もう30年以上前のことだが、筆者は学生時代に教育学を専攻しており、学友の誘いを受けて「東洋大学夜間中学研究会」の活動に参加したことがある。その時に見学会等の便宜を図ってくださったのが、当時荒川区立第九中学校夜間学級で教壇に立たれていた見城慶和先生であった。
昨年11月、とある集会に見城先生の名前を見つけ、懐かしさいっぱいで会いに行った。先生は教職を定年退職しておられたが、今も人々を笑顔にする「学び直しの場」で教育に勤しんでおられた。情熱を少しも失うことなく。
【取材・文:東神田支局長・NPO法人地域交流センター代表理事 橋本正法】
※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』179号(2018年2月25日発行)掲載の内容に、若干の修正を加えたものです。
はじめに
見城慶和先生は1937年(昭和12年)生まれ。東京学芸大学を卒業後、東京都荒川区立第九中学校の夜間学級に27年、江戸川区立小松川第二中学校に10年間勤務して定年退職。
その後、嘱託教員として墨田区立文花中学校夜間学級に5年間勤務された。しかも退職直後の2003年4月に自主夜間中学「えんぴつの会」を立ち上げて15年、今も墨田区で毎週2回開校している。
1月中旬、「えんぴつの会」の授業を訪ねた。
1.自主夜間中学「えんぴつの会」
「えんぴつの会」の会場である「墨田区向島言問会館」は東京スカイツリーの足元にある。
教室は、平日の昼間2時間、週2回開かれている。現在20代から80代までの25人が登録しており、教師とマンツーマンの指導やグループ学習など、各人の能力や学習欲求に合わせた授業が行われている。ボランティア教員の登録は15人。元夜間中学教員が多いが、現役の日本語教師が休暇を取って教えに来てもいる。
来るものは拒まず、誰でも学びに来ることが出来る。生徒から毎月1000円を集めて運営しているが、生活保護を受けている方の場合は、会が福祉事務所に申請をして、教育扶助費としてもらっている。
この日は中国から引揚げてきた人や韓国人の若者が日本語の学習をしたり、文章創作のグループ学習をしていた。政治や社会のホットなテーマの学習では、韓国の人もいるので、セウォル号事故や韓国大統領の事件など日本では細かに報道されない情報が出され、教師側が教えられることも少なくないという。
一見した感じは、いわば童謡「めだかの学校」という印象だ。だ~れが生徒か先生か、だ~れが生徒か先生か、みんなで仲良く学んでる~。
まずは「えんぴつの会」立ち上げの経緯を伺った。
見城:2003年3月で嘱託教員の定年を迎えましたが、夜間中学卒業生のアフターが必要であり、何とかしたいと思っていました。そこに、第三吾妻中学校との統合で旧曳舟中学校が使われなくなっていた。これを物置にするのはもったいないと思い、墨田区教育委員会に自主夜間中学の相談をしたら、何と教室も校庭も運動用具もチョークも無償で使っていいという。そこで仲間と「えんぴつの会」を立ち上げました。廃校で置いてきぼりにされていた鉛筆や消しゴムは、今も使っています。
11年目に大学誘致のため旧曳舟中が取り壊されることになり、旧隅田小学校に移転しました。3年間使ったが、耐震不足のために使えなくなり、3年前にここに移ってきました。元々は区の出張所ですが、今は区民に貸し出しています。一つの教室を分け合っているので、歌ったり朗読するには向いていませんが、とにかく無償なのがありがたい。ただ、建物にエレベーターがないため3階まで階段を上らなければならず、高齢の方で来られなくなってしまった方も数名います。
── なぜ、「えんぴつの会」と名付けたのでしょうか。
見城:私は盧溝橋事件の年に生まれ、国民学校に通っていた時分は太平洋戦争の真っただ中、ないもの尽くしで、鉛筆一本が貴重品でした。鉛筆はギリギリまで使って、持てなくなると篠竹に刺して使いました。そんな鉛筆を捨てられずに持っていたんです。
ある時、毎日新聞の論説委員だった増田れい子さん、作家の住井すゑさんの娘さんですが、彼女が我が家に来られた際に鉛筆を見せました。一本一本が「お前のためにこんな短くなるまで尽くしてやったのに、お前はまだ私たちに応えるだけの仕事をしていないではないか」と、責めてくるような気がすると言ったら、その鉛筆を貸して欲しいと言って一握りほど持ち帰られました。
後日、素敵な写真付きの随筆「えんぴつ」となって『暮しの手帖』に掲載されたのです。そのことを自主夜間中学に来る生徒さんに話したら、「先生は鉛筆が使えただけでも恵まれている。私たちは仕事に追いまくられて、学校にさえ行けなかった」と言われ、この人たちの期待を裏切ってはいけないと思い、「えんぴつの会」と名付けました。
「えんぴつの会」は、当初は週3回開いていましたが、6年目からは週2日にしました。教材作りだけでも大変で、教師側に疲れが出てしまったのですね。今も授業スタッフと生徒さんとで、毎月1回スタッフ会議を開いて、運営や指導の対策を練っています。
今年で15年目ですが、ここで学んだ人は延べ280人です。老後の楽しみで来ている人も少なくありませんが、卒業生の中には、定時制高校から大学夜間部へと進み、中学校の教員になった人もいます。理容師や美容師の資格を取った方もいます。
2.夜間中学の新時代
文部科学省は、2016年12月に「義務教育機会確保法」を成立させた。これにより、「学齢を経過した義務教育未修了者に対する夜間中学における就学の機会」を「年齢又は国籍その他の置かれている事情にかかわりなく」提供することが、国や地方自治体の責務となった。そのために「文部科学省では、夜間中学が少なくとも各都道府県に1校は設置されるよう、その設置を促進」している。
現在、夜間中学は8都府県に31校しかないが、平成31年4月からは松戸市と川口市で開校される。その他、札幌市、高知市、岡山市、熊本市、福岡市などで設置の検討が進められているという。
見城:私が就任した当時、夜間中学の教員は「一に変人、二に金もうけ、三四がなくて、五に怠け者」と揶揄されたり、先輩教員から「前途のある先生がいるところではない」と言われたりしたものです。それが、今は、夜間中学を希望する若い教員が増えています。
通常の学校教育は、学年ごとに教科書が決まっていて、テストの点数で成績の序列が決まり、それによって高校・大学・企業に人材を送り出す機関になっています。サラリーマン川柳に「人材は材料だから使い捨て」というのがありますが、人材として評価され、企業が望む効率や成果を上げなければクビにされかねませんね。
一方の夜間中学は、生徒の年齢も能力もバラバラなので、本人の学習欲求に合わせた授業を行います。十把ひとからげでは成り立ちません。夜間中学は生徒が自分を主張している学校であり、一人ひとりの生徒を輝かせていく学校なのです。私たちは、その人の持ち味を発揮することを目指しています。
そんなことを言うと「考えが甘い」とか「税金の無駄使い」と言われるかもしれませんが、個性が育てば、生きる力が身に付けば、どんな職場でも自分を発揮できて、企業の力にもなります。ペーパーテストでは評価されなくても、人間力や生活力ではユニークな人材が育つ学校です。一人ひとりに合わせた授業をしているので、教材づくりはたいへんです。教え方も常に工夫をしています。授業のためのエネルギーは通常の学校以上に使っているのです。
── 不登校13万人という数字が20年間続いていますが。
見城:不登校は誰にでも起こり得ることです。1985年頃までは、東京だけでも毎年1000人くらい卒業できない生徒がいて、夜間中学に来る子がいました。今は生徒が学校に来なくても卒業証書を出しています。それは、除籍者を出して教育や指導の仕方が悪かったと評価されることを学校が嫌うためです。卒業証書を全員に出すようになり、夜間中学に来る若者が減りました。それまで、夜間中学の生徒の6割は日本の若者でした。今は外国人が8~9割です。法律が成立したので、これからまた日本の若者が増えてくると思います。
── 子どもは減っているのに、発達障害のある児童生徒は倍増すると予測されています。
見城:他の人と同じことが出来ない児童が排除されるようになりました。かつては、手のかかる子がいても、他の子の思いやりが育つ存在として認められていました。それが区別されるようになった。子どもが個性を発揮して育つ環境がなくなっています。
── 毎年400~500の小中高等学校が廃校になっています。学校統廃合の動きをどう思われますか。
見城:学校は地域の「文化センター」です。地域の歴史が染み込んでいます。校舎に限らず、校庭の植物や机の傷もそこで学んだ人々の歴史であり、人のアイデンティティがよみがえります。学校と地域行事も連動しています。それを捨ててしまうのは、自分たちの根っこを切ることではないでしょうか。
3.ドキュメンタリー映画
読者の中には、1993年の山田洋次監督の映画『学校』を見た方もいるだろう。世間一般に夜間中学の存在を知らしめる大きな役割を果たした映画である。この映画がなかったら、夜間中学を知らずに、通うことがなかった生徒も多かったという。なお、西田敏行が演じた夜間中学教師の黒井先生は、お察しの通り見城先生もモデルのお一人だそうだ。
『学校』の他に、2003年には『こんばんは』というドキュメンタリー映画が製作された。見城先生が文花中学校で教えていた時の記録映画であるが、題名の「こんばんは」という言葉にも強い思いが込められていた。
見城:私が荒川第九中学校に勤めて初めて出会った生徒の1人に横山隆一さんがいます。有名漫画家と同姓ですが、名前は「たかかず」。彼が書いた「こんばんは」という詩を紹介しましょう。
学校に来て「こんばんは」というと
みんなの返事がかえってくる。
その声を聞くと 今までの出来事が
よいことも わるいことも かなしいことも
みんな消えて 学校に来たよろこびで
いっぱいになってくる。
とてもすてきな詩ですよね。この詩には夜間中学に来た喜びが、はじけるような思いでつづられています。その喜びは、昔も今も少しも変わっていません。
夜間中学の生徒の中には、文字の読み書きが出来なかったために、子どもが病気になっても受付で問診票が書けないので病院に連れて行けなかったり、役所の書類や回覧板が来ても分からずに後で大変な思いをしたり、数字が分からないから電話も掛けられなかったり、子どもや家族に迷惑を掛けてきたという経験や思いを持っている人がいます。
そんな人が学校で勉強して、読み書きが出来るようになるということは、本当に大きな喜びなのですね。そんな喜びを、生徒の皆さんは私たちに返してくれます。生き生きと楽しく学んでいることが、関わる私たちの喜びでもあります。誰が教えて誰が教わってという関係ではなく、お互いに学び合う場になっているのです。
夜間中学では、嫌々通っている生徒は一人もいないと思います。だから、私も学校に行くことが楽しみでした。定年になるまで、私はいつも電車から降りると学校まで走って通っていました。みんなが待っていると思うと、自然に走り出したくなるのです。
夜間中学の合言葉は、「いつでも今が一番若い、今やらなくてどこでする」です。幾つになっても可能性にチャレンジしようということです。
※
これから夜間中学の新規設置が期待されるが、一方で教育の質も問われる。行政を動かすには、世間の関心や声援が不可欠だ。そこで見城先生たちは、夜間中学の本当の姿を知ってもらうために、20~30分のドキュメンタリー映画の企画を進めているという。資金面など多くの方の協力を得て、素晴らしい映画が出来ることを期待し、応援をしたいと思う。
【えんぴつの会】
すみだボランティアセンター
(東京都墨田区東向島2-17-14)
月・木曜日 13:00~16:00
TEL:070-6445-0575
(平成30年1月25日)
追記:「えんぴつの会」の今
本年2月下旬、コロナ禍によって会場の向島言問会館が長期使用停止となり、「えんぴつの会」も活動を休止せざるを得なくなった。4月に緊急事態宣言が出され、5月になっても会場使用許可が下りない。そこで、各自の学びが止まらないようにするため、学習者ごとに指導担当を決めて「学習プリント」を郵送したり、電話で学習状況の確認をしたり、というのが「えんぴつの会」流のテレワーク?だった。
同時並行で、見城先生たちは新たな教室探しを始めた。墨田区教育委員会に掛け合って「すみだボランティアセンター」の登録団体にしてもらい、ようやく会場が確保できた。新たな学び舎に引越しをするため、7月16日、みんなで向島言問会館の荷物の撤収作業を行った。作業終了後、「ふるさと」を合唱して、向島言問会館に感謝とお別れをした。
ということで、「えんぴつの会」は今も月曜日と木曜日の13時から16時まで開かれ、20代から90代まで約20名が学びを続けている。国語、数学、英語、日本語のほか、1年間のまとめともいえる「自由発表会」や学習者の意見を反映した「特別授業」、「ハイキング」などの行事も行われている。しかも、登録団体は会場費やコピー代が無償のため、1000円だった月謝が無料になった。これまでに「えんぴつの会」で学んだ人は300人にのぼる。
ところで、夜間中学のドキュメンタリー映画は「こんばんはⅡ」として完成した。そこで「えんぴつの会」でも上映とトークの会を企画した。当初は2019年10月12日に開催予定だったが、台風19号の直撃によって中止となった。仕切り直しで年明けの2月22日に変更としたところ、今度はコロナ禍により開催が危ぶまれる事態となったが、消毒薬やマスクなど万全の準備をして、何とか開催に漕ぎ着けた。ほぼ満席の40人が参加して、熱気にあふれる会になったという。
見城先生が「えんぴつの会」を始めて17年と9カ月。区立夜間中学の教員生活が42年。教員になる直前の2月から夜間中学に関わっていたので、来年2月で見城先生の夜間中学歴は60年になる。「チョーすごい」の一言でしかない。でも、まだまだ通過点でしかないようである。
現在、夜間中学の設置数は9都府県に34校であり、来年4月から徳島市と高知市で県立夜間中学が開校となる。
(令和2年12月7日)
(おわり)
>見城慶和著、小林チヒロ写真『夜間中学校の青春』大月書店、2002
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