【そんな生き方あったんや!】第19回「まちになじむ米屋をやりたい」米屋見習い・塔嶌麦太さん

今回ご登場いただくのは、米屋の開店を目指して修行中の塔嶌麦太さんです。

実は塔嶌さん、10代のころから社会運動に取り組んでいる、知る人ぞ知る人物。安保法案の成立阻止を訴えた朝日新聞への投書は、その内容があまりに成熟していたため、当時19歳だったにもかかわらず「60代が書いている!」とネット上で騒がれました。

また、葛飾区立石の再開発反対運動では「のんべえの聖地を守る会」を立ち上げて署名活動を実施。今年の6月には「かがり火WEB」にも寄稿していただきました(「“公共”を守りたい。~下町再開発に抗して・葛飾区立石~」)

「お米屋さん」と「社会運動」。この全く無関係に見える二つのものが、塔嶌さんの中では「商店街」を通して不可分に結び付いています。その若い感性が見据える未来に、僕は明るい希望を感じたのでした。

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』196号(2020年12月25日発行)掲載の内容に、若干の修正を加えたものです。

【プロフィール】

塔嶌 麦太(とうじま むぎた) 1995年生まれ。明治学院高校卒。古き良き商店街が残る東急目蒲線(現・目黒線)西小山駅近くに生まれ育つ。実家は、親の月収10万円台で一家4人を養うほどの貧乏家庭。中学卒業間際に東日本大震災を経験し、高校進学後は脱原発など社会運動を始める。その後米屋を志し、大学進学をやめ、母の実家がある葛飾区で開業資金をためるためにひたすらアルバイト。現在は念願の米屋での修行兼アルバイト中。一方、地元の立石駅周辺の再開発反対運動にも携わり、「のんべえの聖地を守る会」ホームページを運営。

杉原 学(すぎはら まなぶ) 1977年、大阪府生まれ。文筆家。専門は時間哲学。四天王寺国際仏教大学中退後、インド放浪、広告会社のコピーライター/CMプランナーを経て、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程修了、博士課程中退。現在は「自分の時間とは何か」について研究中。単著に『考えない論』(アルマット/幻冬舎)、共著に内山節編著『半市場経済』(第三章「存在感のある時間を求めて」執筆、角川新書)など。世界で最も非生産的な会議「高等遊民会議」世話人。日本時間学会会員。かがり火WEB共同主宰。

お米と商店街が好き

杉原 どうしてお米屋さんをやりたいと思ったんですか?

塔嶌 今から思うといろいろ理由はあるんですけど……。目黒区にある西小山の商店街を見て育ってきたから、もともと商店街に愛着があって。商店街っていうのは、その地域の中で経済が回っていく拠点として、すごく大事だなと思っていて。自分もその中で個人商店をやりたいなと。あと、一次産業と関わっていたいっていうのと、やっぱり「ご飯おいしいな、好きだな」っていう(笑)。

杉原 ご飯はうまい。

塔嶌 直接的には、米屋さんでお米を買っていた時に、ちょっと糠の匂いが漂って、ゆったりと時間が流れている感じがあったんで。そこは家族経営で、そういう雰囲気が気に入ったのもあって。「米屋、いいかもな」と思った瞬間はありました。ただまあ、実際やってみると全然そんなゆったりはしてないですけど(笑)。

杉原 その生まれ育った西小山の商店街と、そこの米屋さんが良かったんですね。やっぱり最初に出会うものって大事ですよね。だから僕は、トマトが苦手なんですけど……。

塔嶌 最初に出会ったトマトが悪かったと(笑)。

杉原 多分(笑)。じゃあそこで米屋をやりたいと思って、今までブレずに……。

塔嶌 そうですね。高校を卒業したあたりから、そういうことを周りに言っていて。応援してくれる人が出てきたりすると、なかなかもう、路線変更しづらくなってきますけど(笑)。まあ別に路線変更しようと思ったことはないですけどね。

塔嶌さんが見て育った西小山の商店街(2014年撮影)。 

杉原 「麦太なのに米なのかよ!」とか言われるでしょ?

塔嶌 言われます。もう何度となく言われてきました(笑)。

杉原 名前の由来は何なんですか?

塔嶌 これも後付けの理由がいろいろあるんですけど。一つは、当時うちの両親は、麦が米より安かったから、いつも米に麦をまぜて、麦ごはんにして食っていたと。それで麦のお世話になっていて、麦が好きだったから、「こういう安上がりな子になれよ」っていう……(笑)。

杉原 あははは!

塔嶌 それで麦太。でもけっこう後から、「麦は踏まれても踏まれても起き上がるから、それで麦太にしたんでしょ」とか人に言われると、「あ、そうなんですよ」とか言ってたり(笑)。

杉原 後付けでね(笑)。

運良く米屋のアルバイトに

杉原 その後、家族で葛飾区へ移られたんですよね。

塔嶌 そうです。僕は最近、立石で一人暮らしを始めたんですけど。

杉原 今はどんな感じで生活されているんですか?

塔嶌 米屋で週4日働いて、それ以外の時間はお米の勉強をしたり、立石の再開発反対運動のことをいろいろやったりっていう生活です。

杉原 やっぱり自分で米屋をやるためには、かなり勉強が必要なんですか。

塔嶌 まあ米自体のこともそうだし、個人事業主になると経営も自分でやんなきゃいけないから。で、今働いている米屋の社長にも「これで良し」と言ってもらえるようにならないと……(笑)。

杉原 あ、なるほど。

塔嶌 最初、修行させてもらえる米屋を探している時に、ほんとにタダ働きでもいいと思って声を掛けたんですよ。「米屋やりたくて、働かせてほしいんです」って言いに行ったら、すごく喜んでくれて。「じゃあ教え込んでやる」っていう感じで、運良くアルバイトにしてもらえたんですけど。

塔嶌さんが働くお米の専門店「越中屋」。
30種以上の米を扱い店頭精米している。

杉原 「米屋やりたい!」っていう人、周りにいないですもんね。

塔嶌 「そんなこと言ってる人、初めて聞いた」とは言われますね。でも僕は、みんなが「自分は何屋さんになろう」っていうふうになればいいと思ってるんですけど。なんかね、結局みんな会社員とかになるじゃないですか(笑)。「将来肉屋さんになる」とか「八百屋さんになる」みたいな人はいない。みんなそういうものになってくれればいいのにな、と思ってるんですけど。何でならないのかなーって。

杉原 むしろね(笑)。

塔嶌 だって、この立石の商店街だって、そういう何屋さんで成り立っているのに、みんながそれになってくれなかったら、なくなっちゃうじゃん、っていう(笑)。

杉原 確かに。そうですよね。

塔嶌 で、ちっちゃい時は、けっこうそう思ってるじゃないですか。身の回りの、実際に自分が入るようなお店とかに憧れるじゃないですか。「おもちゃ屋さんになりたい」みたいな。だからそのまま、大きくなってほしいんだけど(笑)。

社会運動を始めたきっかけ

杉原 ところで塔嶌さんは、10代のころから社会運動にも取り組んでいるじゃないですか。それは何がきっかけだったんですか?

塔嶌 もともと家族がリベラルな感じだったから、なんか刷り込まれていたんだと思うんですけど。おばあちゃんが詩人で、わりとメッセージ性の強い詩を書いていて。戦争のこととか。本もけっこう出していたので、それを中学ぐらいから読んだりして、日常の中にどんな問題があるかを知り始めたんですけど。で、僕の友達のお母さんに、バリバリ活動家みたいな人がいたんですよ。なんかその人に、昔から目をつけられていて(笑)。

杉原 あははは!なんで?

塔嶌 わかんないですけど(笑)。なんか「こいつ素質あるな」と思われてたのか……。それで、中学を卒業するタイミングで東日本大震災があって、原発事故があって。正直その時は「原発って何だっけ?」くらいの感じだったんですけど。それから6月くらいになって、その友達のお母さんから「反原発デモが新宿であるんだけど、良ければ一緒に見に来ない?」って(笑)。

杉原 息子の友達をデモに誘うって、なかなかすごい……。

塔嶌 ほんで、ついていったんですよ(笑)。でも正直、なんでこんな一生懸命に原発反対とか言ってるのか、まだよくわからなかったんですけど。でもそこで「知りたいな」「勉強したい」っていうふうになって。まず原発から入りましたけど、そういう本をいろいろ読みあさったりしていると、他のいろんなことと根っこでつながっていたりもするので。今までニュースとか本で断片的に知っていたいろんな社会問題が、自分の中でつながってきて。それで原発に限らず、自分で大事だなって思ったら、デモとかも行こうっていう感じになったし。

社会運動に身を置きながら米屋の開業を目指す塔嶌さん。(撮影:井口康弘)

杉原 そういうことを知って、むしろ絶望しちゃう人もいるじゃないですか。「とはいえ、俺一人が何かやっても……」みたいな。

塔嶌 僕の周りに、けっこうマジで「革命するぞ」くらいの勢いの人がいっぱいいたんで。でも正直ね、僕はその人たちを見ていて「無理だろ」と思っていて(笑)。そりゃ頑張ってくださいとは思うけども、なんか……。デモに行った打ち上げとかで、チェーン店とかに入っていっちゃうんですよね。ダメじゃないかなこれじゃ、と思って(笑)。

杉原 あー、なるほど。

塔嶌 なんかちょっと違うな、って思っていた時に、「素人の乱」っていうリサイクルショップをやっている松本哉(はじめ)さんの本を読んだんですよ。『貧乏人の逆襲!タダで生きる方法』っていう、節約術みたいなタイトルの本なんですけど。それを読んだら「あ、これだ」っていうのがちょっとあって。その「素人の乱」っていうのは、高円寺の北中通り商店街の中で、思い思いに店をやっていて。で、昔からの商店街の人たちともうまくやりながら、そこにちょっとずつ、小さい経済圏じゃないけど、自分たちの空間を作っていて。

「あ、なんかこっちのほうが近いんじゃないかな」と思ったんですよ。足元の地域とか、商店街みたいなところで、まずは自立性を高めていくというか。そこでちゃんと経済が回るようになっていけば、いろんな問題の根源になっているグローバル企業みたいなものとかに、そこまで依存しないでやっていけるようになるんじゃないかなって思ったんですよね。

杉原 政治的な主張をダイレクトにぶつけるよりも、むしろ自分たちで……。

塔嶌 そうですね。今まで政治みたいなデカいことでしばらく考えていたけど、結局、足元の商店街とかが一番大事になってくるのかな、っていう考えに至り。もともと商店街に愛着はあったけれども、あらためてそういう方向で生きていこうと。

杉原 なるほど。そこで社会に対する問題意識と、もともと好きだった商店街が、うまいことマッチして。

塔嶌 もともと好きだったから、そういう本を読んだりした時に「あ、これだ」って思えたのかもしれないですね。

朝日新聞への投書が話題に

杉原 その一方で、塔嶌さんの朝日新聞への投書(「安保法案の阻止が私の民主主義」2015年7月18日)が、けっこう話題になったじゃないですか。「私は法案成立を止められるからデモに行くのではない。止めなければならないからデモに行く」っていう部分が印象的でしたけど。その文面が19歳にしてはあまりにも老成してるもんやから、ネットで「これは60歳が書いた文章だ!」「麦太っていう名前が怪しい!」とか騒ぐ人も出てきて(笑)。

塔嶌 そんなこともありました(笑)。

話題になった塔嶌さんの投書(朝日新聞「声」2015年7月18日)。

杉原 地域の草の根的な活動に主眼を置きながら、公への主張も同時にやってるのがすごいなと思って。

塔嶌 そうです。どっちもやってます。

杉原 そういうのって、どっちかだけになっちゃいがちだと思うんですよ。

塔嶌 そこはやっぱり「どっちも」っていうのが大事だと思ってるんです。いくら地域から世の中を少しずつ変えていこうとしていても、その途中で原発事故が起きましたってなったらもう、完全に終わりじゃないですか(笑)。

杉原 そうですよね。

塔嶌 その途中で、戦争になったとかいったらもう、完全にゼロに帰しちゃうんで。だから、ある程度やっぱり、政治的な、不穏なものも押しとどめておかないといけないとは思っていますね。

再開発と記憶の喪失

杉原 じゃあ今後は、米屋の修行をしつつ、社会運動も並行してっていう感じですかね。

塔嶌 そうですね。まずは米屋でほんとに頑張らないと、なかなか独立許可は出ないと思うんで(笑)。まずは仕事を最優先でやりつつ、残りの時間は立石のほう(再開発反対運動)でやりますけど。

杉原 再開発とかで建物がなくなると、ほんとに「あれ、ここ何があったんやっけ?」ってなりますよね。

塔嶌 そうなんですよ。記憶っていうものが、ほんとになくなっちゃいますからね。「まちは変わっていくものだから仕方ないじゃないか」って言われるんですけど、普通にちょっとずつ変われば「ここは昔何屋さんだった」とか言えると思うんですけど、全部壊して、全然違うものを作っちゃったら、ほんとにわかんないですよね、何があったかって。この間、哲学者の内山節先生が、田舎だと認知症があんまり起きない、みたいな話をしてたじゃないですか。自然の風景はそれほど変わらないからって。だから、再開発をやったら絶対、地域の人たちの認知症がめっちゃ進むと思うんですよ(笑)。

杉原 うん。自分の見慣れた風景って、いろんな記憶とかがそこに紐づいていて、それで脳がいろいろ刺激されるから、認知症になりにくいのかな。見知らぬ風景は、そこに何も紐づいてないから……。

塔嶌 きっとそうだと思います。自分の知っているものが変わらずにあるっていうのは、安心感につながると思いますね。

昭和の面影残る立石仲見世。

まちになじむ米屋をやりたい

杉原 どんな米屋をやりたいとかはありますか?

塔嶌 僕が今働いている米屋さんのウリは、めちゃめちゃこだわって、ほんとにおいしく作る生産者の米を紹介していることだ思うんですけど。僕は、なんていうか、すごい米屋さんをやりたいわけでもないっていうか。ある意味、普通にまちになじむ感じでやりたいっていうのがあるんで。最近だと、米なら何でもいい、安ければいいっていう人は、スーパーに行っちゃうんですよ。スーパーで買う人が8割ぐらい。で、有機農法のお米とか、すごくおいしいお米とかにこだわる人は、ネットで産直のものを見つけて、自分で買ったりする。それが多分15%ぐらい。米屋で買う人って、多分2、3%ぐらいなんですよ。

で、僕としては、どっちにも米屋で買ってほしいっていうのがあって。産直で買う人もやっぱりプロじゃないから、ほんとにいいものを買えているかどうかはわからないですし。そういう人に、ちゃんとプロとして間違いないものを提供したいですし、何でもいいやって思っている人たちにも、「ちょっとこれ食べてみてください」と。本当は何でもよくないんだって伝えたいし。そういう感じが理想なんですけど。

杉原 それって、米のコンシェルジュみたいなところありますよね。僕は近所のみそ屋さんでみそを買うんですけど、「こういうのが欲しいんですけど」って言うと、いろいろ提案してくれて。それはけっこう楽しいですね。

塔嶌 うん。だからまちの専門家っていうか、身近なところで「これに困ったらこの人に聞こう」っていう、それぐらいのレベル感でいいっていうか。地域の人たちからある程度信頼されていれば。あんまり「あそこはすげー米屋だ」ってなっちゃうと、逆に浮いちゃうし。で、お金に余裕のある人も、ない人も、話しながら、その人にとって一番いいお米を選んであげられる感じがベストかなって。

杉原 個人商店がちゃんとある商店街って、それぞれの分野でのコンシェルジュがそろっているわけで。それはすごく心強いし、楽しいし。商店街の一つの魅力ですよね。

塔嶌 そうだと思います。

場所ありきではなく縁ありき

杉原 いつごろ開店したいっていうのはありますか?

塔嶌 できれば20代のうちにやれるといいなとは思ってますね。いま25歳なんで。やっぱり、やり始める時ってすごく大変だろうし、体力も要るだろうし。まあ思い立ったら吉日で、何歳でもあんまり関係ないような気もするし。

杉原 出店する地域は決めてるんですか?

塔嶌 前はけっこう先走って、いろんな商店街を回ってみたりしていたんですけど、今になってみると、あんまり意味なかったなと(笑)。

杉原 あ、そうですか。

塔嶌 やっぱり実際に働いてみて、これくらいの面積が要るとか、必要な環境が分かってくるから。いい場所を見つけたところで、そういう環境が得られるか分からないので。できれば、どこかのお米屋さんの居抜きでやらせてもらえるのが理想ですね。精米機とか、買うとすごく高いんで。

杉原 じゃあ、いいタイミングで居抜きの店舗が見つかったら、そこが候補に入ってくると。そう考えたら「場所ありき」じゃなくって……。

塔嶌 そうです。だから「縁ありき」というか。

杉原 なるほどね。そうやって決まったほうが面白いですしね。じゃあ開店を楽しみにしています。いいお話を聞かせていただいてありがとうございました。

塔嶌 こちらこそ。

ゲストの塔嶌麦太さん(右)と杉原学。立石の純喫茶「カフェ・ルミエール」にて。(撮影:井口康弘)

(おわり)

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