アクロス・アメリカ【第七章・逆境の中の生命線】―「闘いは嫌いだ。でも彼らをリスペクトしている」矛盾しているとぼくは思った―

逆境の中の生命線

ニューメキシコ州サンタ・フェの透き通った空はどこまでも高かった。絹のようにさらりとした空気が薄茶色の建物で統一された清潔な街並を軽やかに包む。荒涼とした砂漠地帯の中に豊かな緑を湛えたその街で、ぼくは実にさわやかな朝を迎えていた。

複雑系科学の研究で有名になったこの街は、日本にもその名を知られているが、実際にはさほど大きくはなかった。人口六万人にも満たない街が、サンタフェ国立公園の緑の山々が途切れたところにぽつりと拓けているのみだ。乾燥した荒野を走り抜けてきたぼくにとって、まさにオアシスのような街だった。

カリフォルニア、アリゾナと砂漠地帯を抜け、続くロッキー山脈を越えてニューメキシコに入ると、アメリカ合衆国もだいぶ中程まで走ってきたことになる。既にからだのいろいろな関節が、油の切れた歯車のように動かなくなっていて、休養を兼ねて何日かホステルに滞在していた。

シャワーを浴びてひげを剃り、ドミトリーのベッドに潜り込んで、翌朝、時間を気にせず朝寝坊をする。そんなことがたまらない贅沢に思えた。なにしろ長い野宿生活では夜中に公園のスプリンクラーが回ってテントが水浸しになったり、野良犬に朝まで吠え続けられて全く眠れないこともあったのだ。

同宿した旅人との時間もとても楽しいものだった。株でひと財産築き、その金で世界を旅しているという若い日本人とパスタを茹でてメキシコ料理風に味付けしたり、哲学を勉強しているインド人留学生と夜中にタバコをふかしながら禅について語り合ったりした。

そしてそろそろサンタフェの街を出発しようかと考えていた頃、街の小さな新聞社を探すことにした。ウェブサイトに意見を寄せてくれる人があまりに少なかったため、興味を持ってくれる人を探していたのだ。

その男と出会ったのはそんな矢先だった。交差点で道を尋ねたことで知り合った。Tシャツに短パンというラフな格好で、薄いグレーのキャップを目深に被っていた。年は二十代半ばといったところだろうか。背が高くて細身で、ナイスガイ。

「新聞社?時間があるし、俺が案内してやろう」

ぼくが持っていた地図を覗き込み、任せろよというふうに彼は言った。新聞社はすぐ近くらしかった。親切に甘え、自転車を降りて彼と街を歩くことにした。

彼が荷物のたくさんついた自転車を物珍しそうに見るので、ぼくは自分の旅のことを少し話してみた。

「アメリカ横断?その自転車で?すごいな。ルート66も通ったのか?」

ぼくは合衆国の地図を見せながら、カリフォルニアからシカゴまで続くルート66を指し示し、セントルイスまではルート66を通るつもりだと言った。

「そうか、ルート66はアメリカ人の誇りだからな。ほら、オレだって!」

彼は大げさに言って、自分のTシャツの腹の辺りを指差した。シャツには今まで気づかなかった”ROUTE 66”の大きなプリントがあった。

オレも仲間だ、と彼が言って、我々は笑った。

彼が旅の話をもっと聞きたがったので、ぼくは少し得意になって、数日前のサンタフェ国立公園の山の中でのできごとを話した。夜中に冷たい雨に降られて、寝床や着るものが全部濡れてしまったこと。辛うじて山あいにぽつりとあった閉店後の雑貨屋を見つけたこと。雑貨屋の裏手のボイラーの熱で体を温めながら朝を待ったこと。そんなちょっとばかりタフな話だった。

彼はわざとシリアスな顔をして「クレイジーだ」と言ったが、ぼくの話を楽しんでくれているのがわかった。

彼だけではない。冒険精神に溢れるアメリカ人は、今までも男女を問わずたいていぼくの旅の話に興味を示してくれた。グレイト、アメイジング、クレイジー。ある人は真面目な顔をして、ある人は冗談まじりにぼくのことをそう形容した。最初は不安だらけだった旅もそんな彼らのリップサービスによって、次第に推進力を得ていった。そうした瞬間は旅の中の純粋な楽しみだと言えた。

「それで、集めた募金は何に使われるんだ?」

彼はぼくが行なっていたプロジェクトの話も聞きたがったため、ぼくは一通りの説明をした。集まった募金はセーブ・ザ・チルドレンや国境なき医師団を通じて、アフガニスタンの復興支援に使われることや、イラクで活動する団体を探したが見つからなかったことも話した。当時、報道の中心はイラク戦争の是非にあったが、民間団体が活動できるほど安定した情勢にないことが一因だと言えた。

また募金の使途についても話した。当時、アフガニスタンには一千万個ともいわれる地雷が埋まっていて、募金の一部はそれらを取り除くのに使われることになっていた。その中には小さな子供たちが地雷のある危険地帯に入らないように呼びかけるための紙芝居の制作費用なども含まれたていた。地雷のほとんどはアメリカが埋めたのではなく、旧ソ連軍や内戦下のタリバンが埋めたものだとされていたが、復興支援の中にはそうした活動も含まれるはずだった。

「そうか。すごい活動だな」

と彼は言ったが、実感がわかないのか、その返事は上の空に聞こえた。実際、アフガニスタンのことなど説明している自分でさえ行ったこともない国の出来事だった。むしろアフガニスタンだけでなく、イラク戦争を含めてすべてが現実離れしている気がして、話しながら白々しい気持ちになることもあった。

戦争について問いかけておきながら人の死に無関心でいられるという事実。それは言い換えれば命というものに対するリアリティの欠如を示していた。後になってぼくはこの欠落をめぐって、人生の舵を大きく切らざるを得なくなるが、このときはまだそうした矛盾に近い事実を心の奥底で微かに感じているに過ぎなかった。

ぼくはいつも配っていたA4サイズのフライヤーを取り出して、この街でどこか貼れそうな場所はないかと尋ねた。

「どれ。『戦争は何故なくならないのか?』これ、配ってるのか。面白そうだな。どんどん貼ろう」彼が意外にも身を乗り出してきたことが嬉しかった。

「そうだ図書館がいい。新聞社に行く途中にあるからそこにも寄ろう」

そして街の中心にある図書館まで来ると、彼はプロジェクトのフライヤーを数枚持っていって、掲示板に無断で貼り始めた。

「ほら、これでいいだろ?」

ぼくは勝手に貼ってしまっていいのかと少し心配になったが、彼はむしろ得意げにいたずらっぽい笑みを浮かべていた。何も知らない街で頼れる人間に出会えた気がして、ぼくは嬉しかった。けれども、会話が旅の途中の宿の話になったとき、その人懐っこい笑みが消えることになった。

「これまでどんなところに泊まってたんだ?」と聞いてきたのは彼の方だった。ぼくはテントに泊まりながら、数日おきに疲れた時にモーテルに泊まるのだと答えた。すると彼は答えた。

「ふーん、そうか。今日の宿、まだ決まってないなら俺のいるシェルターに来なよ」

「シェルター??」と、ぼくは聞き返した。

「家のない奴らが一時的に住む場所だ。寝床と食べ物は一応ある。よかったら来ないか?」

今なんて言った?家がないって、どういうこと?

そう思ったが、聞き返すことができなかった。けれど、彼ははっきりと言った。彼はホームレスだったのだ。動揺を隠せなかった。

真っ先に頭に浮かんだのは、アメリカにやってきて最初に出会った人形男のことだった。ハイウェイの脇の草むらで人形と眠っていた長髪の男。ぼくはあの夜、頼れると思っていた男が急に得体の知れない人間に見えて、逃げ出すように海岸まで走ったことを思い出した。そして目の前の若いホームレス。彼もそんな不気味さを抱えているのだろうか。

後で知ったのだが、彼の言っていたシェルターというのはキリスト教の博愛精神に基づいた立派な福祉施設だ。清潔なベッドとシャワー、朝夕の食事がついてくる。毎朝の聖書の朗読や職業の斡旋などもしている。苦境にある人々が精神的、経済的な自立を目指して一時的に避難する場所だった。

そんなことも知らずに、ぼくは勝手なシェルターの想像をした。段ボールや木材で組み立てられ、半ば雨ざらしになった廃屋。そこに不衛生な人々が身を寄せ合って眠っている。そんなイメージだった。

「今日はどこか別の宿を探すことにするよ」

ぼくが遠回しに断ると、彼の表情が一瞬陰った気がした。まずいことを言ったかなと思った。そして同時に、ロサンゼルスで出会ったあの人形男にも全く同じことを言っていたことを思い出した。ぼくはまた、この男からも逃げるのだろうか。そんな考えがチラリとよぎった。けれども彼はすぐまた明るい調子に戻った。

「あそこの銀行ではコーヒーとクッキーがタダで貰えるんだ。君の分も持ってくるから待っていろよ」

男はキャップを目深に被り直し、少しうつむいて銀行に入っていった。

「食べてくれ」

しばらくして出てきた彼は、ブラックコーヒーと、紙ナプキンに包んだ二枚のチョコチップクッキーを持っていた。

「君は食べないの?」

「俺はさっき食べたんだ」と彼は言った。なんとなく嘘のように思えた。強がっているようだった。でも本当のことなど聞けない。ホームレスの食生活を問いただすことは、何かの禁に触れる気がしたからだ。

いずれにしても、彼は目の前の食べ物をすべてぼくにくれようとしていた。ぼくは何も考えていないふりをしてクッキーをほおばりながら、彼がなぜぼくにいろいろとしてくれるのかと想いをめぐらせていた。

クッキーを食べ終わらないうちに、別の年老いたホームレスがやってきた。彼は若いホームレスと違って、汚れて何日も洗っていないシャツを着て、ひげも何十センチも伸び放題になっている。白人だが浅黒い肌をしていて、見るからにホームレスとわかる風貌だった。その男がぼくに近寄ってくるなり、半分ろれつのまわらない口調で話しかけてきた。

「どこから来たんだぁ?」

戸惑うぼくを見て、若い男は早口で何か言ったあと彼を制し、あっちへ行けよ、という風に追い払ってしまった。ぼくに対する優しくて人懐っこい態度と違い、厳しくて冷たかった。ぼくはその落差に驚いた。

彼は所在なさそうにチラリとぼくの方を見る。ホームレスの知り合いがいるということを、ぼくに知られたくなかったのかも知れない。

「今日も仕事がない。オレにもあいつにもだ。最悪だよ、この街は」

初めて見せる苛立ちだった。

どんな仕事なのかと、ぼくはおそるおそる聞いてみた。

「朝、トラックの後ろに並ぶんだ。それで荷台に何人か乗って、仕事に出かける。建設現場とか工場とかそんな場所だ。それでいくらかにはなる。でも毎日あるわけじゃない。これからどうなるのかわからないんだ」

ため息をつくようだった。ぼくは次の言葉を見つけられないでいた。彼はなぜホームレスをしているのだろうか。彼は仕事を探しながら、これからどうしていくのだろうか。気になったがこれ以上入っていけない気がした。

再び彼と歩き始めたが、なんとなくぎこちない空気がぼくらを包んだ。持て余した沈黙を埋めようと、ぼくがマールボロを一本勧めた。そして話題を変えるつもりで、みんなにインタビューしてるんだと言ってイラク戦争についてどう思うか聞いてみた。彼は火をつけながら少し考えた。

「賛成か反対かはよくわからないんだ」

白い煙を吐きながら言う。おや、と思った。イラク戦争に疑問があるからぼくと一緒にフライヤーを撒いたり、図書館に行ってくれたのではないのか。

「でも、オレと同じ年の若い奴らが、外国に行って闘っているんだ。それはすごいことだ。オレはそれをリスペクトしなければいけないと思う」

リスペクト、と彼は言った。横顔をチラリと覗くと真剣な表情だった。

「軍隊に入りたいと思う?」ぼくは聞いてみた。

「ノー。それはできない。闘いは嫌いだ。でも彼らをリスペクトしている」

矛盾している、とぼくは思った。けれども、それをどう言葉にしていいかわからないでいた。すると彼が付け加えた。

「彼らはアメリカを守っている。オレは自分さえ守れてないんだ。彼らは責任を果たしているんだ」

苛立ちの底に謙虚さが見えた気がした。同時に彼という人間が少しだけわかった気がした。たぶん彼が戦争を考える時、その善悪に焦点があるのではない。そこにいる人間の使命感や責任の重さに焦点があるのだ。

一方でぼくは彼に限らず、アメリカに広く浸透した「最前線の兵士たちはヒーローである」という意見に疑問を持っていた。兵士たちが責任を果たしていることに変わりはないが、独特のヒロイズムが戦争の悲劇的な側面を覆い隠し、美化してしまうことがあるからだ。

けれども、彼を前にして、ぼくはそれを言うことができなかった。逆境にある彼にとってリスペクトできる誰かの存在は、辛うじて前向きに生きていく生命線である気がした。ぼくはそれを壊したくはなかった。

やがてサンタ・フェの街の中心の賑やかな広場に着いた。太った女がシシケバブとレモネードを売り、カップルが芝生に寝そべって仲睦まじそうにささやき合っている。

広場のはす向かいに小さな新聞社を見つけると、彼は扉を開け、中にいた若い受付嬢に向かって言った。

「この男は日本から来て、今アメリカを自転車で横断しているところなんだ。戦争に関するインタビューをしながらね。是非彼の活動を記事に書いてあげてくれ」

受付嬢ははじめ少し驚いた様子だったが、ぼくがフライヤーを片手にプロジェクトの説明を始めると、案外好意的な表情を見せた。

「ディレクターに話をつけてくるので、少し待っていてくれるかしら」

そう言って微笑むと、彼女はビルの奥へ消えていった。ぼくは少し緊張した。

「記事になったらお前はヒーローだよ」

ロビーで彼女の返事を待っている間、彼はそんな風にぼくの緊張をほぐしてくれた。彼に穏やかさが戻ったのが嬉しかった。ぼくは取材が終わったら彼と何かもう少し話したいと思っていた。

しかし受付嬢が戻ってぼくを中へ案内すると、ホームレスはぼくの方へ向き直った。

「オレが手伝えるのはここまでだから。きっとうまくいくよ」

ぼくは少し戸惑った。彼と別れが惜しいと思った。けれども彼は強引に手を握ってくる。

「グッドラック」

彼はそう言い残してビルを出た。その姿が人ごみに消えるのをぼんやりと眺めていたが、やがて受付嬢に促されてオフィスの奥へ進んだ。

ディレクターはぼくに通り一遍の取材をした。どこから来たのか、何キロ走るのか、募金はどこに寄付するのか。そんなことを大して興味もない、という風な表情で矢継ぎ早に聞いてきた。質問する間彼はにこりともしなかった。そして最後にこう言った。

「新聞のスペースに空きが少ないから、記事になるかはわからない」

これはだめかな、と思いながら、取材を終えてビルを出た。

サンタフェの街は変わらず賑わっていた。雑踏の中、立ち上るシシケバブのにおい。ぼくは今しがた受けた取材よりも、別れたホームレスが気になっていた。まだ近くを歩いているかも知れないと思い、通りに目をやったが、彼の姿はなかった。

ぼくは広場のベンチに座り、残っていた最後のマルボロに火をつけてぼんやりと景色を眺め、彼のことを思い返した。

考えてみると、半日の間に彼が見せた甲斐甲斐しさの裏には、何か必死さのようなものがあった。それはホームレスという困難な状況に対して自暴自棄にならず、他者を大切にすることで、いつかまた社会に復帰したいという必死さだった気がする。

そしてぼくはシェルターの誘いを断ることで、その必死さを振り切ってしまった気がしていた。彼はそのことをどう思っただろうか。二度と彼に会えないと思うとそれがなおさら心にしこりとなって残った。

(つづく)

<目次>

【プロローグ】―なぜ戦争はなくならないのか―
【第一章・洗礼】―翌朝目が覚めると、さらに厳しい現実があった―
【第二章・ユダヤの眼差し】―「ユダヤもアラブもない。問題は人間のさがにある」―
【第三章・海辺の墓標】―怒りを訴えたいのか、悲しみを訴えたいのか―
【第四章・救命者の矛盾】―「自由を守るという物語に流されていったのよ」―
【第五章・渇きの果てに】―それらはあたかも暗い宇宙につつましく瞬く生命の輝きのようでさえあった―
【第六章・荒野の漂流者】―「日本でまた会おう」彼の言葉だけが耳の奥でリフレインしていた―
【第七章・逆境の中の生命線】―「闘いは嫌いだ。でも彼らをリスペクトしている」矛盾しているとぼくは思った―
【第八章・自由とは何か】―「自由万歳」を置き換えてみるとわりとよくわかる―
【第九章・オクラホマの風の中で】―彼女はこの場所でぼくと同じ歳で亡くなった―
【第十章・地図の上の1セントコイン】―それは戦争の是非を問うことと同じくらい大切なことに思えた―
【第十一章・ある記憶との闘い】―私は弱さを持った人間を探していた。どこかに自分と同じような人を探していたのよ―
【第十二章・シェルター】―ぼくは「彼ら」から逃げない人間になりたい―
【第十三章・マイノリティの居場所】―“There is no way to Peace,Peace is the way.A.J.Muste”―
【第十四章(最終章)・無限のざわめきの中へ】―その豊かさは残された救いのようでさえあった―

【著者プロフィール】
矢田 海里(やだ かいり) ライター・フォトグラファー。1980年、千葉県生まれ。慶応義塾大学総合政策学部卒。在学中、イラク戦争下のアメリカ合衆国を自転車横断しながら戦争の是非を問うプロジェクト“Across-America”を行い、この体験を文章にまとめたアクロス・アメリカを執筆。フィリピンのマニラのストリートに潜入し、子どもたちや娼婦たちの暮らしを見つめ、ルポルタージュを執筆中。東日本大震災発災直後に現地入り、ボランティアの傍ら現地の声を拾い始める。以降現地に居を構えながら取材を続ける。放送批評雑誌『GALAC』に「東北再生と放送メディア」を連載。冒険家やアスリートを紹介するサイト「ド級!」でエクストリーマーの一人に選ばれる。「不確かさと晴れやかさのあいだ」をテーマに人間の内面を描き続けている。

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