兵庫県篠山市今田町にある、美しい自然に抱かれた窯元「大雅工房」。その丹波焼の里で、焼き物づくりに日々いそしんでいるのが、今回登場していただく土師夕貴子さんです。
土師さんは、杉原が14年前、まだ広告会社に勤めていたころからの友人。あるおもちゃのテレビCM撮影現場で、人形アニメーターのアシスタントとして参加していたのが彼女でした。当時はまさか、土師さんが陶芸作家になるとは夢にも思いませんでした。
しかし「土師」と言えば、「土師器」の名で知られるように、古代より焼き物づくりを生業としてきた一族。その末裔である(かもしれない)彼女を、ご先祖さまが陶芸の道へと導いた……のかもしれません。
今回はそんな「神話の時代」の物語にまでさかのぼりながら、土師さんが陶芸作家になるまでの不思議な道のりについて、大阪で話を伺ってきました。
【プロフィール】
土師夕貴子(はぜ ゆきこ) 1980年大阪生まれ。京都芸術短期大学造形芸術学部映像コースを卒業後、東京の専門学校へ。そこでの卒業制作が認められ、立体アニメーションの仕事に携わる。その後は平面デザインへ活躍の場を移し、東日本大震災を機にUターン。「何か捏ねたい」という衝動から陶芸作家を志す。京都府立陶工高等技術専門校成形科を修了し、2013年より陶芸作家・市野雅彦氏(大雅工房当主)に師事。現在大雅工房の日用食器は弟子たちで制作している。販売店舗など詳細は、大雅工房ホームページまで。http://taigakobo.com
杉原 学(すぎはら まなぶ) 1977年大阪生まれ。四天王寺国際仏教大学(現四天王寺大学)中退。立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科博士前期課程修了、後期課程中退。社会デザイン学修士。哲学専攻。研究テーマは「人間と時間との関係」。現在は執筆、研究、歌手活動などを行っている。単著に杉原白秋著『考えない論』(アルマット)、共著に内山節編著『半市場経済』(第三章執筆、角川新書)など。楽曲はYouTubeで公開中(杉原白秋で検索)。世界で最も非生産的な会議「高等遊民会議」世話人。社会デザイン学会、日本時間学会会員。
自然豊かな篠山の暮らし
杉原 篠山の大雅工房に遊びに行ったのは、3年ほど前か。あそこはほんま田舎やなあ。
土師 そうやねえ。東京に住んでたことを思うと……。
杉原 東京と比べてどう? 丹波篠山の、田園風景の中での暮らしは。
土師 え、そりゃ最高ですよ(笑)。
杉原 最高(笑)。
土師 都会に行きたくて東京に行ったわけじゃないから。ただ東京は東京で便利やし。遅くまで仕事も遊びもできるから、20代の私にはすごい住み良い街やったけど。……まあ必要なくなったから。
杉原 篠山は何が特に最高?
土師 季節の移ろいを肌で感じられるのが。あと、空が高い、広い。星がきれい。
杉原 いいよな。東京におると、そういう感覚が身近じゃなくなっていくから。
土師 うん。……私、子どものころから虫嫌いで、出たら「ウギャ!」って感じやってんけど、篠山に住んでから、むしろ好きになって(笑)。何か、目の向け方が違うっていうか。都会に住んでる時は、自分のアパートの中に異質なものが出てくるから「気持ち悪い」って思うねんけど、今は逆に、その自然の中に、虫たちが住んでるところに、私が一緒に住ませてもらってる感じがしてて(笑)。だから違和感がないし、すごく愛らしく見える。
杉原 すごいな、それ。革命やな。
土師 まあゴキブリは無理やけどな(笑)。あと、田舎は誘惑がないからね。大阪に出てお店見たら「あれ欲しい」とか思うけど、それってほとんど必要ないねん、生きていくのに。田舎はそういうのに出会わへんから、まあ、やるべきことだけやるっていう。
杉原 ちょっと悟りに近づいてるやん(笑)。
土師 ははは。
立体アニメーション作家を目指して
杉原 土師さんは実家が大阪で、大学から京都か。
土師 そう。映画が好きやったから、京都芸術短期大学の映像コースに。とにかく映像を学べば、好きなことにはたどり着けそうな気がして。
杉原 短大の2年間はどうやった?
土師 ……もう私は、短大行って打ちのめされたから。それまでは、自分は普通よりちょっと芸術寄りの人間やと思ってたけど、短大に入ったらすごい個性的な、才能ある人たちがいて。私がいかに普通であるかっていうのを、その時思い知ってん。
杉原 俺から見たら決して「普通」ではないけど(笑)。
土師 まあ当時は、自分の「普通」っていうのを、自分の個性やと思えなかったから。打ちのめされて、自分が何していいか分からん感じになってた。ただ、立体アニメーション(人形や粘土〔クレイ〕を使ったコマ撮りアニメーション)が好きっていうのだけは強かったから、東京の専門学校を見つけて入学してん。説明会に行ったら、ある有名な作家さんが指導してくれるっていう話で。……まあ、だまされてんけど(笑)。
杉原 え、うそやったん?
土師 全くのうそやってん。
杉原 そんなことあんの?
土師 あるねんなあ。「東京に行かせてください」って両親を口説き落として行ったのに、入ってみたら、いろいろ「聞いてた話と違うなあ」って。私はクレイアニメーター専攻やったけど、クレイ専門の授業はナシ。説明会で言ってた作家の指導もなくて。
杉原 せっかく見つけて行ったのに……。
土師 同じ専攻の三人で「どうしよっか」って。私は短大で自主制作の経験があったけど、二人は全くの初心者。「とりあえず作るか」ってなって、私が教えて……。
杉原 習いに行ったのに、教えることになったんや。
土師 そう(笑)。それで、その二人がすごく「面白い!」ってなって。他の学科では「聞いてたのとちゃう」って辞めていく子もいたけど、まあ全てが無駄じゃないし、吸収できるものは全部吸収して、「見返してやる」ぐらいのつもりで、卒業制作に取り組んで。就職活動もせずに「ひたすら作る」っていうのをやったんよな。ほんでその卒業制作で大賞を取って。
杉原 すごいな!
土師 それを見た映像制作会社のプロデューサーから声がかかって。みんながあこがれる就職先の一つやったけど、社員になれたわけじゃなくて、ひとまず外部の制作スタッフとして育ててもらってた感じ。そこまでは良かったんやけど、2年ほどたったころに「CGの勉強しなさい」って言われて。「こんなチャンスないよ」って言われたんやけど、私はそもそもCGは嫌いで(笑)。アナログの世界が好きやったから。
杉原 なるほどな。それがやりたかったわけじゃない。
土師 そうそう。まあやってはみたけど、何のためにここにいるのかが分からなくなって。「お世話になったのに申し訳ない」っていう気持ちはあったけど、モチベーションも下がってたから……。その時が一番苦しかったなー。卒業制作の時に「私たちこれでいける!」と思ってた自信が全部なくなってたから(笑)。「じゃあ二番目に好きなことをしよう」と思って、写真屋さんでアルバイトを始めて。大学の時から趣味で写真やってたから。
杉原 何か楽しそうにやってたよな。店長にまでなって。写真と言えば、土師さんは当時から「モノの中にいのちを見いだす」みたいな感性あったよな。普通は見過ごすようなモノを「あ、かわいい」って写真に撮ると、ほんまに生きてるみたいに写ってて。その感性って、陶芸とかにも生きてるよな。
土師 そうやな。でもそうやって杉原さんとかが言ってくれたから、「そっか、これは私の個性なんや。大事にしていい感性なんやな」って気付いたんやけど。
震災を機に陶芸の道へ
土師 その後、デザイン会社に就職して4年ほどたったころに、あの東日本大震災やからな。
杉原 そうやな。原発事故があったから「とにかく家族と一緒にいよう」と思って、俺は大阪の実家に帰ったけど。ああいう時の選択って、正解は分かれへんから……。
土師 確か、杉原さんが「とりあえず関西帰るけど、どうすんの?」って。私はそこまでの事態と思ってなかったから、すごい動揺したし、ショックやったけど……。まさか大阪に帰るとは思ってなかった、自分でも。ほんとに「これからどうやって生きていこう」って思ったもんね。
杉原 まあ俺が半ば脅してんけど(笑)。土師さんは会社があったからなー。
土師 泣きながら新幹線に飛び乗ったわ……(笑)。ほんで気持ちがある程度回復してきてから、熊本を旅したんやわ。そこで同じように一人旅してる人たちと出会って、ちょっと癒やされたり、刺激を受ける部分があって。人生を自由に、すごく楽しんで生きてる人たちやったから。ほんで私も、自分の人生に対してちょっと前向きな気持ちになってきて。何かこう、心がようやく空っぽになった感じで。そこにふっと浮かんだのが、「なんか捏(こ)ねたいな」っていう……(笑)。
杉原 すごいな。それが「土師氏」の血なんかな。
土師 そうなんかなー。何か全然理屈とかじゃないねん。ほんまに、「なんか捏ねたい」っていう……。説明でけへんもん、これ以上(笑)。
杉原 恐るべき先祖のDNAやな。
土師 これ言う時いつも恥ずかしいんやけど(笑)。「何で陶芸始めたん?」って言われた時に、「何か捏ねたいな、と思って……」って。めっちゃアホみたいじゃない?
杉原 確かに。
土師 それで、旅から帰って職探しを始めるんやけど、「なんか捏ねたい」わけやから、まあ陶芸か、パン生地を捏ねるかやってん(笑)。
杉原 土か、パン生地か。
土師 パン好きやし。
杉原 パンおいしいよな。
土師 で、どっちもまず学校探したんやけど、パンで一流になるにはお金かかるぞと。陶芸のほうは、職業訓練校があったと。東京で杉原さんが、職業訓練校めっちゃ多用してたやんか(笑)。
杉原 めっちゃ活用してた(笑)。
土師 その話を聞いてなかったら思い浮かばんかったと思うねんけど。「お金もらいながら勉強できて、しかも就職できるって最高やん」っていう(笑)。
杉原 素晴らしい制度ですね。
土師 「ないんかな?」って探したら京都にあって。
杉原 で、土を捏ねることになったんや。
土師 そうそう。「よっしゃ、捏ねれるー!」と。
杉原 訓練校では「コレやな」っていう感じはあったん?
土師 あったなー。訓練校に入る前に友達とかに報告してんけど、普通は「大丈夫なん?」ってなりそうやん。30歳超えて、またゼロから始めるし、食べていけるかどうかも危うい仕事っていう(笑)。けど、私の周りにいる人たちは「ピッタリやん!」とか「それ面白いな!」って応援してくれる人がほとんどやったから。何も始めてないのに、すごい強い気持ちがあって。「後はもうやるだけやな!」っていう。だから訓練はすごい楽しかった。
杉原 行くべくして行った感じやなあ。……ご先祖さまは、埴輪とか土師器を朝廷に献上してたんやろ?
土師 家系図があるわけじゃないけど、おじいちゃんも言ってた(笑)。昔は王とかが死んだら家来も一緒に生き埋めにされたんやけど、「代わりに埴輪を作って埋めたらええやん」って提案したのが野見宿禰(のみのすくね)っていう人で、土師氏はその子孫って言われてる。
杉原 めっちゃ人救ってるやん。それってもともと『日本書紀』のエピソードで、手塚治虫の『火の鳥』でも描かれてるよな。……確かに言われてみれば、土師さんの「モノの中にいのちを見いだす」感性って、「人の代わりに埴輪を」っていう野見宿禰の発想とつながってるな。そしてその血が「捏ねよ」と。
土師 もちろん証拠はないけど(笑)、自分でそう解釈することで、より一層ブレへんっていうか。「これでええんや」っていう気持ちになれたけど。
杉原 すごいな、その縦軸のつながり。俺も欲しい、そういうの。
土師 知らんがな。杉の原っぱで生まれたんやろ?
杉原 それ何したらいいねん(笑)。しかし、ご先祖さまたちも「捏ねる」ことで生きてきたわけやろ? 何かあるんやろな、「捏ねてりゃいいんや」っていうDNAがさ。クレイアニメも粘土やし。
土師 ははは。そうやな。
丹波篠山の大雅工房へ
杉原 訓練校を卒業して、またいい窯元に弟子入りしたなあ。
土師 そうやなあ。もともと「どこでやりたい」とか「何焼が好き」とか、そういうの一切なくて。焼き物が好きで始めたわけじゃなくて、捏ねたくて始めたわけやから(笑)。
杉原 ははは。俺はそのほうが職人として純粋な気がするけど。
土師 たまたま来た求人が「なんか良さそうやな」と思って、初めて見学に行った先が大雅工房で。「あ、これや。ここやわ」って(笑)。
杉原 一瞬で分かったんや。
土師 抜群に環境が良かったし、先生の作品がすごい……かわいかったから(笑)。感覚が同じ、っていうとおこがましいけど、作品が全部愛らしくて。例えば他の作家さんが作った花器があって、それがどんなに味のある作品でも〝花器〟やねんけど、先生のは本当に、何て言うか……「生きてる」ねん。
杉原 丹波を代表する陶芸作家、市野雅彦さん。前に少しお話させてもらったけど、素朴な雰囲気やのに、作品はめっちゃ大胆で。ほんま、いい師に出会えたよなあ。……その市野さんのもとで、普段はどんな感じでやってるの?
土師 日中は弟子としての仕事をこなしつつ、夜は自分の作品づくり。今は弟子用のシェアハウスに住んでて、そこにも独立準備のための工房があるから、大雅工房と行ったり来たりしてる。あとは大阪の福祉施設で陶芸教室の先生をやったり……。弟子入りしてもうすぐ5年になるかな。
どっちにワクワクするか
杉原 紆余曲折を経て陶芸にたどり着いたわけやけど、「コレ」っていうのが見つからん人に言ってあげたいこととかある?
土師 うーん……。例えば、年下の子が今後のことで悩んでて、話を聞いてあげるやんか。その時いつも思うのが、「いいやん別に。何でもやってみたらええやん」って。「どうしよう……」って悩むけど、「やりたいこと全部やったらええやん」って思ってしまう(笑)。何度でも失敗できるし。
杉原 「悩んでるヒマがあったら、やってしまったら?」っていう。
土師 そんな偉そうに何も言われへんけど。私もコロコロ変わってるわけやん、やってきたことも、その時に目指してきたものも……。その時に「コレや!」って思ったことを、信じて、やれるだけやったら、いいんちゃう?(笑)。杉原さんも言ってたけど、「こうしたほうが後々ええかな」とか頭で計算して考えるとさ、「結局私、何がしたいんやっけ?」ってなるやんか。そうじゃなくて、もう真っさらにして「どっちにワクワクするか」とか。
杉原 それ大事やなー。
土師 面白いなって思うことをやってれば、自然と転がっていくんやろな。それがくだらないことでも……いいよな(笑)。
杉原 別に生きてること自体だってさ、そんな深刻なことじゃないかもしらんもんな。「生きてるだけで丸もうけ」っていうけど。……俺、移動時間が好きでさ。新幹線も「こだま」でゆっくり行くの好きやし。移動中に作業してる時とかってさ、なんかお得感あるやんか(笑)。
土師 はいはい。有効活用してる感じする(笑)。
杉原 それって「移動してる」っていうだけでもう十分やってるのに、「プラスアルファでこんなこともやってる!」みたいなのがあるわけやんか。実は生きてることも、同じように考えていいんじゃないかと思って。つまり、生きてることそのものが、「生まれてから死ぬまでの移動時間」なんやと。
土師 お〜。
杉原 ほんならもう「生きてる」っていうそれだけで十分やってるわけやん。「移動時間」なわけで。ほんでプラスアルファで何かやってるわけやんか。それこそ「生きてるだけで丸もうけ」なわけやん。
土師 そう考えるとすごい肯定できるな(笑)。
杉原 ほんなら気が楽やし、どうせやるんやったら、土師さんの言うように面白いと思うことをやればいいわけでさ。別にやらんでもいいし。……っていうのを、大阪に来る「こだま」の中で思い付いた(笑)。
土師 なるほどね。
もうしばらく本物のそばに
杉原 今後はどんな感じでいくの?
土師 独立も考えたけど、もう1年弟子をやらせてもらうことにした。先生は丹波焼の中でもトップの人やし、常に新しい時代を見てる人やから、そばにいるのが面白くて。先生も「ええもん作れるようになってきたし、もうちょっと見てやりたい」って言ってくれて。
杉原 ありがたいなあ。本物のそばにいることって大事やと思うし。
土師 うん。正直まだ自分の工房をつくるイメージもできてなくて。もうしばらくは今の工房を借りて、自分の作品をつくっていくつもり。
杉原 楽しみやなあ。巨匠になっても俺には安く売ってな。
土師 埴輪でよければな(笑)。
(おわり)
※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』179号(2018年2月25日発行)の内容に、若干の修正を加えたものです。
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