽい感じになってきましたね(笑)。

杉原 深みと、味わい……。酸味もあったりしてね(笑)。

台湾での出会い

杉原 そこからどうして海外に行くことになったんですか?

井口 実は、僕と同じタイミングでうつになった友達がいるんです。家を出られるようになったタイミングも偶然同じなんですけど。その彼が、海外へ旅に出たんですよ。そうしたら、生まれ変わったみたいに、目をキラキラさせて帰ってきて。「井口、お前も旅に行けよ」って言われて。それがきっかけですね。

「最初は台湾がいいよ」って言うから台湾に行ったんですけど、その間はキーボードの練習ができないから、「じゃあ持って行くか」って。「路上ライブやってる人いたよ」とも言ってたんで、勇気が湧いたらやろっかな、ぐらいの気持ちで。失うものは何もないし、ほんとに真っ白な状態で、「来たものを全部受け入れてやる」みたいな。誰かに「来いよ」って誘われたら行くし、それでホテルもタダで泊まらせていただいたりして、いろんな人に生かされる感覚を知りました。とにかくいいご縁にしか出会わなくて。

杉原 その台湾で、写真家の井口康弘君(連載初回ゲスト。175・176号。以下、康弘)に出会ったわけですね。井口同士が(笑)。

井口 そうなんです(笑)。僕が康弘さんに、「夢とか、自己実現とか、どう思いますか?」って聞いたら、「なんか残念に思うよね」みたいなことを言っていて。そういうものにとらわれることが。そんなことを言う人を初めて見たので、「何この人、めっちゃ面白い」って。

杉原 ははは。ちょうどそのころ、僕と康弘君に、「自分らしい生き方シンポジウム」(現状のひきこもり支援に一石を投じ、就労や自立にとらわれない多様な生き方を模索しようと企画されたイベント。KHJ全国ひきこもり家族会連合会主催)に登壇してくれっていう話があって。でも康弘君はピースボートにゲストとして乗船する日とかぶっていて、代わりの人を探していたんです。そのタイミングで二人が出会って。「僕より適任な人を台湾で見つけました!」って連絡がありましたよ(笑)。

台湾・花蓮市で、井口康弘さんの写真展にて演奏した時の写真。井口康弘さん(左)、花蓮市市長・魏嘉賢さん(中央)と、井口雄太さん。

井口 あははは。そう、おかげであのシンポジウムに参加できて、「うわー、めっちゃ面白い人いっぱいいる!」と思って。こんなにいろんな世界があるっていうことを初めて知ったんですよね。あれはほんとにびっくりしましたね。

杉原 そういう出会い一つで、人生の方向性がガラッと変わっちゃうことってありますよね。

井口 なんか、ほんとによかったなって。それまでは「こうでなきゃいけない」みたいな考えが自分の中にあって。でも海外に行ったり、そのシンポジウムに参加して、いろんな生き方、お金の稼ぎ方があることとかを知って、「今の自分でいいんだ」みたいな感覚になったんですよね。康弘さんは「自立とは依存先を増やすこと」って表現していましたけど、当時の僕が思っていた自立って、「一人暮らしをして、定職に就く」みたいなことで。でもそれは本質的じゃないと気付いて、気持ちが楽になりましたね。それまでは一個の幸せというか、普通の幸せみたいなものしか知らなかったので。

杉原 普通の幸せなんて、自分の幸せとは全く関係がないんですよね。

井口 結局その人に聞いてみないと分からないですよね。さっきの話で言うと、じゃあホームレスは不幸なのかとか。少なくとも僕が出会った人たちは、お金がないのに、僕にチップをくれる豊かさを持っているわけですよね。話を聞いてみたら、「俺も普段、いろんな人に支えてもらってるから、君を支えたくなった」みたいなことを言われて。「めっちゃ豊かやな、この人」と思って。幸せなんて人それぞれだと思うんですけど、そういう豊かな心を持っている人たちに囲まれていると、自分もそういう気持ちになれるんですよね。

ワクワクしたいだけ

井口 僕の場合、ゆとりというか、ぼーっとできる時間がないと、自分が本来やりたいことから離れちゃうんですよ。キャパシティがないからなんですけど……。

杉原 いやいや。そういう大事な時間をみんな持てなくなっているから、社会全体もおかしなことになっている気がします。

井口 もっとこう、人間らしく生きた方がいいと思いますけどね(笑)。息苦しくなるくらいなら。生き方は人それぞれですけど、僕みたいなクズがもう少し増えてもいいかなと(笑)。

杉原 あははは。確かに「こういう生き方している人もいまっせ!」っていうのは、もっと知られていいと思いますけどね。この連載のテーマがまさにそうですけど。

井口 そう、だからこういう『かがり火』みたいな雑誌とか、こういう記事がもっと広がったら、楽になる人もいるだろうなって。僕は結局ワクワクしたいだけなんですけど、それって人間にしかできないじゃないですか。で、ワクワクしていたら、ワクワクしている人間が集まってきて、なんかいい色に染めてくれるんで。だから、なるべく白紙でいたいんです。

ゲストの井口雄太さん(中央)、写真家の井口康弘さん(右)と、杉原。東京都北区・JR十条駅すぐの喫茶店「スヰング」にて。撮影はスヰングのママ。※スヰングは十条駅西口再開発に伴い、2020年2月24日を最後に閉店。50年以上の歴史に幕を閉じました。素敵な時間をありがとうございました!

杉原 いやー、面白いですね。ただ、それって勇気の要ることでもあるじゃないですか。ある種「手放す」っていうことだから。

井口 そのとおりです。だから僕の場合はひきこもって……(笑)。

杉原 一回追い詰められたわけですよね。

井口 そう。勇気がある人は、それをする必要はないんだと思うんです。僕はムリだったんで(笑)。

杉原 僕もそうです(笑)。では、今後の展望などを……。

井口 しばらくは母のそばにいると思いますけど、やっぱりアメリカは行きたいですね。ソウルミュージックとか、ジャズとか好きだから。ただ、あまりそれに縛られ過ぎると、寄り道ができなくなっちゃうので、そこは気を付けています。音楽的に良くなりたいっていう前提はあるんですけど、それ以外は空っぽでいて、出会ったご縁の中で行動していくというか。そういった寄り道を大事にしたいですね。

杉原 そう思えるのは、今までの寄り道が、自分にとって大事なものになっていったからですよね。それに気付くと、すごく生きやすくなりますよね。

井口 なりますねー。でもやっぱり、ピアノと歌はうまくなりたい。そのために行動していくんじゃないですかね。まあ、分かんないですけどね。

(おわり)

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