【そんな生き方あったんや!】第12回「天職とはこだわれる才能」アーティスト・岩﨑有二さん

色鮮やかでおいしそうなスイーツ。愛嬌のある謎の生き物……。そこに展開するのは、いわゆる「おとぎの国」ともちょっと違う、「リアルな異世界」。「不思議な絵だなあ……」と思っていたその作品が、実は絵ではなく「写真」だと知ると、誰もが思わず二度見、三度見してしまう。そんな独自の表現を生み出しているのが、現代美術の名門校・ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ出身のアーティスト、岩﨑有二さんです。

彼の作品は、「立体作品を平面作品として再構築するための手法であり、絵画とも、写真とも、立体とも異なる、新たな表現方法」(「ギャラリーHANA」HPより)として、高い評価を得ています。今回はそんな岩﨑さんに、作品の創作プロセスや、アーティストの道を選択した経緯などについて伺いました。そこには文章を書くプロセスにも通じる部分があり、モノづくりのヒントが満載の対談となりました。

dolce vita ch8(部分)

【プロフィール】

岩﨑 有二(いわさき ゆうじ) 1977年、静岡県生まれ。沼津美術研究所を経て渡英。ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ等で現代美術を学ぶ。6年半の製作活動の後帰国。以降は国内外で作品の発表を続ける。2019年1月に下北沢 Gallery Hana Shimokitazawa にて個展「dolce vita-甘い生活」開催。ホームページやインスタグラムで随時作品を更新中。
ホームページ:yujiiwasaki.com
インスタグラム:yujiksy
イワサキ アシカ堂:iwasakiasikado.stores.jp

杉原 学(すぎはら まなぶ) 1977年、大阪府生まれ。四天王寺国際仏教大学中退後、劇団ひまわり研究生を経て、広告会社のコピーライターになる。5年半で退職し、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科に入学。修士課程修了、博士課程中退。哲学専攻。研究テーマは「人間と時間との関係」。現在は執筆活動をしながら研究を続けている。単著に杉原白秋著『考えない論』(アルマット/幻冬舎)など。共著に内山節編著『半市場経済』(角川新書。第三章「存在感のある時間を求めて」執筆)がある。世界で最も非生産的な会議「高等遊民会議」世話人。日本時間学会会員。

※この記事は、地域づくり情報誌『かがり火』186号(2019年4月25日発行)に掲載されたものを、WEB用に若干修正したものです。

「こだわり」と「天職」

杉原 不思議な作品ですよね。粘土や紙で立体を作り上げて、それを撮影した写真が、まるで絵画のように見えるという。制作にはかなり時間がかかると思うんですが、どれくらいのペースで作っているんですか。

岩﨑 理想としては、だいたい1カ月に1作品なんですけど、実際そうはいかないですね。時間をかけて立体を作っても、最終的に写真として面白くなかったらボツ。そうなると1カ月丸ごとダメにしてしまった感じがするので、さすがにちょっとこたえますけど。ちょうど前の作品が、2カ月ぐらいかかったけど結局ボツになっちゃって(笑)。だから今は3カ月ぐらい何も完成していない状態という。

杉原 それは悶々としますね。

岩﨑 そうですね。ただ逆に、写真にする段階でいきなり良くなるやつもあるから、作っている途中では判断しかねるところもあるので。結局、最後まで作っちゃう場合が多いです。

plate of the day

杉原 なるほど。なんか聞いていると、文章を書くのと似ている部分がけっこうあるなと思って。

岩﨑 よく似ていると思いますね。

杉原 文章も、書いている途中はさえない感じだったのが、終わりが決まることによって、全体がパッと良くなることもありますし……。それで最近思ったのが、「天職」みたいなものをどうやって見つけるかっていうことなんですけど。

岩﨑 はい。

杉原 自分がすごく「こだわれる」っていうのは、一つの基準になるんじゃないかなと思って。どうでもいいことって本当にどうでもいいから、「あ、これでいいっす」ってなるけど(笑)、文章で言えば、何回も何回も自分で書き直して、「1行書くのに3日かかっちゃいました」とか。それは多分、才能というか、向いてるというか、そういうものがあるような気がして。

岩﨑 そういう人は、そのこだわってる部分に「何かある」っていうことが見えてるから、そこをもがくわけじゃないですか。何も思わない人は適当なところで済ましちゃうけど。そこをもがくっていうのはやっぱり……。

杉原 「何か」が見えているわけですね。

岩﨑 そうですね。見えてなくても、何かを感じているというか。でも多分そういう部分に、その人の何かが出ると思うんですよね。文章だと、微妙な文体なのか、言葉の持っていき方なのか、分からないですけど。で、見ている人は意外と、そういうところを見てくれているというか。

杉原 そうですね。だからさっきの、2カ月かけたものをボツにしちゃえる「こだわり」っていうのは、やっぱりすげー才能だなって思うんですよね。

dolce vita ch1

マジックが起きているか

杉原 そのこだわってしまう部分っていうのは、どういうところなんですか?

岩﨑 例えば、ただ「立体を作って写真に撮りました」っていうだけに見えちゃうと、やっぱりマズいというか。何らかのマジックがそこで起きてないと……。写真なのに「絵のように見える」とか、本当にフィクションの世界をのぞいているような感覚というか、リアリティというか。そういうものが含まれてないと、それはもうボツですね。

杉原 それは本当に感覚的な部分ですよね。

岩﨑 そうですね。あとはウチの奥さんのダメ出しでボツになる、っていうのもある(笑)。

杉原 あははは!

岩﨑 自分はずっと根を詰めてやってるし、1カ月も無駄にしたくないから、何とか作品にしちゃいたい。でもそこで奥さんにダメ出し食らうと(笑)、やっぱり作品としては出せないというか。

杉原 すげーな、奥さんの壁(笑)。やっぱり奥さんのジャッジは信頼できるわけですか。

岩﨑 彼女は絵画から写真に転向したアーティストなんですけど、ロンドンの大学で出会って以来、僕のほぼ全部の作品を客観的に見てきているから。もちろんダメ出しされると悔しいっていうか、イラッとするんですけど(笑)。

杉原 そりゃそうだ(笑)。

Gallery Hana Shimokitazawaでの個展。

岩﨑 でも先日の個展に出した作品でも、1回奥さんにダメ出しを食らって、やり直しを加えて、そこが結局よかったっていうのもあるし。自分の中では出し切ったものに対して言われるから、大変なところはありますけどね。

杉原 何か筋トレみたいですね。「限界をちょっと超える」みたいな。「あともう1回できるぞ!」ってね(笑)。やっぱり表現者同士、意気投合するものがあったわけですか。

岩﨑 作品についての考え方とかは違う部分もありますけど、お互いがやっていることに対するリスペクトというか、理解というか、それはやっぱりある気がしますね。

美術の先生に才能を見いだされる

杉原 いつから美術の道に入ったんですか?

岩﨑 もともと小さい時から絵が得意で、絵の教室にも通ったりしていたんです。で、中3の時の担任が美術の先生で、ちょっとまあ、僕のことを買ってくれていたところがあって。

杉原 「担任が美術の先生」っていうのも運命的ですね。

岩﨑 そうですね。その先生が、「将来は東京芸大みたいなところに行って、画家を目指せ」みたいな感じで、かなり推してくれて。だから芸術科がある高校に入る選択肢もあったんですけど、「あえて公立校に行け」みたいなことになって。普通の人の中でやったほうが、いろいろ逆に学ぶことが多いからって。

杉原 へー。

岩﨑 それで公立高校に行ったんですけど、いわゆる進学校だったので、先生も生徒も、美術とか芸術系をちょっとばかにするような傾向があって(笑)。「お絵描き」みたいな言い方をされたりとか。もし芸術科に行っていたら、それはないじゃないですか。そういうところに行ったおかげで、一般の中での芸術の立ち位置みたいなのを肌で感じたというか。

だから、美術作品として価値があることも大事だけど、一般の人に何かを感じてもらえる作品でありたいっていう願いが僕の中にはあって。スイーツとか、とっつきやすいモチーフを絡めているのは、そういう意味もあるんです。見る人の解釈と作品が絡んで、より世界が広がってくれたらうれしいし。だから完成させ過ぎないというか、作品の中に曖昧さをかなり入れていて。

平面や立体という枠組みを超えた作品を生み出している岩﨑さん。(撮影:井口康弘)

杉原 僕も文章を書く時に、きちんと伝わるように書くのはもちろん前提なんですけど、本当に大事な部分って、実は行間でしか伝わらないような気がしていて。それは多分、読む人が受動的じゃなく、能動的につかみ取るからだと思うんですけど。だからあえて具体的に書かずに、いきなり次の展開に持っていったりすることがあるんです。そのへんは岩﨑さんの表現とも通じる部分があるのかなーという気がして。

岩﨑 うん、かなり通じるところがありますよね。まあ一歩間違えると、ただの抜けてる部分って取られちゃうけど(笑)。美術だけじゃなくて、芸術系でいいってされているものは、そういうところを含んでいると思うんですよね。だから売れている作品でも、人によって若干解釈が違うし。

杉原 うん。そのほうが面白いし、「こうにしか見えない」みたいなものだと、そう見るしかないから(笑)。

岩﨑 「これはどういう意味ですか?」って聞かれることも多いんですけど、逆にその人の世界観を、作品を通じて広げてもらえたらと思っているんです。自分から何かを押し付ける気持ちもないし。そもそも作品の解釈なんて、文化の違いで全く変わっちゃうから。例えばイギリスで、あるパフォーマンス作品を見たんです。確かキプロスの人だったと思うんですけど、僕にはそれが「塩を盛ってお清めをしている」ようにしか見えなかった。何か神聖な儀式みたいな。ところが後で聞いたら、それは塩じゃなくて、砂糖だったんです。

杉原 へー!

岩﨑 向こうでは砂糖がそういうことに使われるらしくて。でももし僕がそれを砂糖だと知っていたら、それを神聖なものとは思わなかったかもしれない。文化の違いで、見る人の解釈は全く変わってしまうんですよね。芸術にはそういう面があるし、こっちの意図を伝えることが作品の目的だとしたら、「じゃあ伝わらなかったら失敗なんですか」っていうことになる。そうじゃなくて、その人その人の解釈をしてもらえる作品のほうを、僕はやりたいと思っているんです。

撮影に使用している大判カメラ。

ロンドンの美大との出会い

岩﨑 それで高3の時は日本の美大を目指したんですけど、結局どこも受からなくて。その浪人時代に、実際の現代美術というか、今起こってることを知りたいと思って、美術雑誌を読み始めたんです。そうすると、受験勉強でやっているデッサンとかと全然関係ないようなことが、現代アートの世界では起こっている。そこに若干ズレを感じてきて。

そんな時にたまたま読んだ『美術手帖』っていう雑誌に、「ロンドンの美大特集」っていうのがあったんです。そこで紹介されていたゴールドスミスっていう大学の方針が面白くて。そこは「絵画科」とか「彫刻科」とかの「科」を分けていなくて、もう「美術」っていうひとくくりしかない。だから中で何をやってもいい。

杉原 日本にはないんですか、そういうやり方のところは。

岩﨑 入ってから自由にやる人はいると思うんですけど、科としてはやっぱり分かれている。東京芸大がそれっぽい科を作ったりして、若干ゆるくはなってきていますけど。

ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ。

杉原 本質的に考えれば、確かに分ける必要性がないっていうか。お互い刺激にもなるし。

岩﨑 ただどっちの見方もあって、絵画なら絵画にこだわって、その可能性を追求するのもアリだと思うんです。だからあくまで「どっちが自分に向いてるか」かなと。僕はそのころには立体もやったりして、絵画だけに固執することに疑問を持っていたので、ゴールドスミスのやり方がすごく合っていたんです。受験の方式も、日本の美大みたいにテーマとか課題を与えられるんじゃなくて、あくまで自分が作った作品とテーマで判断される。具体的には、ポートフォリオっていう作品集と、やりたいことを書いた文章を送ってから、面接で作品の説明をするんですけど。

杉原 すでにプロっぽいですね。

岩﨑 大学に入ってからも課題は一切なくて、ただもう「作ってください」っていう。で、作ったものをプレゼンして、みんなでディスカッションして……の繰り返し。

杉原 すごいな。自分の中にコレっていうのがないと、よく分からんまま終わりそう(笑)。

岩﨑 だから受験の時も多分そこを見ていて。作品が未熟でも、追求したいテーマが明確であればオーケーだろうし、上手な絵を描けても、やりたいテーマがなければ多分ダメだし。

杉原 なるほど。日本の美大よりも、ロンドンの美大のそういうやり方が肌に合ったんですね。

岩﨑 それはあると思いますね。いわゆる「入試のためのデッサン」とかは、あんまりやる気がなかったというか(笑)。そのころには自分の方向性がはっきりしてきていたので、そっちをもっとやりたいと思ったんです。だけど日本の場合は、それをちょっと置いといて、受験用のデッサンや課題をクリアしないと入れない。その意味でも、作った作品を見て判断してくれるロンドンの大学は、自分には合っていたと思いますね。

ゴールドスミスカレッジの中庭にて。

「美術イコール自分自身」

杉原 ロンドンの美大を選んだのは、人生の大きな分岐点だったと思うんですけど、そういう選択をする時に大事にしてることはあるんですか。

岩﨑 やっぱり、一般で言うところの「こういう時はこうしたらいい」じゃなくて、自分が生きている中で学んできたこと、吸収してきたことによってできる価値観ってあるじゃないですか。その価値観の中で自分が正しいと思うこと、「こう生きたい」っていうほうを優先してはいます。それによって、本来はスムーズに行くところが行かなかったりとかも多々あるけど(笑)、自分はそっちじゃないとやっていけないっていうところもあるので……。あと選択と言えば、実は僕、けっこう料理が好きで。今でも買う雑誌は、美術系より料理系のほうが多い(笑)。

杉原 ははは。めっちゃ好きなんですね。

岩﨑 だから大学受験の時、美大を目指すとか言いつつ、一瞬、料理のほうと迷ったんです。仕事のことを考えたら、料理のほうが需要もあるし。でもやっぱり、美術のほうが「イコール自分自身」みたいなところがあるというか。料理のほうは趣味でもできるかもしれないけど、絵は中途半端にはできないというか、趣味で描くのはそんなに好きじゃないというか。突っ込んだところでじゃないと、自分はやらないだろうなっていうのがあって。

ゴールドスミスカレッジの卒業展より。

杉原 なるほど。でも逆に趣味的に楽しめることのほうが、仕事としてはいいんじゃないか、っていう考え方もあるじゃないですか。そうではなかったんですね。

岩﨑 やっぱり仕事って、自分自身を主張するところでもあるじゃないですか。そう考えた時に、料理はやっぱり凡人並みでしかないかなって。超一流の料理人の取り組みを見ていると、自分はそこまでしたくないというか、料理は楽しむほうをしたいっていうところもあって。

杉原 まさにさっき言っていた「こだわれる才能」みたいなことですよね。

岩﨑 そうですね。それが美術のほうが含まれていたんじゃないかな。どっちかを選んだ時に、絶対もう片方が未練として残るじゃないですか。その度合いを考えた時に、美術を捨てたほうが、自分の中では後悔がありそうな気がして。

杉原 ああ、面白い。そういう考え方はしたことなかったな。

ビジョンどおりにいかない面白さ

杉原 今後こういう感じでやっていきたいとかはありますか。

岩﨑 大きくはないですね(笑)。その時その時でもう、いっぱいいっぱいというか。

杉原 今作りたいものを作り続けていくっていう。

岩﨑 そうですね。一つの作品の中でも、「最初から完全なビジョンがあって、そのとおりにできる」っていうことがないから。その作品内でいろいろもがいて、やっと出来上がるみたいなところがあるので。だからいい作品ができた時は、自分のキャパシティを超えた世界に出会ったような喜びがあります。

ゲストの岩﨑有二さん(右)と杉原学。実は同い年。新宿「名曲喫茶らんぶる」にて。(撮影:井口康弘)

杉原 何か人生そのものみたいですね。「未来のビジョンを描いて実現させる」みたいなのって分かりやすいし、憧れる部分もあるけど、その時その時でやりたいことをやっていたら、思いがけない場所にたどり着いたりする面白さもあるし。

岩﨑 まあ一般論で言えば、こういう生き方は正しくないと思いますけど(笑)。ただ生きがいというか、本当にやりたいことというか、それを人生に持ち込めている感じはある。その充実感はやっぱり捨てられないです。

(おわり)

<岩﨑有二 Web Gallery>

dolce vita ch16
selling by piece
hoppin’ apple
dolce vita ch15(部分)

プリント方式はラムダプリント(フィルムを高画質スキャンでデジタル化し印画紙にプリントしたもの。デジタルプリントともいう)。作品購入にご興味のある方は yujiksy@hotmail.com へご連絡ください。

>岩﨑有二ホームページ

>岩﨑有二インスタグラム

>イワサキ アシカ堂

『かがり火』定期購読のお申し込み

まちやむらを元気にするノウハウ満載の『かがり火』が自宅に届く!「定期購読」をぜひご利用ください。『かがり火』は隔月刊の地域づくり情報誌です(書店では販売しておりません)。みなさまのご講読をお待ちしております。

年間予約購読料(年6回配本+支局長名鑑) 9,000円(送料、消費税込み)

お申し込みはこちら