自由とは何か
そもそもぼくがこの国に来て自由について考え始めたのは、走り始めてから一週間ほど過ぎた頃、アリゾナ州の小さな街で出会った年老いた女性との会話がきっかけだった。
グランドキャニオンに続く最後の街、バレ。インタビューに応じてくれた彼女は既に八十歳くらいに見えたが、入れ歯の洗浄剤のCMにでも出てきそうな端正な顔立ちだった。娘夫婦とニューメキシコから来たのだという。せっかくの休暇を水入らずで過ごしている様子だったが、彼女の話を少しだけ聞かせてもらった。
まずイラク戦争を正しい戦争だと思いますか、と聞いてみた。
「正しい戦争だと思うわ」
この答えをアメリカに来てこのとき初めて聞いた。これまでも出会った人々に同様の質問を何度も投げかけてきたが「イラク戦争は石油の利権のためでしかない」、「大統領のいう大量破壊兵器が見つかっていない」、「大統領の越権行為だ」といった否定的な意見が目立った。
それだけに、戦争を肯定する考えを聞いてみたいと思った。ぼく自身はイラク戦争が始まるプロセスには疑問があると考えていたが、なるべく中立な立場で質問を続けた。
「どうして正しいと思うのですか」
「私はブッシュ大統領を誇りに思いますよ。だって、彼は中東のイラクに自由を与えたのよ」と彼女は言った。
自由。アメリカに来て既に何度も耳にしているこの言葉が、いかに市民の隅々まで浸透しているかをこの時も実感した。そしてきっとぼく自身がこうしてアメリカを旅できることも、色々な意味でその「自由」のおかげであると頭では自覚していた。しかし「自由」というのがいったいそれほど普遍的な価値観なのか、とぼくは尋ねてみたくもなった。
「自由というのは正義なんでしょうか」
この質問は自分でもちょっと意味がわかりにくいし、英語のニュアンスとしても適切でないかなと思ったが、彼女は質問の意味を汲み取ってくれた。
「そうよ、ほとんどの場合においてね」
一瞬何かを考えかけたような気もしたが、彼女の返答はほぼ即答だった。ぼくには返答の内容そのものよりも、その早さが新鮮に映った。
いずれにせよ、時間がなくなってしまい、彼女達の一行は車に乗ってグランドキャニオンへ続く北のハイウェイを走り去っていった。
ほんの短い二、三分のやり取りだったが、この会話は思いがけずあとになるまで印象に残っていた。彼女の意見自体は日本でもテレビなどで聞いていたような気がするし、驚くべきものではなかった。けれどもぼくはイラク戦争にある程度正当性を与えているように見える、この「自由」というものが次第に気になり始めた。
また、あるとき、ぼくはオクラホマ州で出会ったネイティブアメリカンの女性と話す機会があった。Tシャツにジーンズを穿き、幼稚園に子供を迎えに来た普通の主婦だ。そのときぼくは彼女に自分の悩みを相談していた。
「ぼくは日本の大学生で、アメリカの政治的な動向もそれほど知らないし、戦争犠牲者や遺族の痛みもわからない。なのに反戦まがいのこんな活動をしていていいのか、ときどき疑問に思うことがあるんです」
すると彼女は言った。
「この国は自由の国よ。あなたはパスポートを持っていれば何をしても構わないのよ」と。
カッコ良かった。この国ではこんな小説か映画みたいなセリフを通りすがりの主婦がさらりと言えてしまうのだ。同時に、この短いやり取りは二つのことを教えてくれていた。
日本人であるぼくは倫理に基づいて行動し、アメリカ人である彼女は権利に基づいて行動していること。そしてもともとヨーロッパ白人の思想であったはずの自由が、先住民族のネイティブアメリカンにまで徹底して浸透していること。この国はいったいどういう国なんだろう。
なぜアメリカでは自由というものがこれほどまでに市民権を得ているのか。なぜ、普通の一般市民がこれほどまでに自由についてよどみなく語れるのか。
ぼくたち日本人もたぶんいろんな意味でアメリカ人と同じくらい「自由」を謳歌できていると思う。アメリカの歴史が性差別や人種差別といった問題を乗り越える自由獲得の歴史であったとしても、日本にも被差別部落の人々や公害病の被害者や障害者の権利や男女の平等な権利の獲得の歴史において、同じような側面があったはずだ。にもかかわらず、我々日本人が日常生活で自由について語る機会はほとんどないような気がする。いったいこの差はどこから来るのだろう。
そして、自由というのは戦争をしてまで他国、他民族に与えるべきものなのか。自由を与える過程で死んでいった人々の自由はどうなるのか。
こんな風にしてぼくはアメリカ人が考える自由というものをもう少し深く知りたいと思うようになっていった。
アメリカへやって来る前、当初ぼくが自由と聞いて思い浮かべるイメージはおおよそ「何者からも統制や弾圧を受けることなく言論、思想、宗教などが保証されていること」というようなものだった。後から考えてみると、ぼくのこの解釈はずいぶんと政治的な意味での自由になる。
日本の憲法にもそれに近いことが書かれていると、ほとんど忘れてしまった高校の社会科の授業でも言っていたような気がする。むしろ、高校の社会科以外で自由について考える機会など、ぼくの人生において皆無だった。
つまり、ぼくはこれまで深く考えたことすらなかったこの自由というものをただ、漠然としか理解していなかったのだ。
ぼくはあるとき、自由についてアメリカの人々の意見を聞いてみたいと、ウェブサイトで質問を試みた。
「アメリカにはイラクの人々に自由を与える自由があるか」
“Do Americans have freedom to give Iraqi people freedom?”
しかしロスで出会ったニコルさんというぼくのサイトの英語をチェックしてくれていた女性が、その英文を見るなり「文法的には正しいけれど、自由という言葉を正しく解釈していないわ」と言った。
そうなのかと思いながらも、ぼくは釈然としないままその英文を別の表現に変えた。ぼくはこのあたりから、アメリカ人とぼくの間に自由についての解釈にギャップがあるような気がしてきた。
さらに、その後に出会った何人かのアメリカ人に自由について質問を投げるうちに、彼らの考える自由がぼくの描いていた自由とかけ離れていると確信するようになっていった。
「自由というのは、選択の権利のことだ。好きな時に好きなものを食べ、好きなところへ行き、好きなものを買うことができる。そういう権利のことだよ」
機会があるごとに自由について尋ねると、多くの人はこのように答えた。むしろそれ以外の答えは返ってこなかったといってよい。ぼくのように宗教や言論や思想がどうのこうのと言ってくるアメリカ人はただの一人もいなかった。
アメリカ人の考える自由というものに個人差はほとんどない。アメリカでは自由といえば、誰もが同じことを思い描くのだ。このこともぼくにとっては新鮮な発見だった。
また「911以降のアメリカに自由はなくなった」と嘆いていた人が、その理由として挙げていたのが、飛行場でのセキュリティチェックが厳しくなったために移動の足かせが大きくなった、というものだった。とても日常的でわかりやすい。
アメリカ人の考える自由というのは、ぼくが考えていたような抽象的なものではなく、もっと具体的な日常生活の中にあるものだ。それはお金を払ったり法律に従ったりという義務を守りさえすれば、日常生活の中で何でも買えたり自由に移動できたり、という選択の自由ということだった。
同時にぼくは小学校や中学校をアメリカとフランスで過ごしたという大学の友人に、同じように自由についてメールで聞いてみた。すると彼の返事は「宗教、思想の自由」よりも「日常的な行動の自由」を思い浮かべるというものだった。
欧米式の教育を受けてきた彼が考える自由と、ぼくが考えていた自由の間にもやはりギャップがあった。日本と欧米では自由というものを教育する過程で大きな違いがあって、それがもとでぼくとアメリカ人の言う自由に差があるのではないだろうか。
モーテルのテレビで何度となく見た大統領選挙のキャンペーンでも、自由という言葉はキーワードとして機能していた。ぼくの中で一番強烈に印象に残っているのは共和党の党大会の演説だ。何人かの党員が交代で演説を行い、周囲では何千という共和党支持者が演説を聴きながら旗を振ったりしている。党員の一人が「我々の使命は世界に自由を広めることだ」とやれば、集会の参加者が熱狂的にそれに呼応する。まるでロックコンサートのような熱気。
けれどもその光景はぼくにはなにか異様なものに映った。そして異様だけれど、どこかで見たことがある。それはいったい何かと考えをめぐらせていると、それはいつかドキュメンタリー番組で見たナチスドイツのファシスト達の演説の光景だった。
アメリカがファシズムだなんて聞いたことがないし、冗談でそういう人がいたとしても、それはあり得ないだろうと思った。半世紀前ならいざ知らず、現代のぼくたちがよく知っている先進国アメリカで、そんなことがありえるわけがないだろう、と。
しかし一瞬であれ、ぼくが見たアメリカとぼくの中でのファシズムや全体主義がリンクしたことに自分でも驚きを隠せなかった。
さらに驚くべきことに、全体主義というのがいったい何なのかを調べているとインターネット上のフリー百科事典の「全体主義」という項目にこんな指摘があった。
「同時多発テロ以降のアメリカ合衆国(ブッシュ政権)にその気配が生まれつつあるという意見もある」
少なからず衝撃だった。ぼくが党大会の様子をテレビで見て、半信半疑ながら感じていたことが、そのまま百科事典に載っている。アメリカ合衆国から全体主義の臭いがする。そのことを感じているのはぼくだけではないのだ。しかしよくよく考えてみるといくつか符合する点がある。
ブッシュ大統領は、911の同時多発テロを受けて「アメリカの自由が脅かされている」といって国民を鼓舞した。そしてアメリカ市民は勢い良くそれに応えた。当時、ブッシュ大統領の支持率は九割を超え、歴代最高を記録したと聞いている。愛国者法を制定し国民の権利よりも国家の権限を大幅に優先させ、アフガニスタンを空爆する一連の戦争へと突入していったアメリカ。
そしてアーリア人種の優秀性を唱えてドイツ国民に熱狂的に迎えられ、全権委任法によって独裁体制を敷き、そのまま戦争へと突き進んだナチスドイツ。そこには国民を鼓舞する指導者、市民の熱狂、そして戦争への突入という共通項が浮かび上がってくる。
ぼくはまだロサンゼルスにいた頃、人々のインタビューをしていた時に、何人かがブッシュ大統領を指してファシストだと言っていたのを思い出した。ぼくはそれを聞いたとき、特に根拠もない誹謗中傷に過ぎないだろうとその理由を尋ねなかった。あるいは一応真剣に問いかけたインタビューが冗談にされたのだと思ってがっかりしたくらいだったが、今ではそれが全くの的外れでないような気がしていた。
しかしそこまで考えたところで、思考が行き詰まってしまった。なぜならフリー百科事典の次の行ではこう書かれていたからだ。
「全体主義の対極にある政体は自由主義である」と。
「ん?」と、思わず声に出てしまった。
「ブッシュ大統領率いるアメリカは自由を標榜しているのだろう?じゃあ、なぜその対極にある全体主義の臭いがするんだ?」
アメリカの自由が脅かされていると言って始まったアフガニスタンの空爆。自由を広めることが我々の使命であるとして、イラク戦争を擁護する動き。自由を声高に叫んでいる時のアメリカは、同時に最も全体主義的な臭いのする時でもある。一方で自由主義と全体主義は対極のものでもあるという。この矛盾する事実をどのように理解したらよいのだろうか。
しばらく考えていたが、別の見方をするとすっきりとする。ナチスドイツの「ヒトラー万歳」とか戦前の日本における「天皇万歳」の代わりに「自由万歳」という言葉を置き換えてみると、わりと良くわかる。民族の優秀性を説いて大衆の支持を獲得したナチスドイツ。天皇を中心とした軍国主義により弾圧や統制を行った戦前の日本。歴史的な背景に違いこそあるものの、共通するのは「ヒトラー」や「天皇」という象徴を中心に国民が強力にまとまった共同体を形成し、国家ぐるみの戦争へと突入していったことだ。
そして同じように、アメリカを戦争へと向かわせ、多様な人種や宗教から成るアメリカ市民を束ねる象徴のようなものがあるとすれば、それが「自由」なのではないか。
個人の人権を守るはずの「自由」が、一転、他者の「自由」を拒絶し戦争を肯定するための装置になっているのではないか。あるいは「人々の権利を守る自由」が「力づくで与える自由」にスライドしたときこそ、崇高な理念がイデオロギーに変わる瞬間ではないか。そして自由というのがあまりにも崇高な概念であるために、あるいはこの国の建国の理念そのものであるために、そのすり替えに気づくのは容易ではない。
もちろんアメリカが全体主義だなんてことはたやすく言い切れないし、そう吹聴するつもりもない。何よりも自分自身が一人のアメリカ人としてあの狂騒の渦中にあったとしたら、そうした認識を持つことができたかどうかも、あるいはそれを口に出す勇気があったかどうかもわからない。
けれどアメリカが戦争に向かうとき、とても巧妙な仕組みがつきまとっている。少なくともそう考えることで、ぼくは今まで自分なりに見てきたアメリカを理解することができる。
自由というのは、市民の権利を守るための崇高な概念であると同時に、この巨大な人工国家を戦争へと駆り立てるための装置になりうるのだ。それは戦争をよしとしてしまうからくりの一部にも思えた。
「戦争はなぜなくならないのか」
ぼくはアメリカに来てから考え続けてきたこの問いに対する答えの一部を見たような気がした。しかしそうだとすれば、そのからくりはあまりに巨大で動かしがたいものだ。
この国の戦争に悲観していた人たちのことが思い出される。「戦争は決してなくならない」と嘆いていたユダヤの老人や、「一般市民にできることはない」と言っていた別の老人もいた。
今のところぼくにできることは、そうしたある種の「すり替え」を差し引いて物事を見ること、そして自分が感じたままを人に伝えることでしかない。
自由とは何か。
その答えはアメリカを旅してゆくうちに、ぼくの中で徐々に変わっていった。あるいはいくつかの自由のバリエーションを見たと言ってもいい。
きっと自由というのは、アメリカにおいて人々の暮らしを守るための大切な思想であると同時に、ナショナルアイデンティティでもあるのだろう。日本もアメリカも同じように自由があるはずなのに、アメリカ人の方が格段にそれに対する意識が高いのも、そのあたりに理由があるのではなか。
言い換えれば、地縁も血縁も民族も言語もバラバラな人々が同じ国土の上で暮らすために「我々は自由を信じている」という唯一の共通点が必要なのだ。それは巨大な人工国家を支えるための扇の要のような存在であり、そして時に国威高揚のキーワードでさえあるのだ。
思想、言論、信仰の自由。日常生活での行動の自由。戦争の大義としての自由。
誰かが自由と叫んだ時、それが正確に何を指しているのか。あるいは自分はそれらの自由の中からどの自由を選択するのか。
民主主義と呼ばれる社会の中で、ぼくらはそれを考え続けなければいけないのかも知れない。
(つづく)
<目次>
【プロローグ】―なぜ戦争はなくならないのか―
【第一章・洗礼】―翌朝目が覚めると、さらに厳しい現実があった―
【第二章・ユダヤの眼差し】―「ユダヤもアラブもない。問題は人間のさがにある」―
【第三章・海辺の墓標】―怒りを訴えたいのか、悲しみを訴えたいのか―
【第四章・救命者の矛盾】―「自由を守るという物語に流されていったのよ」―
【第五章・渇きの果てに】―それらはあたかも暗い宇宙につつましく瞬く生命の輝きのようでさえあった―
【第六章・荒野の漂流者】―「日本でまた会おう」彼の言葉だけが耳の奥でリフレインしていた―
【第七章・逆境の中の生命線】―「闘いは嫌いだ。でも彼らをリスペクトしている」矛盾しているとぼくは思った―
【第八章・自由とは何か】―「自由万歳」を置き換えてみるとわりとよくわかる―
【第九章・オクラホマの風の中で】―彼女はこの場所でぼくと同じ歳で亡くなった―
【第十章・地図の上の1セントコイン】―それは戦争の是非を問うことと同じくらい大切なことに思えた―
【第十一章・ある記憶との闘い】―私は弱さを持った人間を探していた。どこかに自分と同じような人を探していたのよ―
【第十二章・シェルター】―ぼくは「彼ら」から逃げない人間になりたい―
【第十三章・マイノリティの居場所】―“There is no way to Peace,Peace is the way.A.J.Muste”―
【第十四章(最終章)・無限のざわめきの中へ】―その豊かさは残された救いのようでさえあった―
【著者プロフィール】
矢田 海里(やだ かいり) ライター・フォトグラファー。1980年、千葉県生まれ。慶応義塾大学総合政策学部卒。在学中、イラク戦争下のアメリカ合衆国を自転車横断しながら戦争の是非を問うプロジェクト“Across-America”を行い、この体験を文章にまとめたアクロス・アメリカを執筆。フィリピンのマニラのストリートに潜入し、子どもたちや娼婦たちの暮らしを見つめ、ルポルタージュを執筆中。東日本大震災発災直後に現地入り、ボランティアの傍ら現地の声を拾い始める。以降現地に居を構えながら取材を続ける。放送批評雑誌『GALAC』に「東北再生と放送メディア」を連載。冒険家やアスリートを紹介するサイト「ド級!」でエクストリーマーの一人に選ばれる。「不確かさと晴れやかさのあいだ」をテーマに人間の内面を描き続けている。
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