アクロス・アメリカ【第十三章・マイノリティの居場所】―“There is no way to Peace,Peace is the way.A.J.Muste”―

マイノリティの居場所

大都会の夜には終わりの気配がない。バーやレストランのオープンテラスから漏れる人々のさざめき。石畳にコツコツと響くハイヒールの音。こんな深夜に人波の中にいるのはどれくらいぶりだろうか。

アメリカの政治の中枢、ワシントンD.C。コロンビア特別区。ぼくはその中心地の高級アパートが建ち並ぶ一角のカフェの前にいた。ひさびさにパソコンを開いて閉店間際までメールのチェックをしていたが、ついにカフェを追い出されてしまった。仕方なくぼくは店の外の花壇に腰掛け、少ない灯りの下で残りの作業をしていた。

「自転車で旅行しているのかい?」

一人の男が話しかけてきた。仕立てのいいグレーのスーツを着て、ポケットに手を突っ込んでいる。仕事帰りのビジネスマンだろうか。どことなく知的な雰囲気のある男だった。ぼくは自分のことを手短に話すと、彼は旅の話に興味を持ったのも束の間、宿のことを聞いてきた。

「今夜はどこに泊まるんだい?」

そう言われて、深夜にもかかわらず泊まる場所が決まっていないことに気づいた。最悪、ポトマック河の岸辺にテントを張って桜の樹の下で寝られないこともないが、昨晩の冷え込みではそろそろテントも厳しいかも知れない。そんなことを漠然と考えていたが、そのまま深夜になってしまったのだ。

「それならうちにくるといい」首に引っ掛けていたカシミアマフラーを巻きなおしながら、彼が言った。

「ぼくのアパートはここから三ブロックほどだから」

柔らかな物腰だ。ぼくは唐突さに少し戸惑いつつも、思いがけない申し出に好奇心を刺激された。マークが泊めてくれた時のように、ひと晩の対話から相手のことを知ったり、予期しない自分の姿が見えてくることもある。

それにここは大都会だった。これまでもいろいろな人の家にも泊めてもらったが、大半はブルージーンズを穿いてファーストフードにトラックを乗り付けるような人々だった。それはぼくの旅が「郊外」や「地方」を中心に移動していることを意味していた。

一方で、今ここワシントンでカシミアマフラーのビジネスマンに招待されている。これを機に、ぼくは今まである意味で、横目で通り過ぎるよりほかなかった「都会」というものの内側に、ささやかではあるが入っていける気がしてきた。

「せっかくだから食事でもしよう」

そう言うと、彼は馴染みのレストランに案内してくれた。そこはアジア料理やオーガニック料理も出す店で、いかにも都会のインテリが好みそうな、洒落て落ち着いた雰囲気があった。メニューには肉料理もあったが、ぼくと彼は申し合わせたようにパスタを頼んだ。

「ぼくはベジタリアンなんだ。君も?」

彼が聞いたので、ぼくはただの好き嫌いだ、と応えると彼が小さく笑った。

彼はジェームス・シュピーゲルといい、ここワシントンで弁護士をしている。取り扱う仕事は主にマイノリティ人種や同性愛者の人権擁護などだという。ぼくはその知的でリベラルな仕事の話を聞いてみたいと思った。

ぼくが興味を持つと知るや、彼はアメリカの人種差別の歴史やゲイの社会的な位置づけについて、旺盛な知識を披露し始めた。ロドニー・キング事件やOJシンプソン事件といった、日本にも知れ渡った人種差別を巡る事件を彼は独自の見解を交えて話してくれる。たとえば裁判の証拠ビデオに施された意図的な編集の話や、裁判の行方が陪審員たちの人種によって左右されてしまう不公平さなど。

彼によれば、アメリカは建前上、人種の平等を獲得したが、二十一世紀になった今も日常生活のあちこちに、そして何より人々の意識の底に人種に対する偏見があるのだという。

「ゲイの問題は別の意味でさらにやっかいなんだ。肌の色は目に見えるが、同性愛は表面化しにくい。それが理解が遅れているひとつの原因なんだ」

たしかに人種差別問題と言えばリンカーンやキング牧師などの名前と共に、この国の歴史の一部として語られている。けれども、アメリカ社会の同性愛者の話になるとほとんど日本には伝わってこない。ぼくには、それがどんな風に社会問題となるのかわからなかった。

「性的少数者が参加するパレードが世界各地にあるよね。例えばニューヨークでもさ。そこには必ずと言っていいほど反同性愛者たちも集まっていて、対立が起きるんだ。それが暴動や傷害事件になったり、裁判に発展することもある。それから同性愛のカップルがパーティやプロムで参加を拒否されるケースもある。それらは憲法や州の法律に違反することなんだ」

彼もこれまでにそんなケースをいくつか担当してきたという。

反対にアメリカでは性的少数者の多い大都市には「ゲイ・フレンドリー」な教会やクラブのようにゲイに理解のある施設があるのだが、それらはまた、常に反同性愛者たちの攻撃の的になるのだという。そしてこうした同性愛者と反同性愛者の対立の根源には宗教の存在があると彼は言った。

「同性愛は聖書によって罪なことであるとされているんだ。だから特に厳格なクリスチャンの中には反同性愛の人間も少なくない。いや、キリスト教だけでなく、イスラム教徒も同性愛に対して厳しい。コーランの中にも同性愛は罪であると書かれているんだ。中東の国々には同性愛を死刑にするところもある。国連が同性愛者への人権迫害を禁止しようとして、イスラム国家がその採択を阻止したんだ」

運ばれたパスタをろくに食べもせずに彼は熱っぽく語る。

「結局みんな自分が信じるものを守りたい。けれどもそれが新たな争いや対立につながることもある。イラク戦争だってそうだよ。アメリカは自由を信じているがために多くの犠牲を強いられている。自分の信じているものがどんな犠牲の上に成り立っているのか、多くの人が考えてみるべきなんだよ」

彼はそこまで言うと一息ついて水を飲んだ。

「ところで、君はゲイを見分けられる?」

唐突な振りだ。彼と話していると、突然に話題が変わって戸惑ってしまう。けれどもそのうちに、それが話したいことがたくさんあるのだという気持ちの表れだとわかってくる。

見分けられないよ、とぼくは答えた。

「慣れてくるとなんとなくわかるものなんだ。けれど、それを言葉にするのは難しいかも知れないな」

彼は肩をすくめてみせる。

「それは、外見的なものなの?」

「それもあるけど、仕草のようなものかな。君はアメリカでゲイを見たことないの?」

そう聞かれて、一人のゲイが頭に浮かんだ。ぼくはたった今いるこのレストランから二ブッロクもないところで、若いゲイの男にナンパされたばかりだったのだ。

それはちょうど昨日の晩のことだった。ぼくが書店で何か面白いものはないかと歩き回っていると、ラテン系らしき黒髪の白人男性が声をかけてきた。ぼくがサイクリングウェアを着ていたためか、彼は最初自転車で旅をしているのかと聞いてきた。ぼくが西海岸から走ってきた話を始めると、彼は目を輝かせていろいろと聞いてきた。

アメリカ人のことをどういう風に思うかと聞かれて言葉を詰まらせていると「いいよ、ホントのコト言っちゃいなよ」と茶化してくる。そして会話に興が乗ってきたころ、彼が突然切り出してきた。

「ところで、君はゲイ?それともストレート?」

ぼくは一瞬あっけにとられてしまったが、慌ててストレートと言った。そのあとも、よかったらうちに泊まりにこないかと誘われたが、さすがにゲイと言われて泊まりに来いというのは露骨な気がして、腰が引けてしまい断ったのだ。話し好きの面白い男だったので、惜しい気もしたが。

「それはとても積極的な男だね」と弁護士は笑った。

気がつくとパスタの皿もすっかりきれいになり、運ばれた食後のジェラートもなくなっていた。店を出て彼のアパートに案内された。

通りでは夜霧が街を包んでいた。息を吐くと少し白く、肌寒かったが彼が「たったスリーブロックだ」と言ったのであまり気にならなかった。

彼のアパートに着くと、深夜にも関わらず玄関のドアマンがお帰りなさい、と出迎えてくれた。

部屋にあがると弁護士という職業を持つ人の暮らしがどんなものかすぐにわかった。一人暮らしにもかかわらず部屋が四つも五つもあり、リビングは北欧デザイン風のスタイリッシュな家具で統一され、廊下の壁には現代アートや抽象画がいくつも飾ってあった。彼の知性と収入の高さが見事に調和したような部屋だった。

時計を見ると既に夜中の三時を回っていて、それを見たとたん急に疲れをおぼえた。彼が早く寝床を案内してくれないかと思った。だが、彼は自分のベッドルームを整えるだけで、どこで寝ろとも言ってくれない。他人の家だから勝手なこともできない、とまごついていたがそのうちにぼくは彼の寝室に行って、どこに寝たらよいかと尋ねてみた。すると彼は自分のベッドを指して思いもよらないことを言った。

「よかったらここで寝なよ」

ハッとして動けなくなった。一緒に寝ようと誘われている。彼はゲイだったのだ。最初からそのつもりで声をかけてきたのだ。いや、あれだけゲイについて熱っぽく語っていたのに、どうして気づかなかったのか。同時に、ぼくは置かれた状況のまずさに気づいた。 

ぼくは今彼のベッドルームにいる。のこのこついてきたということは「脈あり」と思っているに違いない。このベッドで一緒に寝るということは、彼とセックスをするということなのだろうか。彼は灯りを消したベッドの上でぼくをどうしようというのか。あるいはそれを拒絶すると彼はどんな反応を示すだろうか。彼が言った「傷害事件」という言葉が胸をよぎった。

ベッドルームのドアが半開きになっている。逃げ出してしまうこともできる。けれども彼をいたずらに刺激するだけかも知れない。

いずれにしても、不自然に間のびした沈黙がもう限界だった。ぼくはいろんな含みを持たせ、探るように言った。

「ここで寝ても大丈夫なの?」

ここで寝ても何も起きないよね、という確認のニュアンスを精一杯込めたつもりだった。すると彼が言った。

「君さえかまわなければね」

困ってしまった。「かまわない」というのはいったい何を指しているのか。ベッドの狭さを言っているのか、それとも彼とのセックスを言っているのか。ぼくはだんだん胃が痛くなってきた。どうにかして彼の誘いを断らなくてはいけない。しかし次の瞬間、自分でも思いがけないことを口走っていた。

「じゃあ、ここで寝てもいいかな」

すると彼の口元がかすかに緩んだ。ぼくは激しく後悔した。どうしよう、これでは彼の誘いに応えてしまったことになる。まごついていると彼が言った。

「シャワー、浴びてくる?」

決定打だと思った。それは今夜、性行為の用意があるかという最終確認だと思った。ただ言葉のニュアンスの中に、まだぼくの意思を推し量るような微妙な確信のなさが残っている気がした。これが彼の誘いをかわす最後のチャンスだと思った。ぼくは彼を刺激しないように言葉を選んだ。

「今夜は疲れてるから、シャワーは明日の朝にしようかな」

「そうか」

言った彼の表情が一瞬翳ったように見えた。ぼくはそれで少し安心したが、ベッドに横になり、彼がお休みと言って灯りを消すと、また緊張が生じた。暗闇の中、いつ彼の手が伸びてくるとも限らない。ぼくは彼の隣で息をひそめながら、様子を伺っていた。

やがてぎこちなさに耐えられなくなり、ぼくはベッドの上で何度も寝返りを打ったり、意味もなく咳き込んだりして、埋めようのない沈黙をごまかそうとした。

そのうち、彼の方からかすかな寝息が聞こえてきた。どうやら眠ってしまったらしい。一気に力が抜けた。大丈夫そうだ。小さなため息が漏れた。

しかし不思議なもので、安心してしばらくするとなぜか隣で眠る彼がすねた子供のようで憎めなくなってきた。あるいはぼくの意思を尊重してくれたことに多少なりとも信頼を感じたのかも知れない。

頭が冴えて寝つけなかった。長い夜になりそうだと思った。ベッドサイドの抽象画の幾何学模様をぼんやりと眺めながら、立て続けに二人のゲイにナンパされた奇妙な二日間のことを考えた。いったい自分はゲイにとってそれほど魅力的なのかと、考えずにはいられなかった。

確かにぼくは白人の中に混じると体躯も小さく、黄色人種だから肌や顔立ちもどこかつるりとして、なめらかな印象を与えるのかも知れない。

あるいは昨日書店でナンパされたときは、サイクリング用のスパッツのようなものを穿いていたため、体のラインを強調することになったのだろうか。ゲイというのは男の体のラインに魅力を感じるのだろうか。しかし、同じことが女性を見た男性にとっては十分あり得ることだ。だとすればゲイの彼らが同じように思ったとしても不思議ではなかった。

それにしても偶然とはいえ、ゲイと一緒に寝ているなんて自分は知らない間にずいぶんとアメリカ社会の奥深くまで足を踏み入れていたのだな、と思った。旅を始めて間もない頃、ぼくはこの国の人々の中にどうやって入っていけばいいのかわからないでいた。その頃を振り返ると一つの風景が浮かぶ。

それはカリフォルニアの片田舎の閉店間際のコインランドリーだった。ぼくはそのとき、ずっと洗濯をさぼっていたせいで汚れたままになっていた衣類を抱えて、ランドリーに駆け込んだ。いくつかの乾燥機には知らない誰かのシャツや下着が回っていて、室内にはアメリカ製の液体洗剤の甘ったるい香りが充満していた。

そばでは褐色の肌をしたメキシコ系の若い夫婦が、小さな赤ん坊を抱きかかえながら、いそいそと洗濯物をたたんでいた。

小さなテーブルでは別の母親が乾燥機を待つ間、十歳くらいの息子の勉強をみていた。その傍らの小さなジャングルジムでは、妹と弟がかくれんぼをしていた。

ふとそのとき、今にも電気の消えそうなほの暗いランドリーに、アメリカの素顔を見た気がした。赤ちゃんのおむつをたたむ若い父親。息子に利口に育って欲しいと願う母親。時代や国境を越えてどこにでもある家族の姿だと思った。それはサンタモニカやグランドキャニオンなどの観光地で見た「よそ行きのアメリカ」ではなく、素朴で暖かく、暖炉の炎のようにやさしいぬくもりである気がした。

けれども彼らが洗濯物をたたみ終え、ひとりまた一人とランドリーを去っていくと、なぜかかすかな不安を覚えた。

やがてランドリーに誰もいなくなり、液体洗剤の甘い香りだけが残されると、その小さな不安は胸をかきむしるようなせつなさに変わっていった。

ずっとあとになって、その気持ちは何だろうと考えてみることが何度もあった。今ではそれがわかる気がしていた。きっとぼくが見た暖炉の炎のような風景は、近くにあるようであまりに遠かったのだ。

あの甘い洗剤の残り香は、人々のぬくもりを示していたのではなく、ぼくがそのぬくもりの中に入っていけないことを示していたのだ……。

彼の物音で目が覚めた。カーテンの隙間から朝日が漏れている。どうやら彼はキッチンで朝食を用意しているらしい。

ぼくは念のため、寝ている間に何もなかっただろうかとベッドの上や身辺を確認したが、何も変わったところはなかった。

ぼくの物音に気づいたのか、彼がやってきて緊張した面持ちで「おはよう」と言った。ぼくがおはようと返すと、彼は何かを迷っているようだったが、やがて言った。

「昨日のこと、気にしてる?」

少し慌ててしまった。が、すぐ考え直してノーだと応えた。すると彼はほっとしたように小さく頷いた。

「シャワー、浴びなよ。それから朝食にしよう」

そう言って彼はベッドルームを出て行った。去り際に彼の表情に安堵があったのを見て、なぜかぼくもほっとした気持ちになった。

カーテンを開けて、朝もやにけむる街をしばらく眺めた。いい朝だった。銀色に照らされたビルが淡色の空を四角く切り取り、まだ光の届かないビルの谷間には既に動き始める人々の姿があった。赤い二階建てのバスや黄色いタクシーが通りを往来する。ハーフコートを羽織ったビジネスマンたちがコーヒーやベーグルを片手に白い息を吐いている。こんな洗練された都会の朝をアメリカにやってきて初めて目にするのだとぼくは思った。

シャワーを浴びてさっぱりすると、ダイニングに朝食が並んでいた。トーストとサラダと茹で卵。彼がサラダにチーズを入れても大丈夫か、クランベリーとオレンジのジャムがあるが、どちらがいいかと尋ねてきた。それは来客をもてなすホスピタリティとは少し違った、何か女性的な細やかさのように映った。

食事中、ぼくらの会話は少なかったが、彼はサラダを取り分けたり、飲み干したオレンジジュースを注ぎ足してくれた。

そんな彼の親切を受けているうちに、ぼくは昨晩彼のベッドで捕って食われでもしないかと怯えていたことがおかしくなってきた。

なんのことはない。男女間の愛情がそうであるように、ゲイである彼もまた、肉体的な行為だけでなく、そこへ至る緩やかな心のふれあいを求めているのだ。

そう思ったとき、何か自分の中の過剰な構えのようなものがすっと消え、軽やかな気持ちになった気がした。そして食事が終わった頃、彼のことを、あるいはゲイのことをもう少し知りたいと思っていた。

ぼくはキッチンの流しで洗い物をする彼の横に立って、手伝いたいと申し出、唐突と知りながら思い切って聞いてみた。

「アメリカ社会でゲイとして生きていくのは、難しいこと?」

彼は最初少しびっくりし、照れるように笑ったが、しかしすぐに真剣な表情になった。

「それは君の国でも変わらないんじゃないかな」

当たり前のことを聞いてしまった気がした。だからこそ彼は弁護士としてマイノリティのために働いているのだ。ぼくは安易に理解を示そうとしたことを少し後悔した。

「日本ではあまりゲイの人を見たことがないのかな?」と彼が聞いた。

ぼくは「ない」と言いかけて、友人の中に一人だけゲイがいることを思い出した。

それは大学の友人だった。正確には年齢は同じだが一年浪人して大学に入ったぼくには先輩にあたった。しかし彼が音楽の勉強のために一年間ドイツに留学すると、帰国した彼とは年齢だけでなく学年も一緒になった。そしてぼくらは彼の一年の留学を挟んで、先輩後輩から友人のような関係になっていった。

彼は芸術や音楽に対する旺盛な興味だけでなく、コンピュータのプログラミングにも長けていて、ぼくが何度も単位を落としたプログラミングの授業で教員のアシスタントを務めていた。

あるとき、彼と呑んでいて恋愛の話からつきあっていた女の子の話になり、酔った勢いからか、その前は男とつきあっていたという内容のことを漏らしたのだ。ぼくは一瞬、信じられないと思ったが、そのあとすぐにかすかに羨むような気持ちがきざしてきた。秘密を隠さずに言える勇気や、自分が知るはずもない葛藤を乗り越えてきた人間としての奥行きや深みのようなものを感じたのかも知れない。

「彼がそれを話したのは、きっと君を信頼していたんだと思うよ」

「やっぱり、それを言うのは大変なことなのかな」

傷害事件にまで発展するのだから、それも当たり前のことだと半分思いながらも聞いてみた。

「ゲイが傷つかずに生きていくのは難しいことなんだ。少なくとも彼らの人生には二度、悩みの時期が訪れる。自分が同性愛者であると気づいたときと、それを周囲に打ち明けるときだ。そして、時には隠し事をしたり事実と違うことを言わなければならないこともあるんだ」

彼は自分自身を振り返るように言った。

「同性愛を理解してくれてありがとう。君に紹介したい人がいるんだ」

そう言って、彼は本棚の上にあった、二つの写真立てを持ってきた。どちらも浅黒い肌の若いアジア系の男が写っている。

「これはぼくの昔のボーイフレンド。タイ人とシンガポール人。ぼくがニューヨークにいた時に知り合ったんだ。彼らは当時大学生だった」

そうして彼らを懐かしむ姿は、男女間の愛情のそれと何ら変わるところがない。昨晩、彼がゲイであることをあれほど不審に思っていたのに、なぜか今ではそれが自然なことに思われた。

食事が終わって、出発することになったとき、ぼくは彼に写真を撮らせてほしいと頼んだ。すると彼は着替えてくる、と言って寝室へ行った。着替えるというのはやはり弁護士らしく仕立てのいいスーツでも着てくるのかと思ったらそうではなかった。やってきた彼はTシャツに短パンという出で立ちで小脇に二冊の本を抱えていた。

シャツには北斎の浮世絵がプリントされてあり、本はそれぞれ『白人社会における中流の黒人たち』、『ユダヤ人と日本人ー成功するアウトサイダーたちー』という題名だった。どちらもアメリカ社会の中のマイノリティを扱った難しい専門書だ。

ぼくはそれを見て、彼という人間に通底する何かが見えた気がした。人種問題や異文化に理解があるのは、彼自身がゲイであることと深いところで繋がっているのではないか。あるいはゲイであることがそれらの出発点である気がしたのだ。一人のマイノリティとして出発し、他のマイノリティを理解することよって、彼自身もまた社会の中に居場所を見つけていった。そんな気がしてならなかった。

ぼくがカメラを構えると、彼は二冊の本を誇らしげに掲げて、さあ撮ってくれと言った。ファインダー越しに柔らかな笑顔が覗く。その姿はしかし、ぼくのことを忘れないでくれ、という切なる願いにも映った。

ぼくは最後に、彼に何かメッセージを残してほしいとノートを差し出した。彼は「ぼくの大好きな言葉を贈るよ」と言ってさらさらと書きつける。

“There is no way to Peace,Peace is the way.A.J.Muste”

「平和へ至る道はない。平和とは常に過程であり続ける。」

いい言葉だと思った。彼の言う平和とは、単に戦争がない状態を指すのではないのだろう。あらゆる人種のあらゆる信念を持った人々が自分らしく生きようとすること。その困難に満ちた過程のすべてを平和というのだ。そんな風に思えてならなかった。

彼に見送られてアパートを出た。

通りに出ると、何気ない朝の雑踏があった。行交う人々の靴音や通りの向こうでタクシーが鳴らすクラクション。カフェやベーグルの屋台の店員たち。あるいはアパートやオフィスの窓に映る無数の人々の気配。

そんな人波の中に様々なかたちの愛情があり、信条があり、生き方がある。あるいはそれらの人々がときにぶつかり合い、うろたえ、理解し合っていく。この街の風景の中にある、そうした人々の営みのことが思われた。そしてぼくは自分がそんな風景の中にいることを、少しだけ誇らしく思っていた。

幾筋かの通りを歩いた。ビルの谷間にようやく朝の光が届き、はす向かいのカフェから挽きたてのコーヒーの香りがした。

(つづく)

<目次>

【プロローグ】―なぜ戦争はなくならないのか―
【第一章・洗礼】―翌朝目が覚めると、さらに厳しい現実があった―
【第二章・ユダヤの眼差し】―「ユダヤもアラブもない。問題は人間のさがにある」―
【第三章・海辺の墓標】―怒りを訴えたいのか、悲しみを訴えたいのか―
【第四章・救命者の矛盾】―「自由を守るという物語に流されていったのよ」―
【第五章・渇きの果てに】―それらはあたかも暗い宇宙につつましく瞬く生命の輝きのようでさえあった―
【第六章・荒野の漂流者】―「日本でまた会おう」彼の言葉だけが耳の奥でリフレインしていた―
【第七章・逆境の中の生命線】―「闘いは嫌いだ。でも彼らをリスペクトしている」矛盾しているとぼくは思った―
【第八章・自由とは何か】―「自由万歳」を置き換えてみるとわりとよくわかる―
【第九章・オクラホマの風の中で】―彼女はこの場所でぼくと同じ歳で亡くなった―
【第十章・地図の上の1セントコイン】―それは戦争の是非を問うことと同じくらい大切なことに思えた―
【第十一章・ある記憶との闘い】―私は弱さを持った人間を探していた。どこかに自分と同じような人を探していたのよ―
【第十二章・シェルター】―ぼくは「彼ら」から逃げない人間になりたい―
【第十三章・マイノリティの居場所】―“There is no way to Peace,Peace is the way.A.J.Muste”―
【第十四章(最終章)・無限のざわめきの中へ】―その豊かさは残された救いのようでさえあった―

【著者プロフィール】
矢田 海里(やだ かいり) ライター・フォトグラファー。1980年、千葉県生まれ。慶応義塾大学総合政策学部卒。在学中、イラク戦争下のアメリカ合衆国を自転車横断しながら戦争の是非を問うプロジェクト“Across-America”を行い、この体験を文章にまとめたアクロス・アメリカを執筆。フィリピンのマニラのストリートに潜入し、子どもたちや娼婦たちの暮らしを見つめ、ルポルタージュを執筆中。東日本大震災発災直後に現地入り、ボランティアの傍ら現地の声を拾い始める。以降現地に居を構えながら取材を続ける。放送批評雑誌『GALAC』に「東北再生と放送メディア」を連載。冒険家やアスリートを紹介するサイト「ド級!」でエクストリーマーの一人に選ばれる。「不確かさと晴れやかさのあいだ」をテーマに人間の内面を描き続けている。

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