皆さんはじめまして。私は塔嶌麦太といいます。この度、本誌にも連載されている杉原学さんとのご縁から、畏れ多くもこちらに寄稿させていただく機会を得ました。拙い文章ですが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
さて、私が今回書かせていただくのは、東京は下町・葛飾区の「立石」という街のお話です。私自身の住まいでもあるこの立石に、今巨大な再開発という危機が訪れているのです。
私の原風景
突然本題に入るのもなんですから、先に少し自己紹介をさせてください。
私が生まれ育ったのは、東急目蒲線(現目黒線)の西小山という駅の界隈です。当時の西小山は山の手地域では抜群の『下町感』を醸し出した、老舗の多い、にぎやかで庶民的な商店街でした。
そこには八百屋、肉屋、魚屋、天ぷら屋、文房具屋、靴屋、なんでもありました。商店街の中程には、生鮮店の密集する中央百貨店というマーケットもありました。
商店街の道を挟んで本屋と花屋のおじさん同士がよく冗談を言い合っていたのを覚えていますが、ああしたお店の人同士の距離の近さは、物理的要因によっても生み出されていたのかもしれません。というのも、当時は自分が小さかったので感じませんでしたが、駅前通りの道幅はやたらに狭かったのです。
私の友達の中にも、家族が商店街でお店をやっているという人が少なからずいました。
気取らない下町、立石へ
こうした西小山の街並みを原風景として持つ私は、6年前に家庭の都合で葛飾区へと越してきて、その後立石駅前で一人暮らしを始めました。立石という街の名前は噂には聞いていましたが(というのも私の母は学生時代立石から通学していたので)、初めて立石の商店街を訪れた時、その匂い、空気感に一遍に魅了されました。
柴又や浅草とはまた違った、気取らない、素の『下町』の姿がそこにはありました。それは故郷・西小山にもどこか通じるものでしたが、立石の下町臭はさらに濃密。
昭和30年代ぐらいの街並みが、誰かのために残してあるというわけでもなく自然にそのまま使われており、もつ焼き屋や大衆酒場、スナックなどが数多く軒を連ねていることも、お酒を飲める年齢になった一人の非正規労働者としては非常に嬉しいものでした。
自炊初心者の私にとっては、食材もおかずも一通り近所の個人店で安く買いそろえられることも大変便利。なにより、買い物をしていても、狭い路地空間が生み出す温かさがあります。
飲み屋に入っても、偶然居合わせた人と互いに気取ることなく、また変に立ち入ることもなく、仲良くなれてしまう「気安さの人情」のようなものが立石にはありました。
そんな立石の街ですが、『昭和レトロの街』として近年注目を集めていること、また『のんべえの聖地』として遥々立石の名店を目指してやってくるファンも多いことを、引っ越してじきに知りました。そして、再開発計画の存在も……。
再開発計画の衝撃
立石の街を歩くと、ときおり『街壊し再開発は反対』と書かれた幟旗が目に入ります。しかしそれだけでは、再開発が一体どのようなものなのかまではわかりません。
再開発の詳しい中身を私が知ったのは、2017年に読んだある新聞記事です。駅の北口側も、南口側も、主要な商店街をすべて含む広大な範囲が更地にされ、巨大なタワーマンションや区庁舎ビルになってしまう……。
衝撃でした。
と同時に、再開発が行われることが既成事実であるかのようなその記事の書きぶりに対し、反骨心が燃え上がったのです。
今からでも遅くない、この無茶苦茶な再開発を止めよう―。
私はすぐに反対運動のグループに入れてもらい、地域へのビラ撒きや勉強会の開催といった活動に携わるようになりました。と同時に、立石の知名度の高さを生かしてより広範な人にこの問題を知ってもらおうと、『のんべえの聖地を守る会』という名前でネット署名なども始めました(現在も募集中です)。
街の資本化
文字通り街を取り壊して、4棟の超高層ビルに変える再開発。
計画を知ったとき、「よりによってなぜ立石で……」という思いも当然ありました。こんなに貴重な街並みで、個性的な名店も数多くあり、地域の人々からも愛されているこの立石でなぜ……。
しかし再開発の仕組みを勉強していくうちに、それがある意味必然であることがわかってきました。
それは再開発問題の本質と密接に関係していました。
再開発の本質とはなんでしょうか?
再開発される前と後とで街を対比させて考えるとわかりやすいです。
再開発前の街にあるお店や建物は、確かに個人個人の財産ではありますが、同時にそうしたものを介して存在する人々のふれあい、地域コミュニティー、せんべろや昼飲みなどの文化があります。また、立石に建ち並ぶ建物は、戦後日本の歴史を伝える貴重な文化財でもあります。
一方で、再開発後のタワーマンションは完全に独立した個々の不動産の集合体で、いわゆる「隣に住んでいる人の顔も知らない」状態が多くなるでしょう。他の再開発された街と景観は全く同じで、ビルの中にあるお店もチェーン店ばかり。文化も個性も歴史もありません。
再開発前の街の商業は、大部分が個人商店で担われており、お金が地域の中で循環しています。しかし、再開発されて大手チェーンが支配的になれば、地域のお金が中央の巨大資本に吸い取られていくことになります。仮にその後でチェーンが撤退でもすれば、残るのは焼け野原です。
このように、再開発で失われるものは文化や歴史、景観、コミュニティーといった、「お金にならない価値」、つまり「公共」です。一方で再開発後の街、というかビルを支配するものは、チェーン店などの巨大資本と富裕層の私有財産権。再開発とは、大きな視点で見れば街という公共空間を潰してビルに変える「街の資本化」だったのです。
立石のほかにも、月島や十条、大山、武蔵小山、高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪、三軒茶屋などなど、古き良き街並みや個性的な商店街が次々と再開発の標的にされていますが、そもそも公共的な空間を資本化することこそが再開発の目的であると考えれば、これらも得心が行きます。
実は私の故郷、西小山にも再開発の計画が持ち上がっています。以前、西小山の商店街で偶然会った友人(コンビニ店主の息子)に再開発のことを尋ねたところ、「しっ」と人差し指を立てられた後、小声で、「うちの店は(ビルに)入れるけど、同級生の○○んち(個人商店)なんかは入れないらしい」と言われました。
巨大な計画が、住民の絆をも分断しかけています。
利益を得るのは……?
再開発において、地権者は持っている土地や建物と再開発のビル床の権利とを交換します。しかし零細な地権者であればマンション1フロア分の床面積も得られない場合が少なくありません。
しかもマンションでは維持管理費や修繕積立金といった今までなかった固定費が重くのしかかってきます。このため、実際には大半の住民が床の権利を放棄して、その分を補償金としてもらって転出する道を選びます。
立石では、実際には住んでいない大地主などを中心とした再開発賛成の地権者と、地元住民を中心とした反対派の地権者とで賛否が分かれています。また、商店街のお店には当然反対の声が多いですが、そのほとんどが借家であり、店主らは再開発の同意対象に含まれていません。
再開発の実施主体は地権者による再開発組合(現在はまだ準備組合)ですが、組合の実務を担っているのは開発業者から出向してきた職員たちです。
再開発ではビル床の売却益と国や自治体からの補助金によって、工事費などを賄います。立石の場合、補助金に加えて葛飾区が北口地区の再開発ビルの1棟をほぼ丸々買い上げることになっています。
よって、北口地区の総事業費914億円の内630億円が税金。南口の2地区と合わせた全体でも、総事業費約2000億円の半分以上が税金によって賄われると見られています。
この再開発の仕組みで最も得をするのが、デベロッパーと呼ばれ、ビル床の売却を一手に担う大手不動産会社です。普通ならマンションを建てるには土地もお金も自前で用意しなければなりませんが、再開発では土地は地権者が用意してくれるうえ、工事費も半分くらいは税金から出るのですから。また、巨額の税金をつぎ込む自治体にとっても、「主体はあくまで地権者」なので、公共事業として責任を負う必要もありません。
市民が納めた税金を使って、地元と無関係な巨大企業を潤し、街という「公共空間」を潰し住民を追い出してビルに変える。これが再開発の本質です。
「公共」の価値を解体して資本化する行為は、農林漁業や水道などの分野でも行われており、多くの反対の声が上がっています。一方、再開発で昔ながらの風景が失われることは、「時代の流れ」と半ばあきらめの感情を持って受け止められがちです。私も初めは、個人的に直面した社会問題にすぎないと考えていました。
しかし再開発について学び、また実際に現場で活動している中で見えてきたことは、これもまた日本における社会の在り方を問う、重大な問題の一つであるということだったのです。
再開発に代わる街づくりを
再開発計画がある多くの地域で、再開発の表向きの理由は『防災』です。
立石でもそれは同じで、『安全・安心に住み続けられる街づくり』が目標に掲げられています。しかし、住民の大半が事実上追い出されるという時点で、この目標は破綻しています。
立石の防災上の危険性は、誇大宣伝されている部分もあるとはいえ、事実です。しかし、それが街を更地にして超高層ビルを4棟も建てる理由にはなりません。そもそも、このように歴史的・文化的価値の高い街をどのように残していくかに知恵を絞るのが、行政の役割ではないのでしょうか。
実際に私が勉強している中でも、工夫して、再開発によらずに街の防災化を果たしている自治体の例も多く見つかりました。1000億円ものお金があれば、今の技術で実現できないことなどそうはないはずです。
住民主体で、立石の良さを生かした街づくりを、手探りで進めようとしている人々もいます。
「下町カフェあみちえ」店主の石川寛子さんも、そうした中の一人です。
石川さんは、地域のつながりの場をつくろうと6年余り前に駅から少し離れた住宅地に店出ししました。再開発計画に対しても石川さん自身は「とんでもない」との感想を抱く一方で、賛成・反対を越えてみんなで話しあう場をつくろうと活動してきました。
地元商店の協賛を募って「立石散歩」というミニコミ誌を発行したり、「呑んべ横丁祭り」と題して丸一日かけ、スナック街を舞台に立石絵画展や写真展、シンポジウム、カラオケ大会などを行いました。
そんな石川さんが現在精力を傾けているのが、「まちづくり協議会」です。区の条例により、区民は「まちづくり協議会」を作り登録することで、そこで話し合った地域の将来像実現に向けて区から支援を受けることができます。
区内にはすでに複数のまちづくり協議会があるものの、いずれも区長が掲げる「区民との協働」の実績作りのために、行政主導でつくられた側面が否定できません。石川さんは、そうでない本当の住民主体のまちづくり協議会をつくろうと考え、現在参加者集めに奔走しているのです。
石川さんは言います。「超高層じゃなく下町っぽさ、木造の感じがいい。おばあちゃんたちが街角でおしゃべりしているような懐かしいイメージ。そうしたものは外国人にとっても新鮮で観光資源にもなる。地域の人の色彩感覚を生かして、みんなで絵を出し合い、防災と両立させながら具体的なイメージを作っていきたい」。
まちづくり協議会でつくった計画を含め、再開発以外のあらゆる街づくりを行うためには、まず現在の再開発の都市計画決定という「網」を外さなければなりません。都市計画決定下では、街づくりどころか住民が自由に家をリフォームすることすら許されていないのです。
住民主体の動きを現実のものとしていくためにも、この記事を読まれた皆様には、ぜひ先述のネット署名にご賛同いただきたいと思います。
これからも私は、立石の街に住む一人の住民として、そして再開発問題の重大さ・根深さを知った一人の市民として、この場所で、現行計画の撤回に向け闘っていきます。
(おわり)
『かがり火』定期購読のお申し込み
まちやむらを元気にするノウハウ満載の『かがり火』が自宅に届く!「定期購読」をぜひご利用ください。『かがり火』は隔月刊の地域づくり情報誌です(書店では販売しておりません)。みなさまのご講読をお待ちしております。
年間予約購読料(年6回配本+支局長名鑑) 9,000円(送料、消費税込み)